7,事件の合図 6

「やー……久しぶりだねぇ……」

「全くだ。掌底をプレゼントしてくれたあの日以来か」

「その節はどうも……」


 居ても可笑しくない。

 だがこの人集りでよくも見付けてくれたものだ。


 どうか人違いであれ、と念を送るが、無駄だった。

 ぎこちないモーションで自分より遙かに高い金色を見上げる。あぁ、奴だ。

 この国に帰ってきたあの日から、レオナルドの事を徹底的に避けていたステラにとって随分と久しぶりの再会になった。


 別れ方が別れ方だったので、かなり気まずい。


「あのう、離していただけないでしょうか」

「また掌底を喰らうわけにはいかないからな。普通の人間なら顎が砕けていたぞ」

「流石レオナルドさんとっさに防御魔法を張ったその動体視力には恐れおののき畏敬の念で涙する所存にございますじゃあね‼」

「逃がすか」

「ギャミッ‼」

「申し訳ありません、ステラ様」


 アスリート顔負けのダッシュを披露するも、残念ながらレオナルドにはお見通しだ。

 数歩走った後、金色の毛玉に突っ込んだのだ。


 急ブレーキが間に合うはずもなく、温かな毛に包まれる。


「ウルッ……!」

「ステラをこっちへ」

「かしこまりました」 


 ステラが逃げないように、ジェラルドの制服を食む。

 破いてはならないと、上官の制服を大切にするステラの心理を逆手に取っていた。


「俺が言いたいことはレブロンが粗方言っていたな」

「……言いたいことはわかるよ。でも私は自分が間違っているなんて思ってないからね」

「俺もそう思う」


 おや、意外。

 ステラは目を瞬かせた。


 てっきりベンベンに叱られるものかと思っていたが、やけに穏やかじゃないか。


「以前俺がステラに怒鳴ったのも、似たような理由だったな」

「リタにもほじくり返されたんだけど」

「知っている。けど、今ならステラがレブロンを助けに行った気持ちもわかる」

「ブベッ!」

 

 疑問を口にする前に、レオナルドの大きな右手でステラの頬を掴まれた。やだ、デジャヴ。

 ぶにゅっと口が突き出て、少なくとも恋する乙女が好きな人に披露する顔じゃないということは確かだ。


「大切な人が危険な目に合っている。助ける理由は十分だ」


 大切な人、つまり目の前のステラを示しているのだが、如何せん顔がひん曲がっているのでどうもそんな雰囲気にならない。

 なんとかレオナルドの拘束から顔を振りほどき、頬を摩った。


「お前は警察官として、レブロンの友人として立派だった。

 ……だが、卒業試験のことを覚えているか?」

「……あ……」


 思い出したのは、ステラを庇って地面に落ちていくレオナルド。

 あの時に抱いた激昂と、先程のリタの感情が重なった。


 ハッと顔を上げると、静かな天色の瞳と視線が絡まる。


「レブロン気持ちは、お前もわかるだろう?」

「私、何にも成長してなかった……」

「あの時と違ってステラにも立場がある。似た境遇の俺は強く言えないが……」


 手首を掴まれ、よろける。

 ステラの額がレオナルドの肩に当たり、鈍い音を立てた。


「頼むから一人で行かないでくれ」


 切望は、ステラだけの耳に届く。

 これだけ周りに人が沢山居るというのに、まるで二人っきりの世界だ。


「わ、わかった、今度こそはちゃんと応援を待つよ!」

「前科があり過ぎて随分と軽く聞こえるな」

「反省してるから‼」


 残念ながら、ステラは人前で手を繋ぐなどできない女である。ましてやハグなどもってのほか。


 が、思いの外すんなりと解放された。


「今は仕事中だからな。この後の説教と前の話の続きは今度にするか」

「前っ……⁉」


 器用なことに、一瞬で顔に血が登った。

 一日たりとも忘れたことは無い、人生初の告白劇が鮮明に思い出される。


「そ、そそそそれはっ……‼ あ、仕事、仕事に戻らなきゃ‼ その石返して‼ 落し物として処理するから‼」

「これは落し物じゃないな」

「あのう、それ……」


 ループタイの男が二人の会話に割って入った。その男はリタがいないとジェラルド達に申告した男だ。

 ステラが取り上げた石を、震えた指で示している。


「それ、うちの商品です……!」

「貴社の商品……ならさっき男達がポケットに忍ばせておいたのかもしれませんね。もしくは先程の爆風で飛ばされたか……」


 ギクリ。


 つなまらさそうに石を見ながらぼやくレオナルドの〝爆発〟というワードにステラの肩が震えた。


「なんなんだ、さっきの爆発。あんな魔法使えたか?」

「サァ? ナンノコトヤラ?」

「おい。また危険なことをしているんじゃないだろうな」


 また尋問されそうな雰囲気である。

 どうやって逃げようか視線を彷徨わせると、非難してきたアルローデン商社の社員達が異様な空気を醸し出しているのに気が付いた。


「嘘でしょ……もしかしたらあれ以外にも……⁉」

「ということは、在庫の数が狂っているんじゃないか?」

「待ってよ! 今月棚卸しじゃないの‼」

「売上金額と合わない‼」

「しかも来月決算‼」


 先程の騒ぎとは違う種類の恐怖が、その場に居る人々に浮かんでいた。

 ガラリと替わった空気に、じゃれていた二人もたじろぐ。


「な、なに? 皆何か可笑しくない?」

「まずいな」


 棚卸しって何?


 疑問がステラの小さな脳みそに浮かんだ所で、レオナルドに担ぎ上げられた。


 何故なら、まるで闘牛のようにステラ達に走ってきたからだ。正確には後ろにある会社に、だ。


「今すぐ在庫を確認しろ‼」

「こんなことで休日出勤なんて冗談じゃ無いぞ‼」

「足りない物は草の根を分けてでも探し出せ‼」




「何事⁉」

「棚卸しだ。数ヶ月に一度、在庫数と売上金額が合っているかの確認がある。今月がその棚卸しの月なんだろう」


 まるでサバンナを掛けるヌーのよう。

 レオナルドがステラを移動させていなければ、今頃ペッシャンコだ。


 あの建物にこんなに人が居たのかと思うほど、躍起になる社会人達を物陰から見守る。


「売上金額を合わせるために……なんだか大変そう」

「会社の利益がどれだけかを確定させるために必要なことだからな」

「じゃあ合わなかったらどうなるの?」

「合わない原因を突き止めるために、全員が残業して徹底的に調べ上げる」

「地獄じゃん」


 しかしその企業努力があってこその、国一といえる商社。

 確固たる地位を築くのには、人の努力が必要なのである。

 

