61,消えない感触



 幸せな夢を見ていた。


 レオナルドの作ったご飯お腹いっぱい食べて、星空の下で一緒に散歩して。

 ステラはベッドの中でまだ張り付く瞼をこじ開けた。


 横になっていた身体を天井に向け、ボーっと思い出す。


「(それから……)」


 蘇る、唇への感触。


 夢にしてはやけにリアルだった。

 まとまらない寝起き特有の四散した思考で、夢をなぞる。


「(なんか……めっちゃ告白? されて……)」


 ふわふわしていた思考が、ギュンッ‼ と頭の真ん中に集まった。

 その勢いで、暖かな寝床から身体を跳ね上げる。


「夢じゃない……‼」


 思わず自分の唇に指を這わせた。

 暖かでしっとりとした感触は夢なんかじゃない。


 数秒、数十秒、数分。

 ゆっくりとステラの赤らんでゆく。


「そうだよ、私、レオナルドと……」


 キス、したんだ。



 改めて頭の中で文字起こしすると、マットレスに額を打ち付けた。

 毛布をかぶってみたり転がったりしてみるけれども、その羞恥は高まる一方だ。


「(え? え? 待ってよ、私達別に付き合ってないし、私はレオナルドのこと好きって……いや言ったけど。寝込み狙って言ったの聞かれていたけど‼)」


 毛布から顔を出すと、隣にあった鏡にボサボサになった頭の自分が映った。


「(……早く返事したい)」


 昨晩の出来事を思い出すと、羞恥心以上に幸福感が胸を満たす。


 アルローデン魔法学校に受かったときや、警察試験に受かった時に感じた幸福とはまた別の感情。

 胸の辺りが切なく苦しくなり。もう一度あの唇に触れたいと願ってしまう。


「…………って‼ 破廉恥‼」


 誰もいない部屋でステラの声だけが跳ね返ってきた。


 部屋の持ち主であるイライザはとっくに出て行っており、今頃騎士として仕事に没頭していることだろう。

 相棒のウメボシは今頃恒例の散歩だ。


 しばらくベッドの上で放心していたステラは、ノロノロと立ち上がった。


「探さなきゃ……この眼と……お父さんを……」


 そうすれば、きっとレオナルドの隣に立つことが許される。

 ドルネアートに帰って、この想いを遂げて。仕事だってバリバリしてやる。

 そう、星が叶えなくても自分で叶えてやる。


 ステラは汲み水に手を付けると、ふと昨晩の帰り道を思い出した。


「そういえばイグニスみたいな鳥が飛んでいたような」


 真っ赤に燃えさかる、傷を癒やす魔法が使えるヒルおじさんの使い魔だ。

 見間違い? それとも似た鳥?


