4,事件の合図 3


 リタの口の端には血が滲んでいた。

 殴られた衝撃で、切れたのだろう。


 燃えさかる怒りを内に押し込め、冷静の仮面を被って男達と向かい合う。


「警察です。その人達を離しなさい」

「警察ゥ? お前みたいなクソガキが?」

「おいおい、一人で来たのか」


 せせら笑うその顔に一層憤怒が湧き上がるが、冷静さを欠くことは許されない。


 一人の男がリタを無理矢理立たせ、その白く細い首にナイフを突き付けた。


「その人達を解放しなさい」

「この状況で離すと思うか? おっと、それ以上動くなよ!」

「お前が一歩動くごとに耳から削いでいくからな!」


 

 リタの目に恐怖が滲み、唇が小さく振るえる。

 捕らわれているリタの同僚も、同じ感情を露わにして青ざめていた。


「ならば、人質の交換を要求します」

「そんなもん通るわけねェだろ!」

「通ります。人質になるのは私の仕事です」


 腰に差してあったトンファーを床に置き、ナックルを外した。

 手錠が入っている帯革も捨てて、制服の上着を脱ぎ捨ててカッターシャツ一枚になる。

 誰がどう見ても丸腰だ。


「私でも彼女でも、人質の価値に変わりはありません。ですが私は警察です。人の命を守ることが使命です」


 頭の後ろで手を組んだ。それは、完全に降参したという証だった。

 両膝を地面についた所で、リタの目に涙が浮かんだ。


「あなた達も私の方が精神的に楽でしょう。怯える人間を傷付けるより、覚悟のある人間の方が罪悪感も少ないはずです。そして人質の人数も少ない方が、逃走した後も移動するのに手間がかからないでしょう。何より、私はこの中で誰よりも小柄。抵抗する力も一番小さいです」

「……おい」

「おう……」


 リタを捕まえていた男の後ろから、もう一人がステラに近付いてくる。


 自分の心臓の音が、うるさい。



 出来るだけ目を合わせないように、床へ目を反らしていると冷たい金属の感触が手首に当たった。


「(魔法が発動しない……)」


 試しに魔力を込めてみるが、何も反応しない。

 強盗犯に軽く肩を押されると、抵抗する間もなく床に身体が倒れ込んだ。そして、首元にナイフが突き付けられる。


「そいつらを離してやれ」

「あいよ」


 交渉が成立したのだ。


 視界の端で、リタ達の手錠が外れられるのを確認する。

 これでいいのだ。


 首に当てられたナイフが、皮を一枚破った。首の裏まで、血が流れる感覚が擽ったい。


「いいか、お前達が少しでも変な行動を起こせばこの女の首を一気に落とすからな‼」

「そんな脅しなんて必要無いですよ。彼女達はあなた達に恐れを抱いている」


 抑揚のないステラの声が、激昂に駆られている男の声に被さった。

 もう一人の男に背中を押されたリタ達は、よろけながら倉庫の外へ歩いて行く。


 ステラは目を閉じた。


「(リタ……)」


 どうか自分を責めないで欲しい。

 きっとステラの事を案じているだろう。恐怖や罪悪感で彩られた瞳が、安易に想像できる。


 だがリタ達がそんな想いを抱える必要は無いのだ。

 ステラは警察なのだから。


 遠ざかる足音を確認して、ステラは目を開いた。

 首元に当てられていたナイフの刃の感触が無くなったことも有り、少し深く息を吸うことが叶った。


「大人しくしていろ。終わったらお前にもご褒美をやるからよォ」

「ヒヒヒッ! 俺達にご褒美の間違いなんじゃないのか?」

「そうかもな」


 ビリィッ……!


