25,卒業式


 指先が悴むような寒さがなくなり、若々しい新芽があちこちで芽吹こうとしていた。


 卒業証書を持ち、学校を見上げるのはステラだ。

 その横に立つのは親友のリタとエルミラ。彼女達もまた、ステラと同様に卒業証書を抱えている。


「卒業、出来たわね」

「出来たね」

「一時はどうなるかと思いましたわ」


 リタは卒業後、商社に就職が決まっている。

 第一志望の商社から早々に内定が出ていて、彼女は進路が決まるのが早かった。


 一方でエルミラは、王国騎士団の専属医療チームから採用通知が届いており、来月から見習いになる。

 こちらも狭き門で、一握りの者しか入れない超難関の就職先だ。


「二人とも凄いよ、もうバリキャリ感出てきてる」

「気のせいにも程がありましてよ」

「とか言いつつ、悪い気はしていないのがエルミラよね」


 こんなやり取りも暫く出来なくなるのか、とステラの胸がキュッと縮まる。


「今までより会う回数は減るかもしれないけれど、時間を作って遊びましょうよ」

「いいですわね、たまにはゆっくりお茶を楽しみながらというのも新鮮ですわ」

「私はパピヨンレターを毎日二人に送る!」

「毎日は遠慮しておくわね」

「リタに同意ですわ」

「ここは〝待ってる〟って言ってくれた方が感動的では」


 社会人はそこまで暇でないという覚悟を持った上での返答である。


「おっ、いたいた‼」

「三人とも、そんなところに居たのかい」


 三人の友情の間に割り込んでくるのが、オリバーとデルマである。

 オリバーは最後まで底抜けに明るい。なんなら試験が終わった辺りから不気味なまでに明るい。とにかく明るいオリバーだ。


「なにしんみりしてるんだよー」

「しんみりもしますわ。この面子で揃うことなんて、今後あまりなくてよ」

「そりゃそうだけどよー」


 デルマが腰に手を当てて、胸を張った。


「恐れなくとも、僕達は同じドルネアートの空の下に居る。何も寂しがることはありませんぞ、エルミラ嬢!」

「またまたカッコつけちゃってさ、グルメったら!」

「デルマだ‼ グルメなのは間違ってはいないが‼」


 オリバーとデルマはこの春から王国騎士団への入隊が決まっている。

 つまり二人は同級生兼、同期になるのだ。


 興奮するデルマを抑え込むオリバーが、ステラに首だけ向けた。


「ステラはまだ試験結果出てないんだよな」

「そうなんだよね、来週中には発表だと思うんだけど」

「もし落ちていたら、引っ越し屋開業するんだろ? お前も向上心あるよな」

「来年も受けるわ!」


 この学校内で、ステラの進路は二択で噂になっている。

 婦警さんより引っ越し屋説の方が濃厚とされ、聞くたびに訂正を入れている。


「それでこそステラだ。で、俺はリタに用があるんだよ」

「あら、私に?」


 オリバーに連れていかれるリタを見送ると、エルミラが扇子を広げた。


「わたくし達も行かなくては。この後お父様達と会食がありますのよ」

「家族ぐるみでってやつ?」

「そうだ。貴族たるもの横の結びつきが大切なのでね」

「休んでる暇がないねー」


 結局最後まで貴族の付き合いが何を結ぶのか、ステラに理解は出来なかったが、大変だというのだけはよくわかったつもりだ。


「では参りましょう。あなたの採用合否結果、よい報告をお待ちしていますわ」

「引っ越し屋開業となったらすぐ声を掛けてくれたまえ。僕のコネクションで仕事を回そう!」

「だから開業しないってば‼」


残念ながら、ステラの言葉は届かず二人は行ってしまった。

 全く……と、ため息を吐いたところで、教師陣の中に見覚えのある色が見えた。

 

