52 双獣の戦士 2
「――――この魔法ハ、余程の緊急時で無い限り使用を禁じられていル」
風が弱まり、ステラは薄く目を開けた。
観客からも困惑の声が上がり、闘技場がどうなったのかと覗き込む者もいる。
ようやく現れた姿に、ステラは顎を外す寸前まで口を開けた。
「な、なななな……⁉ その姿……⁉」
「これガ、双獣の戦士と呼ばれる理由ダ」
その姿に、思わずステラは自分の目を疑った。
現れたゲパルの頭からは、小さな三角の茶色い耳が生えていた。それは獣の耳だ。
それだけでない。目の下から頬にかけて黒い線が走っており、ズボンの後ろには斑模様の尻尾が映えていたのだ。
愕然とするステラに微笑みかけると、ほそ口元から鋭い犬歯が覗いた。
「元々使い魔を召喚できる人間は少なイ。高い魔力、魔法のセンスを持ち合わせていないト、使い魔は反応しなイ。
その中でも突飛出た者だけガ、使い魔とこの魔法の契約を結ぶことが出来ル」
「ステラ‼」
言葉が出ないステラの横で、煙が立った。
後ろで吠えていたウメボシが、いつの間にか九尾の姿でステラを守るように威嚇している。
「油断するでないぞ」
「わ、わかっているけど……」
どうしても隠しきれない動揺に支配され、集中できない。
ウメボシの尻尾が、ステラの細い腰に巻き付く。
「その魔法を使用すると、通常の人間より遙かに多くの魔力を保有し、使用者自信の魔法の威力も跳ね上がる。
それに加え、使い魔の特性も己の力として使用できる。
小僧、脚力でも上がったか?」
「ご名答。タマの個性も俺自身に反映されていル」
ゲパルが空に向かって掌を掲げた。
熱い太陽の光より早く、急激に冷気が集う。
「まずは花嫁にお披露目ヲ。
ドーズ・レニ‼ (硬い雨)」
「掴まれッ‼」
これが花嫁に対する行いか?
いささか疑問を持ち身を構えた所、腰に柔らかく擽ったい尻尾が巻き付いた。
ウメボシだ。
彼はステラを背中に乗せると、そのまま大きく後ろに飛び退いた。
ズドドドドッ…………
あの場に留まっていたら、今頃ステラは穴だらけになっていただろう。
「なっ……殺傷能力高すぎませんか⁉」
「花嫁に自分の力を示す場だゾ。手を抜いたら意味が無イ」
「たわけっ‼ これでステラが避けられなかったらどうするつもりだっ‼」
「あんたはこんな攻撃を躱せないようナ、弱っちい女じゃなイ。
なんたってこの俺が認めた女だからナ」
ウメボシの上からそっと頭だけ出し、ついさっきまで自分が立っていた場所を覗き込んだ。
そしてサッと顔が青ざめる。
なぜなら、数え切れない程の氷柱が、冷気を纏って突き刺さっていたからだ。
「ゲパルさんと結婚したら毎日こんな氷柱浴びせられるんですか⁉ これ私じゃ無くても、全世界の女性からお断りされますよ‼」
「だーぁーラー。決闘の時だけだっテ」
大剣を担ぎ直して、ニッコリとステラに微笑みかける。
零れた犬歯と腰で揺れる尻尾が、逃げる獲物を逃がさんとばかりに存在感を醸し出している。
「俺、彼女とか出来たら溺愛するタイプだかラ」
「聞いてないです!」
「こんな手荒いマネは今日だけダ。
朝はステラより早く起きるヨ。少しでも長くあんたの寝顔を眺めていたイ。
そうだ、ステラは働かないでずっと家に居てくレ。俺の収入は少ない方じゃないシ、養うくらいどうってことなイ。
飯は一緒に作ろウ! 掃除だって買い物だって洗濯だっテ、俺も勿論やるサ。
毎晩一緒に風呂入っテ、ベッドでもあんたが満足するまで可愛がってやル。そうさナ、子供ハ「はいセクハラです‼」……こういうのに慣れていないんだナ。初々しくて可愛いじゃないカ」
「おいおいおいおいレオナルドー。顔が怖いぞー」
「…………」
「無言でジュースのカップを握りしめるなー。ほらほら、零れてるぞー」
もちろん、この会話は観客席にも伝わっている。
瞳孔が開き気味のレオナルドは、瞬きも少なく冷たい目でゲパルとステラを見守っている。
直すテラは、何を話しても通じない男に早速疲労感を感じ始めた。
なんなんだ、この脳内お花畑男は。
「稼いできて家事も積極的……。案外良い男なのでは……?」
「なんで向こうに着こうとしてるの⁉」
「む、中々の好物件なので食らいついてしまった」
「嫌だよ⁉ それに専業主婦は柄じゃない、何がなんでもドルネアートに帰って婦警さんに復帰するんだから!」
「遠距離別居婚カ。それはちょっとナ……」
「っだー‼ ゲパルさんはちょっと黙っていて下さい‼」
話が進まない。
ステラはウメボシの背中から降りると、持っていたトンファーを仕舞った。
「もう降参カ?」
「んなわけないでしょう‼」
「じゃあなんだ? 新武器でもお披露目してくれるのカ?」
ステラの腰に巻き付いていた、ウメボシの尻尾の一本が外れる。
背中から滑り落ち、ようやく大地に足の裏を付けることが叶った。
突如、少し強い風が吹いた。
「ゲパルさん。何度も言っている通りですが、私はあなたと結婚するつもりはありません」
それは凜とした、絶対ぶれることの無い芯の通った声だった。
「騙し討ちは悪かったと思ウ。けド、見てみろヨ。こんなにも大勢の人々が俺達を祝ってくれているんだゼ。
誰もが強者と強者の間に生まれてくる子を待ち望んでいル。その期待を裏切るのカ?」
「なんと言われようが、私は屈しません‼
ここで負ければ、手にしたい未来が途絶えてしまう。
私は‼ 困っている誰かを助ける婦警さんになりたい‼ 結婚だって、自分が選んだ相手とします‼」
ゲパルが言いたいことも分からんことはない。しかし、ステラとて諦めるわけにいかないのだ。
突如、太陽が雲に隠れた。
「イライザさんはこの戦いを受けた時点で、八割方了承したことだと言っていました。ここで私が勝てば結婚の決定権は私に移行し、残り二割の〝いいえ〟という気持ちを押し通すことが出来る」
「双獣の戦士である俺に勝つつもりカ」
「無論、そのつもりです」
ふわっ……と、柔らかいシルクのような霧が、ステラとウメボシの足元に現れた。
音も無く現れたその小さな粒子は、徐々にステラ達を覆い隠す。
「おイ、あんたまさカ……」
「私、ゲパルが双獣の戦士でよかったって、ほんのちょっとだけ思いました」
霧に隠れる寸前。
ステラが笑ったのをゲパルが見逃さなかった。
「――――だって、
私と同じだから」
ドォン…………‼
大地が揺れ、濃い霧が空へ巻き上げられた。
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