17,不審者撲滅
「はっ……はっ……」
薄暗く、朝陽すらまだ昇っていない校庭。
こんな時間に一人、走り込みをしている生徒がいた。
もちろん、ステラだ。
「よしっ……ランニング終わりっ……!」
持ってきていたボトルに口をつけ、水を体内に流し込む。
頬を伝う汗が、いかにして熱心に走っているかを物語っていた。
なんと素晴らしい青春か。
その足元のダンベルやハンドクリップにプッシュアップバーがなければ、もっと爽やかな学生の青春の一ページなのだが……。
用意してあったタオルで汗を拭うと、ようやく陽がステラを照らした。
「おはよう」
「へ、」
誰もいない、筈だった。
完全に油断しており、出てきたのは気の抜けるような空気混じりの声。
いつの間にかステラの隣に、男性が立っていたのだ。
「あ、おはようございマス……?」
誰だ。
年齢は三十を少し過ぎたくらいだろうか。
自分より一回り以上は上だろう。
「こんな早朝からトレーニングとは。感心感心!」
「どうも……」
ガッツリ絡んできた。
逃げることに失敗し、一歩距離を置くのが精いっぱい。
どちら様でしょうか、と尋ねることもできず、爽やかな笑みを浮かべる青年の話を聞き続ける羽目になってしまった。
「俺もここの卒業生でね、久しぶりに来たから散歩していたんだ」
「卒業生、なんですか」
「ああ。結構前の話なんだけどね」
卒業生なら不審者ではない、と見ていいのだろうか。
「(いやいや、可笑しいでしょ!)」
普通こんな朝っぱらから卒業生が遊びに来るか?
いい年こいた大人が、こんな平日に!
誰かを呼ぶべきか、こっそり悩む。
「ところで、君は随分と熱心に筋肉作りをしているようだけど」
「まぁ、趣味というか習慣というか……」
「奇遇だな、俺もだ」
改めて男性を見上げる。
暗い髪をツーブロックにして、手入れのしやすそうな髪。
首は太く、二の腕なんてステラの腕が二本は入りそうな程だ。
「よかったら手合わせ願えないか?」
「結構です」
言い切った。迷いなどない。
意外な答えだったようで、男性は困ったように頭を掻いた。
「いいじゃないか、まだ時間もあるだろう?」
「知らない人と関わっちゃいけませんって、教えられているので。特にこういう手合わせの面では口を酸っぱくして、親や友人から言われているんです」
「うん、君は周りの人に恵まれているんだね」
戻って寮のおばちゃんに報告だ。
喧嘩吹っ掛けてくる不審者がいるから、皆に気を付けて貰うように言わなければ。
これ以上関わらないと決めたステラは、男性に背を向け歩き始めた。
その瞬間、眼が熱くなる。嫌な予感がして、眼に魔力を集めた。
「うわっ!」
後ろに飛び退く。
眼が見せた未来は三歩先の地面から筍のように生える岩の柱。魔法だ。
間一髪、避けたお陰で巻き込まれることはなかったが、ステラでなければ難しかっただろう。
すぐ後ろにいるツーブロックに叫んだ。
「何するんですか⁉」
「ちょっとした挨拶さ」
腰を落として拳を構える。
「やる気になってくれたか?」
「あなたみたいな危険人物、放っておくわけにいかないので!」
ステラに敵意を抱いていることは明らかだ。
「(もしここで負けたら……)」
後ろにある寮が気になる。
しくじった、早く誰かに知らせるべきだった。ウメボシを召喚する余裕すらない。
左右の大地が盛り上がり、鋭利な岩がステラを狙う。
「パラキエ・ピート! (沈め)」
ステラに届く寸前で地面に岩が大地にめり込んだ。
重力が掛かり、硬度が高いであろう岩にヒビが入る。
「岩魔法なら私の魔法が有利! まだ続けますか?」
「重力か。燃えるな!」
かと言って迂闊に飛べば、空中で岩に狙い打ちされる。