「もしかしてセレスタンに居るのかな? ……それなら手紙書いてみようかな……」


 もしここで会えたら儲けものだ。

 ついこの間の燈月草探しで偶然会えたが、次に会える機会は約束できない。

 顔を見るついでに、ステラの父親について知っていることを全て教えて貰おう。


 丁度クラーケンを倒す直前にヒルおじさんに連絡を取ろうと思っていたのだ。これは神様の思し召しに違いない。


 ステラは鞄を漁ると、メモを取り出した。


「えーっと……。

 ヒルおじさんへ。実はまだセレスタンにいます……昨日イグニスみたいな鳥をセレスタン宮殿で見かけたのですが、もしかして近隣に居ますか……っと……」



 自分に相当甘いヒルおじさん。

 成人したら、という約束をした母には悪いが、こっそり教えて貰おう。

 それほどまでに、レオナルドの隣を欲しているのだから。


 メモを蝶の形に折ると、飛んでいけという願いを込めた吐息を吹きかける。


 命を与えられたパピヨンレターは、広大なセレスタンの空に舞い上がった。


「これでよし!」


 あとは自分の脚で調査だ。


 ステラは冷たい水で顔を叩いた。




 ******




「(滞在期間は限られているし、お父さんの事はヒルおじさんに聞くとして、やっぱりこの眼のことだよね)」


 気分は振り出しに戻る、だ。

 結局何を考えようが、最終的に戻るのはこの眼だ。


 一昨日はスピカの私物にお目に掛かることが叶ったが、クラーケンとゲパルの求婚のせいで貴重な時間を随分と無駄にしてしまったように思う。


 過ぎてしまった時間はもう戻らない、早く頭の中で切り替えるしかない。


 すれ違う使用人達に頭を下げた。


「あ、この中庭」


 以前、セレスタン王国騎士団、団長のジーベックドと出会った場所だ。


 なんとなく気になって中を覗いてみると、案の定人影が見えた。


「おはようございます」

「おはよう」


 その人影の正体は、ジーベックド本人だった。

 無視するわけにもいかず、首だけ外に出して挨拶を交わす。


 ステラが素通りしなかったのはもう一つ理由がある。

 その手に握られている物だ。


「野菜ですか?」

「あぁ。今からこいつらの飯だ」


 こいつらとは。


 恐る恐る中庭にお邪魔すると、一瞬で納得した。

 ジーベックドの足元には、茶色いうさぎや子犬、子猫にミーアキャット……小鳥やオウム。

 小動物園か。


「こんなに動物がいたんですか」

「あぁ。こいつらは全部保護した動物達だ。世話をしていたら懐かれてしまってな。

 一緒に餌をやるか?」

「いいんですか?」


 動物に餌をやるなんて、ウメボシをカウントしなければ初めてかもしれない。

 彼は餌ではなく、本当に食事なのだ。


 恐る恐るりんごの破片を受け取った。


「そのまま口元に持っていけば勝手に食べる」

「おお……」


 ジーベックドの足元で茶色のウサギが足に頬ずりしていた。メ、メルヘェン……。

 強面とのギャップが激しすぎて、風邪を引きそうだ。


「団長、何一人で喋っテ……ステラ‼」

「出たー‼」


 噴水の影から現れたのは、昨日見たばかりの茜色のおさげだった。

 トラウマというより警戒心。


 咄嗟にジーベックドの影に隠れたのは、正しい判断だったと後生言い切れる。


 ゲパルは持っていた野菜をベンチに置き、大股でステラとジーベックドに接近してきた。


「頼ム‼ もう一回魂を賭けた決闘を受けてくレ‼」

「意味を知って誰か受けるもんですか‼」

「そうだぞ、あれは意味を説明しなかったお前が完全に悪い。

 その上完膚なきまでに負けたんだ、潔く身を引け」

「嫌でス‼ 絶対に諦めませン‼」

「私じゃなくて別の誰かの方ががいいですよ!

 ほら、パンを咥えながら走って曲がり角を曲がってみて下さい。美少女と出会うって言う都市伝説がありますよ!」

「じゃあ今からパンを持ってくるかラ、その向こうの曲がり角で待っていてくレ!」

「どんな茶番ですか!」


 昨日の今日だと言うのに、とんでもなく元気だ。

 ステラは日が変わるまで空腹に苦しめられたというのに、やはり専門の訓練を受けると魔力の燃費が違うのだろう。


 ジーベックドがゲパルの頭を掴んだ。


「女性にそこまで詰め寄るものじゃない。ここはいいから、お前は早く戻れ」

「でモ‼」

「悔しかったらステラがもう一度決闘を受けてくれるまで力をつけてこい」

「(つけたとしても絶対受けないけどね)」


 声には出してやらないが、心の中で吐き捨ててやった


 ひょいっと、ゲパルはまるで子猫を摘まむかのように首元を掴まれ、中庭の外に放り出されてしまった。


「絶対絶対ニ‼ 今度こソ‼ 俺が勝つからナ‼ 待っていろヨ‼」

「はぁ…………」


 どうしたら諦めてくれるのだろうか?

 負け惜しみのように捨て台詞を残して走り去るゲパルを見送っていると、側に居た大木のとうな影が無くなったことに気が付いた。


「あれ、ジーベックドさん?」

「なんだ」

「なんでそんなとこにいるんですか」

「婚姻前の女性と二人っきりになるわけにはいかないと、前にも言っただろう」

「固定概念が古すぎます!」


 足元で餌を強請る子犬が、痺れを切らしたように鳴き声を上げた。


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