 布の破れる悲鳴にも似た音が、ステラの耳に届く。

 目線を下にスライドさせると、納得する。


 ステラのカッターシャツが、ナイフによって切り裂かれていたのだ。


「良い身体してるじゃねェか」

「おっ! こいつも高く売れそうだな?」

「目も見かけねェ色だな。顔も男受けするぞ。世の変態どもには持って来いだな!」

「その前に味見が必要だけどなァ!」

「こいつ、恥じらいもないのか? ちったァ可愛い反応見せろよなー」

「そういうプライドを打ち砕くのが一番楽しいんだよなァ」


 表情筋一本動かさず、ステラは只男達の会話を聞いているだけだった。

 やだやだ、もの凄く下品。変態はどっちだ。


 再び商品を袋に詰め込む男達の背中を盗み見し、出来る限りの情報を回収する。


「(黒い帽子に黒い服。顔は布で覆われていて目と声しかわからない。身長はフレディ先輩と同じくらいの中肉中背。もう片方は少々小太り。……よくある体型だ。武器は持っているナイフと……魔法銃? 裏ルートで手に入れたのかな)」


 思っていたより情報源が少ない。男達の魔法属性は? 年齢は? 出身地は?

 情報は弱みになるという心得もあるようだ。


 ここで逃すと、犯人特定は難しい。さて、どうしたものか。

 

 口を動かしながらめ手を休めない器用さ、今回が初犯でないと窺わせる手際の良さだ。

 ふと、男達の近くに青白く光る物を見つける。


「(転移魔法陣……⁉)」


 何回か見たことある陣が、いつでも発動できるようにと床に描かれている。

 ステラ自信も何度も使用しており、大きなものでは学生時代にエドガーが使用した術に乗って大幅な距離を転移したこともある。


 術痕を残すのは、また追跡もしやすいということ。

 余程逃走ルートに自信があるのか、術痕を消す技でもあるのか。前科があるなら詳しく調べるべきだろう。




 ステラは首をもたげた。


「……行った?」

「うむ。しかし無様な無様な姿だな、とてもでは無いが警察官の姿とは思えぬ」

「友達を守った勇敢なる婦警さんの末路だよ」


 倉庫の外で待機していたウメボシが、足音も立てずに駆け寄った。

 主人が拘束されているというのに、異様なほど落ち着いた様子で手錠の匂いを嗅いでいる。


 ウメボシを外に待機させていたのは、正解だった。


「おい‼ 何をやっている⁉」

「犬かッ⁉」

「愚か者めッ‼ 小生の何処をどう見たら犬に見えるのだ‼」

「ちょ、うるさいんだけど」


 耳元で叫ぶな、耳元で。


 鬱陶しいと言わんばかりに顔を顰めて見せ、反動を付けて上半身を起こした。

 シャツがはだけて下着が男達から丸見えだろうが、ステラは眉一つ動かさない。


「ステラよ‼ この者達は無礼だ‼」

「そうだね、強盗してる時点でもの凄く無礼だね」

「喋っている……使い魔か‼」

「落ち着け、ただの小っこい犬に何が出来る? 殴って黙らせておけ‼」


 怒りで真っ赤に染まった顔で、男の一人が大股でステラに近づく。

 そんな男とは対照的に、怒りを通り越して頭の芯が冷たく冴え渡っている。


 澄み渡った目で、近付く黒い影を見上げた。


「ちょっと丁寧に扱ってやったら図に乗りやがって‼」

「失礼。こちらも精一杯なもので」

「ステラよ、時は満ちた! 立ち上がれ‼」


 猛々しく吠えるウメボシの横で、ステラは両腕に力を入れた。


 パキンッ……


 細い金属音が、倉庫に木霊する。


「何っ……⁉」

「おい! 手錠がかかっていなかったのか⁉」

「かかっていたよ」


 よっこいしょ……と立ち上がり、背後の手錠を拾い上げた。

 人差し指で手錠を掲げて見せる。見事に壊れていた。


「腕力だけで壊したのか⁉」

「何やってんだ‼ とっとと捕まえろ‼」


 ステラは興味なさげに手錠へ一瞥くれると、手錠を床に打ち捨てた。

 その足元では、ウメボシが逆毛を立てて男達を威嚇している。


「流石に鉄を腕力でひん曲げるほど、筋トレはしていないかな」

「そうだぞ‼ ステラはまだ人間だ‼」

「これからも人間の予定だよ」


 一人と一匹の口元が怪しく歪んだ。

 その姿を見た男は、息を飲んで一歩下がる。


「この手錠は確かに魔力を封じ込めてた。一般人の魔力くらいなら、人質に取るのにピッタリな石の大きさだね。


 ――けど、〝私達〟には足りないよ」





 刹那、ステラとウメボシが白い霧に包まれた。

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