67,戻れぬ過去
『ステラ! いつ見ても天使みたいね〜!』
『今日は珍しいお菓子をお土産に持ってきたぞ〜!』
『よかったわね、ステラ。ハイジ姉様とヒルおじさんにありがとうは?』
『ありがとー!』
ああ、なんと懐かしい思い出だろう。
ステラには、昔から婦警さんになる以外にもう一つの夢があった。それは妄想と言っていいほど現実的でない夢。
いつか母やヒルおじさん、ハイジ先生と一緒に外の世界を見て回ることだった。
今回の旅行で少し夢が叶ったと内心嬉しかったが、所詮夢は夢のまま。
いっぱい働いてもっと偉くなってお金を貯めて、そしたら沢山休みを取って、何処かにいるヒルおじさんやハイジ先生にも綺麗な世界を見せてあげたかった。
だが、その夢は潰えた。
ヒルおじさんは、ステラと全く立場の違う人物だったのだ。
「(笑っている……)」
あの頃の何も知らない純情無垢なあの頃の自分。
大好きな人に囲まれていて、誰よりも幸せそう。
知らぬが仏とはよく言ったものだ。
もし自分がジーベックドに会っていなければ、こんな事実知らなくて済んだ。きっと次に会う時も今までと同じように笑って話せただろうに。
『私が大きくなったら絶対婦警さんになって、皆のこと守るからね!』
『頼りになるなぁ! それじゃあおじさんよりも魔法をうまく使いこなせなきゃな』
『ヒルおじさんのことなんてすぐ追い越すもんねー!』
『もうケチョンケチョンのボッコボコよ! ステラの圧勝が目に浮かぶわ。
ねぇラナ!』
『そうね、案外いい勝負かも』
『ラナまで‼』
笑い声が闇に溶けてゆく。
過ぎ去りし過去は取り戻せないのだ。
どれほど焦がれようとあの頃の自分には戻れない。
どれほど後悔しようと事実を知る前には戻れない。
当然のことに、泣きたくなった。
きっとハイジ先生も母も、ヒルおじさんのことを知っていただろう。
なぜ自分だけ一人だけ退け者にされなければいけない? あの人達の笑顔はなんだったのだ?
「(レオナルド……)」
そして彼もまた知っていた。
なのに伏せられていたのだ。
何一つ音の聞こえない暗闇で、ステラは膝を抱えた。
******
バシャンッ
「……?」
「さっさと起きなさいよ」
冷たい。
思考が集まるより先に、眼が開いた。
急激に体温が下がり、額に張り付く前髪がこそばゆい。
ぼやけた視界がはっきりと暗い世界を映し出す。
「あんた、暢気ねぇ。こんなところに誘拐されたって言うのに、グースカピースカ寝ちゃって」
「ここは……」
まだここは夢の中? 夢にしては随分と寒い。
目を閉じても開いても、目の前は暗いまま。
顎を伝う感触が冷たい。どうやら冷水を掛けられたようだ。
拭おうと腕を動かすと、ジャラッと嫌な重い金属がすれる音がすぐそこで聞こえた。
「(嘘、縛られてる……)」
ステラは普通の女性に比べて比較的筋肉が付いている方だ。
しかしどれだけ筋トレしていようが、身体は女性。大の男を拘束するような……いいや、猛獣でも捕らえるかのようなごつく太い鎖が、ステラの腕を雁字搦めに巻き付いていた。
腕動かそうとすると、頭に痛みが走る。
「いっ……」
「あらぁ、ちょっと薬が効きすぎたかしら」
コツコツとヒールの音が響く。……さっきから聞き覚えのある声が聞こえるのだが、やはりこれは夢ではないのか。
動く範囲で頭を上げる。
よく見れば、ぼんやりと人影が闇に浮かび上がっていた。
窓の外から入る僅かな月明かりに、その人物の顔が照らされる。
「あんたは……!」
「久しぶりねぇ」
銀色の長い髪に、鮮血を連想させる赤リップ、常人よりも鍛え上げられた筋肉に低い声と裏腹のオネエ言葉。
間違いない。燈月草探しの時に出会ったオカマ……オネエさんだ。
よくも湖に突き落としてくれたな、と咆哮を浴びせようと思ったのだが。
まだ霞む目を疑った。
「その目、」
「あぁ、これ? ちょーっとご主人様にお仕置きされちゃったのよ」
その声は実に艶やかで、甘美な喜びを滲ませている。
そんな声色とは裏腹に、オネエさんはステラの前髪を乱暴に掴んだ。
「あの時、あんたを殺す筈だったのよ。けど、あの坊やのおかげで失敗しちゃった。
あんたが泳げないって情報が入ったから、軽く突き落とすだけで済む簡単な仕事だと思ったのに」
「なんで私を? それに泳げないなんて……!」
「一部の人間しか知らないはず? はいはい残念なお知らせよぉ。その一部の人間の中に、裏切り者がいまーす」
「いっ……⁉」
起き抜けの回らない頭で、数多の疑問が思い浮かぶがオネエさんは質問タイムを設けてくれそうにない。
前髪を掴まれたまま、壁に背中を叩きつけられて関節がきしむ。
「でもご主人様、今回は気が変わったみたいよお。
殺さずに生け捕りにして連れて来いって」
ふふふ……と薄気味悪い笑みを浮かべ、その黒い眼帯を撫でる。
ステラは沈黙を貫いた。
「でも反抗されちゃめんどくさいから、足の一本ぐらいちょん切っちゃいましょうか」
オネエさんが指を鳴らすと、魔法陣がぼんやり浮かび上がった。
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