地面にいればいつか串刺しにされてしまうだろう、そんなの絶対にお断りだ。
短時間で決着をつけなければ。
「これはどうだ⁉」
四方八方から巨大な岩の柱が乱れ打ちのように、ステラに襲いかかる。
「このっ‼」
ステラの額に青筋が浮かんだ。
「あんたが何処の誰か知らないけど‼」
鼻先スレスレに避けた岩を殴った。
硬い岩が割れ、砂煙を上げながら地面に落ちる。
自分の体重の何倍もある岩を担ぎ上げた。
「マジか……」
事の発端であるツーブロックの顎に汗が伝った。
ステラが眼に魔力を込める。
行くべき道は、標された。
「ここから先は通さない‼」
岩を抱えたままツーブロックに向かって走り出す。
慌てた様子で新たな岩を召喚するが、未来を読んだステラには全くもって無意味なことだ。
距離を改めて縮めたステラが岩を振りかぶった。
「おりゃぁぁぁあ‼」
「嘘だろっ⁉」
なんとも物理的な魔法である。
勢いよく投げた岩は不審者を押し潰した、
「なんて無茶苦茶な……!」
こともなかった。
寸前で新たな岩を召喚して、盾を作ったのだ。
砂煙が尋常でないくらい舞う。
「(……娘がいない?)」
男が岩の隙間から覗いてみると、そこに居る筈のステラが見当たらない。
ふっ……と地面が暗くなる。
「上か‼」
朝陽に照らされた赤い髪が、ツーブロックの上に飛び上がっていた。
「(そうか、投げつけた岩を飛び台にして……!)」
視界が悪くなった自分に気付かれないよう、近付いたのだ。
ステラが拳を握りしめる。
「警察に突き出してやる‼」
あんな重力をアホ程込めた拳なんぞ喰らえば、次に目覚めるのは来世だろう。
迫りくるステラに向かって、息を吹き掛けた。
「いっ……!」
「油断するなよ」
空中にいたステラの目に砂が入った。握っていた拳を解いてしまい、魔法が解ける。
「(やば……!)」
まともに目が見えず、バランスも崩す。受け身だけでも取らねば大怪我するだろう。
身体を固めたまま、ツーブロックへ目掛けて落ちていく。
「はい、俺の勝ち」
あろうことかキャッチされてしまった。
「離せ‼」
「暴れるな!」
敵の手の中に落ちるなど、あってなることか。
打ち上げられた魚のように跳ねるが、押さえ込まれてしまった。
「ジェラルドー! いじめんなって言っただろー!」
「いじめてないだろ」
聞き覚えのある声が、遠くから聞こえた。
思わず暴れる手を緩める。
「カルバン先生……?」
「おーおー可哀想に……。水場に連れていってやるから大人しくしてろよー」
それはもう、まるで荷物のようだった。
ツーブロックからカルバンに引き渡されると、すぐ近くの蛇口に降ろされた。
「ほい。顔洗えー」
そろそろと手を伸ばすと冷たい水の感触。
急いで手に水を汲み、目を濯いだ。
「俺の可愛い教え子なんだからさー、あんまりしごかないでやってくれよー」
「悪かった。けどお前から聞いてた以上だ! あそこにいたのが熊だったら、確かに脳天かち割られていたな」
「ったくよー……。ほら、タオル」
「ありがとうございます……」
フカフカなタオルに顔を埋める。
水気を取り、ゆっくり目を開けると痛みもなく視界は極めて良好。
顔を上げるとツーブロックと目が合った。目を見開いて拳を振りかざす。
「不審者撲滅‼」
「待て待て待て‼ こいつは不審者じゃない‼」
飛びかかる寸前で、カルバンに羽交い締めされた。
肝心のツーブロックは、爽やかに笑っているだけだ。
その笑顔が、余計にステラへ油を注ぐ。
「急に襲って悪かった。俺はジェラルド・アニストン。アルローデン警察署の副署長だ」
ほら、と小さな手帳がステラに向けられた。
「ケイサツ……? フクショチョ……?」
