33,クロノスの枝 1
「ううっ……」
「大丈夫か」
「眼が回るぅ……上下がわかんないぃ……」
その上俵担ぎにされているのだから、余計判断に困っているのだろう。
しかしこんな公共の場で姫抱きなんかすると、ステラが羞恥でまた地面を叩き割るかもしれない。
そう、これは双方にとっての安全の為なのだ。
そうはいっても、できるだけステラのお腹圧迫しないように華奢な身体を支える。
「下ろしてぇ……吐くぅ……‼」
「吐くなら俺の服に吐け」
「(それ一番やったらあかんやつ……)」
いい歳した大人が人前で吐くなんて……。
そういえばこの間夜間のパトロールで、外灯に向かって吐いていた人がいたな。……いいや、やはり吐きたくない。
せり上がる嘔吐感を必死に押さえ込みながら、ステラの脳みその一番遠いところでどうでも良い記憶が過った。
「お嬢ちゃん、もう少しの我慢じゃぞ」
「……ガザン翁。俺の記憶が正しければ、こちらは居住区だったかと」
「おぉ、よく覚えておるのう。最後にこの宮殿へ来たのは、まだお前さんがこんなに小さな頃じゃったろうに」
何か二人が話しているようだが、生憎ステラに聞き耳を立てる余裕は無かった。
一体どれくらい移動したのだろう。
長かったような、あっという間のような揺れが収まり、キィ……という甲高い音がステラの鼓膜を震わせた。
「着いたぞい」
「うー……」
救護室かどこか?
とりあえず水を一杯……飲んだら吐くかな。
ステラは顔だけ上げると、視線だけ彷徨わせた。
暗くてよく見えないが、独特の匂いで頭痛までしてくる。
知っているぞ、これは紙とインクの匂いだ。
もしかすると、例の勉強嫌いアレルギーが発祥して、一層体調が崩れたのでは?
あり得るぞ。
「こんな部屋があったんですか」
「レオ坊は入ったことないじゃろう。この部屋は我がセレスタン王家の歴史が詰まった、所謂思い出部屋じゃ」
「歴史を思い出部屋と例えるのは如何な物かと思いますが」
「あのぉ、自分草陰に行ってきてもいいですかね……」
「ほれ‼ お嬢ちゃんが限界じゃ、さっさとそこの台に乗せい‼」
部屋の中心に置かれている台座。
儀式用? なんの? 悪魔でも召喚する気か?
レオナルドが躊躇するのも当然である。
「こっちを頭で……なんじゃい、その目は」
「まさかステラを生け贄に……」
「アホなこと言うでないわい‼ 只のでかい机じゃ‼」
祭壇ではないらしい。
「ステラ、少し我慢してくれ」
「あ、ダメです、出ます」
「ここでならいいぞ」
「いかん! 掃除するのは儂じゃぞ!」
ステラの後頭部を固定し、身体をゆっくり起こす。
無事、ガザンが掃除するという最悪の事態は避けられたようだ。
「私、生け贄になるの……?」
「変な魔法陣は描かれていない。安心しろ、この世界がお前の犠牲で危険になるのなら、俺がこの場でなんとしても食い止める」
「お前さん達は何処の世界戦で生きておるんじゃ」
ステラやレオナルドが不安になるのも当然だった。
部屋は薄暗く、花や美しい海を売りにしているセレスタンのイメージとは随分と異なっている。
部屋の壁際に灯っている蝋燭が一層雰囲気を出しており、壁には多くの姿絵が飾られている。
暗くてよく見えないが、王族達の姿絵だろうか。
「えーっと、鍵は何処じゃったかな……」
何かを探すガザンにバレぬよう、冷たいステラの手に自分の指を絡ませる。
レオナルドはソッとステラに声をかけた。
「何があった?」
「わかんない、急に未来が見えて……クロノス・カーニバルの時みたいに制御が出来なくて……」
「俺がチョーカーを触った時か?」
「うん、その辺りから……」
ガザンに聞こえぬよう、声のトーンは抑えめ。
何故急に?
スピカの眼はステラに何かを伝えたかったのだろうか?
「熱は……ないな」
「ただ気持ち悪くなって、頭が痛くて……」
「ガザン翁の用事が終わったら、すぐ部屋に連れて行ってやる」
こういうときの対処方法が、わからない。
学生時代はずっと保健室のベッドで魘されているだけだと聞いている。
少しでもステラの身体が楽になる方法は無いのか……。
ステラのお腹を温めようと、手を置いてみる。
「お、あったぞい」
そんな二人のやり取りをよそに、ガザンが小さな銀色の鍵を取りだした。
蝋燭の小さな明かりでオレンジ色に染まっており、なんだか禁忌に触れている感覚だ。
「その鍵は、」
「このショーケースの鍵じゃ。
嫌じゃのう、最近年を取って物忘れが激しくなってきておるんじゃ」
物忘れが激しい老人にしては、少々血の気が盛んすぎる気がするが。
鍵の施錠する音が聞こえ、ショーケースの扉が開かれた。
薄暗くてよく見えなかったが、ガザンの手に渡るとようやく形状が認識できる。
ビロードに包まれた、何か長い棒のようだ。
「随分と大切そうに抱えておられますが、今それが必要だと?
それよりステラを早くベッドに連れて行ってやる方が先決では」
「必要じゃ。多分な」
なんとも曖昧な答えだ。
ガザンはその長い物を手にしたまま、寝転び浅く息を繰り返すステラの元に戻ってきた。
薄く目をあけ、ガザンとそのビロードの布を交互に見やる。
「お嬢ちゃんや、ちょっと辛抱しておれよ」
ガザンがその美しい赤い布をゆっくり捲ると、中から出てきたのは枯れた枝だった。
何処にでも落ちてそうな、少し力を加えるだけで折れていまいそうな枝だ。
そんな枝を、ガザンはまるで神聖な剣に触れるように、畏まりその胸に抱く。
一度頭を下げたところで、レオナルドはステラの手を一層強く握った。
「それは……何かの魔法道具ですか?」
「まぁ見ておれ」
眠ったのだろうか。
レオナルドの手は握り替えされることなく、ステラはただ呼吸を繰り返しているだけだ。
ガザンはステラの胸の上に、その枯れた枝をソッと置いた。
「……これが、何だというのですか」
「ふぅむ……。
……おぉ……?」
なんということだろうか。
枝が暖かな光を帯び始めた。
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