 ステラは、思わず走り出す。

 そこには己によく似た、赤髪の青年が立っていたのだ。



「師範‼」


 周りに居る大人達の血の気が引いた。

 何故なら、ステラが師範と呼び子供のように駆け寄ったのは、エドガー・ダリス・セレスタン。隣国の皇太子だからだ。


 キラキラと目を輝かせた満面の笑みのステラを、まるで保護者のような暖かな眼差しで迎える。


「ステラ! 卒業おめでとう!」

「ありがとうございます!」


 頭を撫でられ、嬉しそうに目を細める。


「卒業試験も、遠隔だけど見ていたよ。トンファーの使い方が随分と様になっていた」

「師範が国に帰ってたからも自主練は欠かさなかったんです!」

「向上心が高いのはいいことだよ。君にトンファーの文献を持ってきたんだ。後で渡すから、読んで参考にしてみてもいいんじゃないかな」

「ありがとうございます!」


 一歩離れて見ればなんとなく、それなりの雰囲気に見えない、こともない。

 それが故、遠巻きにお嬢様軍団がたじろいでいた。


「ステラにトンファーを教えて正解だったよ。自分の身を守るためにも、人を守るのにも正しく使えていた」

「師範のお陰です! これなら婦警さんになっても持ち歩けるし、動きやすい」

「試験結果はまだだったんだよね?」

「はい、あと一週間はかかるかと」

「そうか……」


 顎に指を当てて考える仕草を見せる。

 それはほんの数秒間だった。


「そうだ! いいこと思いついた!」

「どうしたんですか?」

「もし採用試験に落ちたらセレスタンにおいで!」

「……はい?」


 ステラの目が、飛び出る限界まで見開かれた。


「きっと父も歓迎する。時間があるときに稽古も付けてあげられる。なんならわざわざドルネアートの警察官にならなくても、セレスタンでもいいんじゃないか? いや、いっそのこと王国騎士団に「やぁやぁエドガー先生! お久しぶりですなー!」おや、カルバン先生」


 エドガーの暴走が始まりかけた時、カルバンが二人の間に入った。


「お元気そうで何よりです」

「エドガー先生もお変わりないようでー」

「ちょっとカルバン先生! 押さないでくださいよ!」

「お前ばっかりエドガー先生と喋ってずるいぞー!」


 ふといつぞや、お嬢様軍団もステラに「あなたばかりレオ様とお喋りしてずるいわ。私達も、もっとレオ様とお近付きになりたいのに!」と言われ、肩を小突かれたのを思い出した。