「おぉー! 野性に還ったステラの理性が戻ってきた!」
振り回していた拳が止まった。
ジェラルド、と名乗るツーブロックがステラの拳を下げる。
「どうしても見てみたかったんだ、紛いにも熊殺しの称号を持つ人間なんて早々いないだろう?」
「紛いだなんて失礼な奴だなー。こっちとら本物を仕留めたんだぜー? なぁステラ」
「ケイサツショ……オエライサン……」
初めて異国語を教えて貰った子供のように、片言で繰り返す。
目の前の人物が何者であるか、ようやくステラの中に情報が落とし込まれたのだ。
警察署の副署長といえば、管理職。
将来のステラの上司になる、予定の人物。
カルバンの羽交い締めを振り切り、綺麗な角度を付けてお辞儀する。
「ステラ・ウィンクルです‼ この度の無礼な態度、申し訳ございません‼」
「吹っ掛けたのは俺だ、止めてくれ」
「そうだそうだ、こいつにそんな畏まる必要ないぞー」
カルバンにタオルを頭へ掛けられ、濡れていた前髪をくしゃくしゃに拭かれる。
「ジェラルドは俺の同級生でなー、今は警察で働いてんだー。お前の特別講師になってくれないか頼んだら、快く引き受けてくれたってことだなー」
「特別講師って、管理職がですか⁉」
「カルバンの頼みとなったら喜んで受けるさ」
「よく言うぜ、新人が欲しくて仕方なかったんだろー」
なんと贅沢な話。夢が近付いてきているのだ。
お腹の底がウズウズしてきて今すぐにでも走り出したくなった。
「さて、ステラ・ウィンクル」
朗らかにカルバンと話していたジェラルドの目が、鋭くステラを射抜いた。
無意識に背筋が伸びる。
「講習が始まる前に聞いておきたい。君が警察官になりたい理由は?」
「理由……」
十年以上昔の出来事が鮮明に頭に浮かんだ。
「君のことはカルバンからよく聞いている。勉強は苦手なようだが、誰よりも正義感があり困っている人間に進んで手を伸ばす。山猿娘、怪力娘、熊殺しのステラ、体力おばけ等。様々な渾名を付けられる人柄だ」
「すいません、最後の体力おばけって初めて聞いたんですけど」
誰だ、勝手に新しい渾名を追加した奴。
「警察官は体力はもちろん必要だが、メンタル面も強くなければいけない。
生活リズムはバラバラになり勝ちだし、休みの日でも呼び出しはしばしばだ。市民のためだと働いても〝税金泥棒〟と呼ばれ、箒や絨毯のスピード違反を取り締まると〝自分よりもっと悪い奴を取り締まれ‼〟と暴言を吐かれる。その上、お上からは〝検挙率上げろ〟とプレッシャーを与えられて胃痛持ちが殆どだ」
「お前、本当に新人取る気ある? ちょっとは隠せよ、嫌なところ」
「現実を先に教えておくのが特別講師だろう。ステラ、君はそれでもこの職に就く気か?」
「私の夢なんです」
どれだけ脅されようと、臆したりしない。
肩幅に足を開いてジェラルドを見つめ返した。
「私は警察という立場で皆を守りたい。ただそれだけです」
そしてあの日のお姉さんのように、いつか自分も誰かを勇気付けたい。
もし誰かが心を閉ざしていたなら、自分が
「……わかった、ならば俺も君の夢を全力で応援しよう」
「つって、お前の志望動機は安定した給料だったじゃねーか」
「お、今度はカルバンと手合わせしたい気分だな」
「え、ちょ、こっち来んなってー!」
何故か、将来の上司と担任の先生による全力のかけっこが始まってしまった。
シュールな光景を他人事のように眺めながら、ステラは地面に大の字で倒れ込む。
「手帳……かっこよかったぁ……」
初めて間近で見た警察手帳に、胸が高鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます