34,クロノスの枝 2
「ガザン翁! 一体何をなさったのですか⁉」
「これは……!」
眩しいと言うより、柔らかい光。
緑から蒼に変わり、まるで命の輝きのように尊くすら感じる。
こんな幻想的な光は、冬の空にかかるオーロラでも表せやしないだろう。
ステラの胸の上で輝くその枝は、まるで喜んでいるかのようにすら見える。
「やはりか……。この時を待っていたのかも知れぬな……」
ガザンの小さな呟きがレオナルドの耳に届く。
これは確信してのことだったのか。
おそらく、この光に攻撃性は無い。
自主的に枝が輝いているように見え、横たわるステラが何かしら行動を起こしているとも思えない。
一体何が効果が起こっているのか。
「ステラ……!」
「大丈夫じゃ、眠っておる」
一層強く、その枝は光を放った。思わずレオナルドは己の左手でその光を遮る。
だがその光は、直ぐに輝きを控えたのだ。
「なんたる厳かな光じゃ。この世の何処を探してもこのような光は求められんじゃろうて」
「何の魔法を使ったのですか。あのような光は初めて見ました」
「ん? 儂はなーんもしとらんよ。
……お、お嬢ちゃんの顔色が随分と良くなっておるわい」
握っていたステラの手を、再び強く握る。
冷たかった手に熱い血が通い始めたのだろう、随分と暖かくなっている。
乱れていた息も整い、穏やかな寝息を立てていた。
「この奇跡を起こしてくれたのは、この枝じゃ」
ステラの胸に置かれた枝を、ガザンはヒョイッと取り上げた。
何より驚くべき事は、枯れた枝〝だった〟ものに、葉が芽吹いていた。
「何故? 先程は只の腐りかけた枝のように見えましたが」
「お嬢ちゃんの魔力を吸って生気を取り戻したのじゃ。
見てみい、この輝き。なんと愛おしいことか……」
その腕に抱く光景は、生まれたての赤子を慈しむかのよう。
その葉をよく見ると、レオナルドは僅かに目を見張る。
「不思議な枝ですね。葉が所々蒼く輝いているようです」
「まるでこのお嬢ちゃんの眼に似ておるな」
それは、まさしく自分も今し方思ったことだった。
レオナルドの右指がピクリと反応した。
そんな様子を知ってか知らずか、ガザンは枝を撫で続ける。
「レオ坊の耳にも入っておるじゃろう。
最近クロノスの木になんらかの異変が来しておるんじゃ」
「ええ、なんでもここ半年の間で枯れ葉が何枚か湖に浮いているのを発見したと。
実物は見たこともありませんが、何回か報告が上がっていましたね」
正式なルートで知ったのは、燈月草を探し終わって帰ってきた頃だった。
通常業務に戻ろうとするレオナルドを引き留め、このことを告げたのは誰でも無いドルネアート王だった。
あくまで皇子として、国王から聞いただけ。
なので、あなたの息子さんから聞きました、という言葉は勿論伏せておく。
「おう、ここ半年は枯れ葉だけじゃった。
しかし、つい先日。この枝が湖の岸辺に流れ着いておったんじゃよ」
〝これ〟とはガザンの腕の中を示す言葉だ。
まさか。
ゴクリ。と、息を飲んだのはもちろんレオナルドだ。
「あの何も寄せ付けぬ湖にポツンと落ちていただけの枝じゃ。誰もがただの枝だと言いおったわい。
……だが、何も寄せ付けぬあの湖に、ポツンとこれだけが落ちておった。
儂も最初はまさかかと思ったが……」
ガザンは机の上で規則正しく呼吸を繰り返すステラと、枝を交互に見やる。
同時に、レオナルドにも確信が持てた。
「今はっきりしたぞい。
これは、クロノスの枝じゃ」
「あの進行不可と言われた木の一部が……」
幾度となく寝物語として聞かされ、二転三転している伝説を刷り込まれてきた。
偶像だと思っていた物が直ぐそこにある。
本来であれば感慨深く感じるのだろう。
「何故クロノスの枝がステラの体調不良を直してくれたかわかりませんが、容態が安定したなら早急にベッドに移しましょう」
「そう焦るでない。もう少しこの枝を側に置かせてやっておくれ」
そう言うと、再びクロノスの枝をステラの胸に置いた。
ステラの正体を知っているレオナルドとしては、クロノスの枝から直ぐにでも離した方が良いのではないかと内心焦る。
この国の王女であり、スピカの眼をもつたった一人の存在。
もしガザンにバレでもすれば、ステラはこの国から出られなくなってしまうかもしれない。
それは、きっと誰も望まない。
もちろん、レオナルドもだ。
「ほれ、お嬢ちゃんに触れるとより一層美しく輝く。まるでお嬢ちゃんの瞳とお揃いじゃ」
「ただの偶然でしょう。
起きて伝説の代物が目の前にあると、驚いて叩き折るかもしれませんよ。早く仕舞った方がいい」
「大丈夫じゃ。
それに、クロノスの枝も久方ぶりにスピカの眼と会えて歓喜してるようじゃしの」
とうとう言葉を失った。
「……気付いていたんですね」
もう誤魔化せない。
ガザンとステラは実の祖父と孫にあたる。
隠し子であるステラが、ここで認識されるのはまずいだろう。
特に皇太子であるエドガーの近くだと、尚やっかいなことになる。
ステラの正体を、明らかにするべきでない。
ステラの故郷でヒルおじさんと交わした約束が蘇った。
『頼む、ステラのことを見守ってやってくれ!』
王ではなく、一人の親としての姿だった。
「(いや、セレスタン王は関係無い)」
押し黙り、ステラと扉の距離を確認する。
ステラの実の父親が誰だろうと、レオナルドはステラを守ると決めたのだ。
ここから彼女を連れて逃げ切れるか、最短ルートを脳内でシミュレーションする。
「なーにを怖い顔しとるんじゃ」
「いえ、腹が痛いだけです」
「お前さん、随分と嘘が下手になったのう……。
何を考えとるか知らんが、お嬢ちゃんの正体は全部分かっとるぞい」
一歩踏み出そうとしたところで、ガザンがステラの側に立った。
慈しみ、慈悲深い眼差し。
レオナルドの足が躊躇し、その先へ進むことを踏みとどまった。
「ヒルベルトの子供じゃろう? ドルネアートの王族との間に生まれた子じゃな。
その娘とお嬢ちゃんをセレスタンに連れて来ようとしておったようじゃが、スピカの眼を持って生まれてきた。
それで国の端っこにある村に隠しておったんじゃったか」
「全てお見通しというわけですね……」
心の中でヒルおじさんに謝る。
この人こそ何を考えているかわからない。
「カッカッカ‼
お見通しも何も、儂は一度お嬢ちゃんと会っておるんじゃよ。
それも生まれたばかりにな」
額にかかった前髪をはらい、形の良い額を撫でた。
慈愛に満ちた眼で、固く閉ざされたステラの眼を見つめる。
「ほんに大きくなって……。
儂の大切なもう一人の孫じゃ」
クロノスの枝を触るより遙かに優しい手つきだった。
レオナルドは出しかけた足を引っ込め、ただ二人を後ろから眺めていた。
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