「(まさかカルバン先生……)」

「いや~あの時は急に国に帰られるってことだったから、ゆっくり話も出来なかったんで自分も心残りだったんですよー」

「急な話で申し訳ありませんでした。そうだ、近い内に食事でも行きましょう!」

「本当ですか⁉ 嬉しいなぁー‼」


 間違いない。

 ステラに秘められしパンの食べカスレベル程度に備わった、女の勘が発動した。


 その場を離れようとすると、背中に暖かいものがぶつかった。


「お、エドガー。お前も来ていたのか」

「レオナルド‼ あっち行こう‼」

「なんでだ」


 嫌と言うほど見てきたレオナルドの顔が、自分の頭のすぐ上にあった。


 ぶつかってごめん、など謝罪の言葉が出てこない程、ステラは焦っていた。

 精一杯背伸びして、レオナルドの耳元に口を持っていく。


「今わかったことなんだけどね、」

「あぁ」

「カルバン先生って、多分エドガー先生のこと好きだよ」

「カルバン先生がエドガーのこと好きだって、こいつが言ってます」

「なんで言うの⁉」

「まさかの事実にびっくりしたから、つい」

「こっちがびっくりだわ!」


 折角気を使おうと思ったのに台無しだ‼

 気まずそうに後ろを振り返れば、頭を抱えたカルバンと、キョトン顔のエドガー。


「違う……お前は全くもって見当違いな事を……」

「うーん……そうですね、公の場で傷付ける訳にも行きませんし、後で校舎裏でもいいですか?」

「マジレスしないでください、しかも絶対振られるやつじゃないですかー!」

「私はカルバン先生のこと、応援しています!」

「ステラ、後でじっくり話そうな」


 話したところで卒業した後も、ステラは勘違いしたままだろう。


「エドガー様、あらちの方が……」

「あぁ」


 いつぞやの、ピンクがかった髪の女性が、エドガーへ控えめに声を掛けた。


「(気配が無い……)」


 存在感が無い訳では無い。

 息づかい、足音、視線誘導。全てに気を遣っての気配の無さだ。


 目が合うと小さく会釈する。


「じゃあ僕はこの辺で。ステラ、さっきの話を前向きに検討して置いてね」

「それはしませんってば!」


 僅かな時間ではあるが、同色の師との再会は何よりのお祝い。

 しかし最後の最後まで冗談だったのか、本気だったのかはわからないままだった。


 一歩ステラ達の輪から外れると、あっという間に別のグループに入ってしまった。

 皇太子という立場は、ステラが想像も出来ないほど大変なのだ。


「さっきの話って?」

「警察試験に落ちたらセレスタンに来ないかって」

「行くのか」

「んなわけないでしょうが」


 絶対この国で警察官になる。そして、いつかあのお姉さんに会いに行くんだ。

 

