14,老人 2
「まぁてェェェェェエエェ‼」
「ほっほっほ。待てと言われて誰が待つものか」
人が賑わうセレスタン。その大通りで、平穏とは言い難い怒号と喧騒が反響していた。
それもそのはず。
屋台の上を、一人の老人とうら若き乙女が駆け回っているのだから。
正直いい迷惑である。
ステラを振り返った老人のフードが取れ、ようやくその憎き顔が露わになった。
三つ編みにした頭のてっぺんの毛は立っており、ちょび髭を生やしたじいさんだ。
そのしたり顔がステラの怒りを仰ぐ。
「ステラ! 小生が巨大化して挟み撃ちにするか⁉」
「こんな大勢がいるところでウメボシが大きくなったら、騒ぎになる!」
「現時点でも変わらんぞ!」
「今は野次馬、あんたが大きくなったら悲鳴に変わる!」
下から指をさされ、「あれなにー?」「見ちゃいけません!」という会話が耳に入った。
警察官だというのに! 以前の猫探しでも同じことを言われた気がするが、正義を貫くとは大変である。
見知らぬお宅のベランダに失敬して、手摺を蹴り上げまた飛び上がった。
空中に揺蕩うフィッシュテールワンピースの裾が美しいが、今はそんな悠長なことを言っている場合じゃない。
ターゲットのじいさんを睨み上げると、ちょうど飛び上がったところだ。
次に移る屋台まで、少々距離があるので大きく飛んだのだ。
つまり、今は無抵抗の状態。
ステラは標準を定めると、呪文を叫んだ。
「エリクシル! (引力)」
もらった。
これでじいさんが飛んでくるはずだ。
勝利を確信した笑みを浮かべ、足を止めた瞬間だった。
「ギャー⁉」
「甘い! 旨い!」
ステラの顔面に、香り高く甘い果汁が詰まった桃がぶつかったのだ。
肩にしがみついていたウメボシにもその飛沫がかかり、悲鳴と一緒に食レポまで披露する始末。
「術がかかったと思ったか? 甘いわ小娘!」
カッカッカ……と笑い、目に入った汁を拭うステラを一瞥した。
そのまま跳ねるように街灯を伝い、じいさんは小さくなっていく。
「にゃろう……⁉」
顔面に張り付いた桃の皮を取っ払い、歯ぎしりする。
ステラの術がかかる直前、じいさんはどこかからくすねた桃を自分の後ろに放り投げたのだ。
被害が周りに行かないよう、範囲を最小限に抑えた魔法が認知したのはその桃だけ。
気遣いが仇となったのだ。
「もう許さない! 絶対に捕まえて警察に突き出してやる!」
「やれるものならやってみせい!」
跳ねて飛んで走って怒鳴って。
もう一歩というところでヒラリと優雅に躱される。
息が乱れ、汗が地面に模様を描く。
「ステラ、一旦止まれ!」
「何言ってんの、止まったら逃すでしょ!」
「あのオジジ、可笑しいとは思わんか⁉」
脚を止めることなく、煽り続けるじいさんを睨みながらウメボシに耳だけを傾ける。
「小生にはあのオジジがただのオジジに見えぬ! あの身のこなし、その気になればステラを振り切れるはずだ!」
「喧嘩売ってるんじゃないの⁉」
「何のためにだ⁉ わざとステラの気を引いて楽しんでるようにしか見えん!」
「根性が腐ってるんだよ!」
「ほれほれー! 余計なことを喋っておるとワシに負けるぞー?」
「なんというオジジだ、地獄耳だな」
「口達者な子豚じゃのー」
「ステラ‼ あのオジジのふざけた三つ編みを燃やしてやるぞ‼」
頭に血がのぼっているステラには、ウメボシの冷静な分析に耳を傾けることが出来ない。
そして唯一頭を回していたウメボシも、ステラと一緒になって目をひん剥き怒り狂うことに。 お手上げである。
怒りと焦り身を任せ、また街灯から街灯に飛び移った。
上から下から、ゆっくり距離を縮めていく。
今度はバレないように、片手でピストルの構えを取る。
「ここまできたか。中々やりおるな」
「それはどうも! ラファエル!(捕縛)」
「ほう」
警察にのみに許された捕縛魔法。対象が被疑者のみに許される魔法だが、これは立派な犯罪とだ。
因みに唯一かけたことあるのは、自国の第二皇子のみである。
緑の糸がじいさんに向かって襲いかかる。
今度こそ捕らえたと、糸を引き絞ろうとした時だった。
「イントルダ(真空)」
よく聞きなれた呪文が、ステラの耳に届いた。
それはヒルおじさんから教わった、魔法の一つだ。
じいさんが放ったその魔法はステラの捕縛魔法捉え、空中で糸を止める。
魔法捉えられたことより、奥歯を噛み締めた。
「重力魔法……‼」
「ほっほっほ! お嬢ちゃんとお揃いじゃな」
「こんのっ……!」
イントルダは空間指定が難しい魔法である。
ステラも何度か使用しているが、少なくとも街中を走り回りながら使うような魔法じゃない。
失敗すれば周りにも甚大な被害が出る魔法だ。
「しかし、お主は魔力のコントロールがうまいのう。重力を、それこそ手足のように使い込ますのは至難の技じゃろうて」
「(嬉しくない……!)」
そこまで見破られていたのか。
褒められてここまで嬉しくないのは初めてだ。
ヒルおじさん以外に初めて会った重力魔法の使い手に、鼻っ柱をへし折られてそんな気分になれるものか。
折角詰めた距離も再び開き、じいさんの小さな背中がより一層小さくなっていく。
「小生は別行動で近くの警察に知らせてくる!」
「私が捕まえる!」
「躍起になるな!」
とうとうウメボシがステラの肩を蹴り、集う人々の中に飛び降りた。
周りにいた人々は驚き、ウメボシのために道を開ける。
「深追いするでないぞ!」
「わかってる!」
嘘である。
わかっていないし、ステラが捕まえる気満々だ。
「(捕縛魔法が弾かれるなんて!)」
あの魔法を弾くのはよっぽどの魔法の使い手だ。
イントルダを片手間に使い、捕縛魔法を捉える。
そんじゃそこらの一般市民には出来ないことばかりだ。
捕縛魔法の鞭を振るい、まるで牧羊犬のように爺さんを街中に追い立てていく。
すると、ようやくじいさんの脚が止まった。
木や街灯を伝っていたのだが、肝心な橋渡しとなる物が途切れたのだ。
「やっと止まった!」
「困ったのう、どうしたものか」
見る限り、荷物は無事のようだ。
今度こそ、と指に捕縛魔法の糸を集める。
「お姉さん、どうか見逃してくれんかのう? 老い先短い人生なんじゃ」
「残念です。その老い先短い残りの人生を刑務所の中で過ごさないといけないだなんて」
「なんとかならんかのう」
「なりませんね」
潤んだ目で懇願されるも、無慈悲。
なんといわれようとも、ステラはステラのやるべきことを為さなければいけない。
ポリポリと頬をかくじいさんに向かって、今度こそ捕縛魔法を解き放った。
だが。
「――――待ってください!」
「……氷⁉」
じいさんが立っている街灯の下から、巨大な氷が出現した。
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