13,老人 1
「じゃあステラ、気をつけてね」
「うん! お母さんも気をつけてね」
親孝行と称しての旅行はあっという間だった。
食べては遊び食べては観光し食べては体験し……。
よく動くステラですら腹回りが気になってきたくらいだ。
そんなこと繰り返し、早一週間。
そんな楽しい時間の終わりが迫っていた。
「もっと居たかったけど、しょうがないわね」
「果物達のお世話があるからしょうがないよ。ずっと村の皆に任せておくわけにもいかないし」
大荷物を持ったラナは、大きな船を見上げた。
大勢の人間がセレスタンの大地を名残惜しそうに何度も振り返りながら、その姿を船内に消していった。
ラナの片手には、その船に乗るための切符が。向かいに立つステラの手には、何も握られていない。
「そうよね。皆のお土産も沢山買ったし、早く帰って渡さなきゃね」
「楽しみにしてるんでしょ? 皆によろしくね」
ステラの休暇は二週間ある。
だがラナにも仕事がある。溜まりに溜まった休暇を、まるっと付き合ってもらうわけにはいかない。
ここからはステラの一人旅となるのだ。
「ウメボシちゃん、ステラのことをくれぐれもよろしくね」
「勿論だ。小生に任せておけば何も問題ないぞ!」
「頼もしいわ!」
「本当に頼もしいよ。主に後ろ姿が」
ステラは額を押さえた。
セレスタン国の食べ物は美味しい。喜ばしいことに、ウメボシの口にも合ったようで、この一週間の間に一回りでかくなっていた。
運動量より食べる量が上回っているというのか。本気で頭が痛い。
「ホテルは取ってあるの?」
「ううん、これから。これ以上ヒルおじさんにお世話になるわけにいかないしね」
ずり落ちてきた鞄を再び肩にかけ直し、頬を掻く。
ヒルおじさんには母と二人で一週間だけセレスタンに泊まる、と伝えてあった。
なのでヒルおじさんとしてもその先ステラが一人で残ることを知らされていないことになる。
もしそのことが伝われば、残りの日数もヒルおじさんがホテルを手配してくれるだろう。
流石にそこまで甘えるわけにはいかない。
ラナは心配そうに眉を下げた。
「今からでも遅くないんじゃない? ヒルさんにお願いしてホテルをとってもらったら?」
「大丈夫だよ! 調べたらこの辺りに格安ホテルがいっぱいあるって、書いてあるから!」
本音を言えば、これ以上ヒルおじさんにお金を出して貰うのが心苦しいから、という点が上げられる。
そのことを悟られまいと、ステラはラナの手を握った。
「ちゃんと安全第一で観光するから。お母さんは心配しないで」
「そうね、ステラも大人になるんだものね……」
二人の別れに終わりを告げるように、船の汽笛が鳴った。
出航の合図だ。
「向こうに着いたら手紙書いてね!」
「分かったわ、ステラも気をつけてね」
最後に一度抱きしめ合うと、懐かしい匂いがした。
それはとても安心する、ステラの大好きな母の匂いだった。
離れていく身体が寂しいけど、こればかりはしょうがない。
甲板から手を振るラナが、だんだん小さくなる。
潮風に揉まれて故郷に帰る母を見送ると、足元に座るウメボシの頭を一撫でした。
「私達も宿を探さなきゃ」
「うむ。して、ここに残って何をするのだ?」
「観光及び、自分のルーツ探し」
「あぁ、人間にはよくあることだな。自分を見失った若者が自分探しの旅に出るというやつか」
「そこまで青春臭くないよ。ただ、この眼やスピカ様について知りたいかな」
首元のチョーカーを無意識に撫でた。
他の人が持っていなくて自分だけが持っている、特別な力。
昔からのコンプレックスの一つであり、大人になるにつれてようやくうまく付き合うことが出来るようになってきたこの眼は、なぜ自分だけにあるのか。
ステラは拡張魔法にかかった鞄を背中に追いやった。
「宿が混む前に行こっか」
「地面が熱い。抱っこを許す」
「もっと暑いわ! そして重い!」
「尊き存在である小生の体積が増えたのだぞ? この広い世の中に数ミリでも存在が増えたことに感謝すべきだ」
「悪い方向に開き直ってる……」
とは言うものの、確かに地面は熱い。肉球が火傷しては可哀想だろうか。
結局ウメボシに甘いステラは、暑苦しい毛玉を抱えるハメになった。
「宿を取った後は行く宛てがあるのか?」
「ないけど、先に顔を出したい場所はあるかな」
「どこだ? 気になる飯屋でもあるのか?」
「食べ物から離れてよ!
あ、あそこ! セレスタン宮殿!」
ほっと、ウメボシが小さく声を漏らした。
その建物の屋根は、まるでタマネギのように丸い。
もちろん白亜を基調としており、赤いドームに金の装飾は聖なる空気を感じる。
そしてでかい。ドルネアート城と良い勝負だ。
「エドガー師範とかイライザさんに会いたくて。……あ、でもエドガー師範って皇太子だから手紙で一報入れた方が良いかな」
「パトロールでは無いぞ、連絡をするのが礼儀だ」
こんなムチムチ狐に常識を語られるとは。
こんなことなら昨日の夜にでも書いておけばよかった。
「宮殿の近くにも宿はいっぱいあるみたい。そっちに行こうか」
「よいではないか。なんならエドガーが宮殿から出てくるまで待ち伏せしてやれ」
「お縄行き案件確定です」
足は地図を辿ってセレスタン宮殿に向かって行く。
順調に宮殿が近付き、ステラの作戦は滞りなく流れている。
「次はこっちを曲がって……」
明るい大通りを曲がると、ステラの目に小さな人影が入った。
「ぅ……」
「だ、大丈夫ですか⁉」
目と鼻の先に、フードを目深に被った人物が蹲っていた。
慌てて駆け寄り、その小さな背中をさする。
顔は見えないが、その声から推測するに老人のようだ。
「み、水を……」
「脱水症状⁉ ちょっと待ってください!」
この炎天下だ、油断すると脱水症状になるのは十分にあり得る。
特にお年寄りは喉が渇いたという感覚が鈍いため、ドルネアートでもよく事例は発生している。
鞄の中から水を取り出そうと屈んだ瞬間――
「もらったぞい」
「へ?」
肩から下ろしたばかりの鞄が、視界から一瞬にして消えた。
何が起こったのか理解する前に、ステラの頭の上を黒い影が飛び上がる。
屋台の屋根に駆け上がる姿を見て、ようやく理解した。
ひったくりだ。
「ほほほ、油断大敵じゃ。これは貰っていくからの~」
猿か、とでも言いたいくらい軽い身のこなし。
屋台の屋根を伝って、あっという間に老人はステラ達がいた場所から走り去っていった。
「何をしておる! 追いかけねば!」
「へぇー……」
指をパキン……と鳴らす。
その眼に正義はなく、燃やすのは闘争心。
「この私からひったくりをするとは……」
「(あの老人、死んだな)」
スピカの眼を持っていないウメボシでも、その未来は視えたようだ。
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