「ステラは一度決めたら曲げない、猪みたいなタイプだからなー」

「先生? それ誉めてます?」

「誉めてる誉めてるー」


 こんな日でもカルバンの目は死んだまま。あの卒業試験の煌めきは一体なんだったのか。

 ステラと並んだレオナルドを見比べ、腰に手を当てた。


「ステラとレオナルドは最後まで面白いコンビだったなー」

「私はコンビ組んだつもりないんですけど!」

「指さすな」

「お前ら大丈夫だよな? 入学式のときと何にも変わっていないやり取りしてるけど、本当に大丈夫だよな⁉」


 あの日と同じように、ステラの腕がカルバンによって下ろされた。


「大丈夫ですよ、私は三年前より強くなりましたし、レオナルドは……なんか背が伸びた!」

「お前は背が縮んだな」

「先生! レオナルドが喧嘩売ってきます!」

「だぁーからやめろって!」


 二人の間にカルバンが割り込むのも、これが最後だろう。


 カルバンが深呼吸とため息を混ぜたような息を吐いた。


「お前らは舞台は違えど、この国を守ると決めた志を持つ同志だぞー」

「大丈夫ですよ、私達だってもう子供じゃないんだから、取っ組み合いもしません!」

「そうだよな、もうすぐ大人の仲間入りだもんなー」


 いつまでも子供ではない。

 来年の今頃には十八歳になっており、成人式もある。


「色んなことがあったし問題も山積みだったが、俺はお前らの担任で幸せだったよ。寂しくなるなー」

「カルバン先生でも寂しいって感情があるんですか⁉」

「俺も人間だぞ、ステラ⁉ あっ、お前まで意外そうな顔をするなレオナルド!」


 ムードもへったくれもない。

 ハエを払うように、カルバンは手をしっしっ! と横に振って見せた。


「ほら、もう行け! 元気でな!」

「はーい!」

「先生もお元気で」


 最後に二人で頭を軽く下げ、後ろで最後にカルバンへ挨拶しようと待っている他の生徒に場所を譲った。




「はぁ~~……」

「ため息を吐くと幸せが逃げるぞ」


 ステラは空を見上げた。

 空は赤に染まり始め、この場にいることを許されている時間が残り少なくなっているのがわかる。

 吸ったばかりの息を思いっきり吸い込んだ。


「レオナルドは王国騎士団の試験、受かったんだよね」

「まぁな」

「おめでとう」


 心からの、素直な言葉だった。


「いいなぁ、オリバー達と一緒なら寂しくないね」

「寂しくはないが、格段嬉しいわけでもないな」

「私はリタと一緒だったら嬉しいけどな」

「お前が商社に?」

「もしもの話だよ、も・し・も!」


 足下の小さな石を蹴った。

 もうすぐ成人になるというのに、まだほんの少し幼さが残ったままだ。


「私は寂しい……」

「会おうと思えばいつでも会える」

「なんで通常運転でいられるの」

「別に縁が切れるわけじゃない。お前は町中で俺に会ったらひれ伏すのか?」

「そんな私が想像できる?」

「言った自分が後悔した」


 怪訝な顔でレオナルドを見つめると、眉間にグッと皺を寄せていた。

 誰一人としてステラがレオナルドに頭を垂れる所など、想像出来ない。


 数秒間地面に視線を落とすと、ステラに聞こえるか聞こえないかの小声を漏らした。


「……それでも、どうしても寂しかったら俺を呼べ」

「なんて?」

「次会った時は、変速上段回し蹴りをマスターしとくって言ったんだよ」

「なんだ。それなら今からお手本を見せてあげるよ。コツは膝関節の柔軟さで、イメージで表すなら膝を高く上げて……」

「急に饒舌」


 聞こえていなくてよかったのか、悪かったのか。

 元気に技のレクチャーが始まってしまった。


「ちょっと! ちゃんと見てる⁉」

「アーナンテウツクシイフォームナンダロウ」

「でしょ⁉」


 だがそんな平穏な時間は、無情にも終わりが近付いている。


 ステラがレオナルドに変速上段回し蹴りをレクチャーしていると、四頭立ての馬車が大きな音を立てて二人の近くに停車した。

 その馬車にはドルネアート国の象徴である、獅子と剣をモチーフにした紋章が掲げられている。


 馬車が誰を迎えに来たかなど、聞かずとも一目瞭然だ。


「レオナルド様、お迎えに上がりました」

「ご苦労」

「……」


 回し蹴りの構えを解いた。

 先ほどまで生き生きしていた顔は曇り、縋るように馬車を見上げる。


「ステラ」

「…………へ?」


 名前を呼ばれたのはこれで二回目だ。驚きで間抜けな声を上げたステラの前に、手が差し出される。


「ん」

「……?」

「指相撲じゃない。しかも勝とうとするな」


 振りほどかれた手はレオナルドによって再び握られ、握手に落ち着いた。


「怪我するなよ」

「あんたも、あんまり無茶しないでね」


 目が潤むが、レオナルドの目から視線は逸らさない。


「教えてよ。騎士団に入ってからの目標は決まった?」

「お陰様でな」


 固く結ばれた手が自然に解かれた。

 熱を持っていた手が風で冷たく感じる。


「けど教えない」

「なんで⁉」


 レオナルドが馬車に乗り込んだ。窓が開き、中から顔を覗かせる。


「いつか教えてやるよ」

「いつかって、いつ?」

「さぁ。来週か来年か十年後か。気が向いたときだな」

「なにそれ、めっちゃ気になるんだけど‼」

「ずっと気になっていればいい」


 御者が馬に鞭を振るった。とうとう馬車が動き出す。

 ステラは、大きな声を張り上げた。


「レオナルド! 次に会うときは立派な婦警さんになってるから! あんたも頑張ってね!」

「お前もな! 人間の域は超えるなよ!」

「禁忌は犯さないわ!」

「そうしてくれ! またな!」


 助走を付けた馬が空を駆け上がる。

 紋章を掲げた旗が大きくはためき、あっという間にステラの手の届かない距離まで走り去った。


 王族と庶民がプライベートで会うのが、どれほど困難なことか。

 わかりきっていたが、不思議と寂しさは消え去っていた。


 三年間で育んだ絆は、容易く壊れない。




「またね……」


 ステラの瞳が夕日で輝いた。


 そう、寂しくない。首元のチョーカーをそっと撫でる。

 照れ隠しで聞こえないフリをした、レオナルドの優しさをお守りとしよう。


 見えなくなった馬車に背中を向けた。


 ステラの夢は、まだ叶っていない。

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