 そんな厳しい環境下でリタも毎日働いている。

 親友として誇らしいと、ステラは一人感動する


「でも今は会社に入れないでしょ? 警察と王国騎士団が封鎖してるんじゃない?」

「きっとな」

「じゃあこんな所で油売ってる場合じゃないよ! 私達も戻らないと!」

「お前は十分過ぎる働きをしただろう。まだ働くつもりか」

「警察官として当たり前‼」

「…………」

「な、なにさ……っぎゃあ⁉」


 なんと。レオナルドによって着ていた制服の前を開けられたのだ。

 その下から出てくるのはボロ布同然のシャツ。しかもはだけて下着が見えかけている。


「何すんの、変態ッ‼」

「何だそれは」


 相手がステラとはいえ、急に女性の服を開けるものではない。

 咄嗟に下着を覆い隠すが、レオナルドの視線はもう少し上にズレている。


「何だって、そっちこそなんだ‼」


 レオナルドの視線の先にはチョーカーがあった。だがレオナルドが指しているのは、どうもそのことではないらしい。

 少しささくれのある太い指が、ステラの首を撫でた。


「この傷」

「傷ぅ? あー……そういえば……」


 ナイフを当てられた時にできたのか。

 思い出したらなんとなく痒くなってきた。


 どれくらいの深さか確認しようと、するとその手を掴まれた。


「ヒッ⁉」


 まるで獲物を仕留めるかのように、レオナルドがステラの喉元に唇を寄せた。

 ぬるりとした感触が傷を伝い、腰から背中にかけて言葉にできない何かが這い上がる。


 悲鳴にも似た声が漏れだしそうになり、咄嗟に奥歯を噛み締めた。


「…………っ……⁉」


 実際はほんの数秒。体感にして数時間。


 一体何が起こっているのか、理解するには余りにも短すぎる時間だった。

 回らない頭で状況整理をしようと思いついた矢先、レオナルドが離れていくことによってようやく解放された。


 とりあえず言えることは、手をあげなかった自分を褒め称えてやりたい。


「どっちにやられた」

「な、なんでこんなこと……!」

「どっちに傷つけられたと聞いているんだ」


 肩からジェラルドの制服がずり落ちた。

 上書きするように、レオナルドのマントが肩に覆い被さる。


「まぁいい。あの二人組のどちらかというのには変わりない。両方切り刻めば良い」

「大袈裟! 転んで出来た傷より浅いよ!」

「俺じゃない男に傷付けられた。理由は十分だ」


 こいつ、こんなに重たい男だったか? 嬉しいけど……いやいや、嬉しいってなんだ。

 思わず一人コントが始まるところだった。


 身を捩って少しでもレオナルドから距離を取ろうとすると、脚の間にレオナルドのそれはそれはとても長い素敵な脚が捻じ込まれ、逃走経路が絶たれた。


 退けて、と念を込めて見上げると、一瞬息が止まる。


 澄んだ天色の瞳に、怒りが燃えさかっていたのだ。

 余りにも美しく、気高い光はステラを飲み込まんばかりに見下ろしていた。



「(あ、)」



 顔がぶつかる。

 直感的に、レオナルドが何をしたいのかわかってしまった。


 ボディーブロー、頭突き、足払い。瞬時に突き放す方法を漁るも、間に合わない。


 しゃあねぇ、噛み付くか。


 覚悟を決め、受け入れ体勢を整えた時だ。




「そこまでなー……っいだーッ⁉ なんで噛み付くんだー⁉」

「ぅえ、はるあんへんへぇ?」

「離せ、ステラー‼」


 接触事故が起こる寸前に、二人の間へパーテーションの如く現れた一枚の掌。

 レオナルドの口に噛み付いてやろうと思っていたのに、飛び込んできたカルバンの手に食らい付いてしまったのだ。


「何のようですか、カルバン副団長」

「何の用ってなぁー⁉ 今お前ら仕事中だぞー‼」

「チッ」

「舌打ちー⁉」


 くっきりと残った歯形に息を吹きかけ、涙目だ。


「急に手を出す先生が悪いんですよ、私はレオナルドに噛み付こうとしたんですからね」

「おい、あの空気で噛み付こうとしたのか?」


 足元に落ちたジェラルドの服を拾うと、ステラは二人に背を向けた。


「私、交通整理してきます!」

「いててて……俺達も後から手伝いに行くからなー」


 返事を返すことなく、流れる人の中に紛れる。


 その耳が真っ赤に染まっているのを、レオナルドは見落とさなかった。




「ちゃんと後から手当を受けさせるから安心しろー」

「いいえ、今すぐ追いかけて俺が治療します」

「お前なぁ、あんな無理矢理迫っていたら嫌われるぞー」

「どこから見ていたんですか? 悪趣味ですね」

「(八つ当たりだろー……)」


 青臭い元生徒達の恋路は、中々順調に行かないようだ。


 カルバンは殺気立つレオナルドの横で、苦笑を零した。


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