16,クロノス・カーニバル 2
「おーし、個人の進路別講習についてだ。ボチボチ教材や資料が届いたから配るぞー」
気の抜けるような声が教室にほわんほわんと響き渡る。
つまらなさそうなステラが、後ろの席で唇を突きだしていた。
「よかったじゃないの、熱が下がって」
「そうだけどさ。今年こそは一緒に行けると思ってたのに」
「しょうがないでしょ。私もいつかは一緒にクロノス・カーニバルに参加したいわ」
カーニバルが終わると同時に、波が引くようにステラの熱はあっさり引いたのだ。
憑き物が取れたかのように身体が軽くなったと、その日の夜は、以前のステラと全く変わりなかった。
「プリントが回ってきたわよ」
「特別講習?」
リタから受け取ったプリントをじっくり眺める。
随分と重要そうな内容だ。
「ありがたいわ、私は履歴書の添削や面接の練習もして貰えるし、インターンシップも体験できるのよ」
「急に現実味を帯びてきたね」
リタの希望する就職先は、ドルネアート国の中でもトップに君臨する総合商社だ。
昔からこの国を支えてきた企業でもあり、その歴史は長いと聞く。
「ステラー」
「はーい!」
呼ばれるままカルバンが待つ教壇に下りると、なにやら重たい袋を差し出された。
中身は本のようだ。
「いやー、お前の場合早目に渡しておかなきゃいかんと思いつつ、到着したのが遅かったんだ」
「なんですか、これ」
「公務員試験の対策資料」
ヒュッ……とステラの顔色が悪くなった。
「お前な、警察官になるのは大変なんだぞ? 色んな法律を勉強しなきゃ、受かるもんも受からんぞー」
「わ、わかってますよ!」
「大丈夫だ、お前にはちゃんと専属の講師を見つけてあるから!」
「わーい……」
勉強とは切っても切れぬ縁なのだ。
重い、と一言で言ってもステラにとってみれば軽い資料を抱え、リタの隣に座る。
「大変ね」
「また熱出てきた気がする」
「そんなわけないでしょ」
少しだけ本が袋の中から顔を覗かせている。
その分厚さといったら、凶器にもなり得る存在感だ。
これがステーキの厚さだったらどんなに喜ばしいことか。
「次は王国騎士団希望のやつらな。今年も多いなー」
カルバンが指を鳴らすと空中から大量の本が現れた。
ステラは見ただけで、頭痛に襲われる。
「今年出版されたばかりの新刊だ。ありがたく読み込めー」
一人一人前に出て、ステラが貰った本といい勝負の量の本を抱えて、戻っていく。
席に着くクラスメイト達もステラ程ではないが、お世辞にも顔色がよいとは言えない。
「次はエルミラか」
「はい」
今日も元気なドリル縦ロールを揺らし、姿勢が綺麗なエルミラがヒールの音を立てながら教壇に降りていく。
あのドリル縦ロールは地毛で、キャンプの時は何もしなくてもここまで癖になるものかと驚かされたものだ。
「医者志望はお前だけだなー。しっかり励めよー」
「言われなくとも」
資料を受け取り、颯爽と踵を返す。
「これで一通りだなー。じゃあ今日はここで解散だ。……と、リタは後で俺の準備室に来てくれー。インターンシップの打ち合わせだ」
「はい」
鐘が鳴ると同時に、ステラが机に沈んだ。
「そんな気負わないの。私は行くからね」
「あとでね……」
そう言われても苦手なものは苦手なのだ。
試しに実務教育と書かれた表紙を開くが、初っぱなから目が痛くなる。
何故警察官になるために、円錐の切断面積を求めなければいけないのか。
数秒眺めた後、本を閉じた。
「……帰ろう!」
なるようになるさ!
大丈夫、晩ご飯食べて筋トレしてからもう一度考えよう。腹が満たされれば頭も動くに違いない。
鞄を持って席を立つと、音もなく現れた人物に肩を震わせた。
「ステラ……」
「ひっ⁉」
オリバーだ。
顔色が悪い所か、生気が感じられない。
「どうしたの……?」
「さっき貰った本、解読できる気がしなくてよ……」
小脇に抱えているのは、カルバンが大量に出していた、王国騎士団に入るための参考書だ。
オリバーもまた、王国騎士団志望なのだ。
「どれどれ、見せて」
「やめとけ! 熱がぶり返すぞ、結構マジで!」
遠ざけられた対策本に触れることなく、オリバーに隠されてしまった。
その反対の手には鞄とは違う袋が持たれている。
「それは?」
「そうだ、これを渡しに来たんだよ」
ベッドで見た未来が甦る。
この中はクロノス・カーニバルのお土産だ。
「カーニバルの土産だ、こっちはデルマとエルミラからな」
「あの二人から?」
意外だ。
因みにリタからもリンゴ飴を貰っており、既にお腹へ納められている。
「あいつらも気にしてたぞ。エルミラなんて、なんかのアレルギーじゃないかって心配してたからな」
「アレルギー……あの木って花粉とかあるのかな?」
「聞いたことないけどな」
特に気にしたことなかったが、同じ時期に熱が出るならその可能性もあるのだろうか。
「社会人になったらさ、有休使って、皆で一緒にカーニバルに行こうぜ」
「……! うん!」
そうだ、一緒に行くチャンスはこの三年間だけではなかった。
「そうだよね、休みが取れるなら、合わせて取ったらいいんだもん」
「だからお互い勉強頑張って就職しようぜ!」
拳と拳を突き合わせた。
「おーい、オリバー。お前も行くだろー?」
「ああ! じゃあな!」
他の騎士団志望組と、勉強会をするのだろう。
小さく手を振ってオリバーを見送った。
「……さて」
今度こそ帰ろう。
誰よりも先に食堂へいかねばならない。
何故ならステラは、一週間分の食堂メニューを見てしまっている。
今日のデザートは皆がこぞって欲しがるあのスイーツ、タルトタタンだ。ただの学食でタルトタタンが出てくる辺り、流石一流学校。
「(早く行って、リタの分も取っとかないと!)」
嬉しそうに頬張るリタの姿が目に浮かぶ。
「……そういえば、レオナルドもよくケーキ食べてる気がする」
もしかして甘党? ……別に聞くつもりも無いけど。
渡り廊下に差し掛かったところで、ふと足を止めた。
「クロノスの木……」
いつもぼんやりと霧が掛かっているクロノスの木。
それが今日はやけにハッキリと見える。
一年生の頃、レオナルドから教えて貰った話を思い出した。
言い伝えは、結末だけ聞けば二人が犠牲になった後味の悪い話だ。
「(何千年前か知らないけど、そんなに一緒に眠れるんならバッドエンドではないんじゃないかな)」
むしろハッピーエンドでは?
恋愛スキル赤ん坊レベルの感想を今更文字にしてみる。
あの時レオナルドに言えなかった、モヤモヤとした思いがようやくはっきりした。
はっきりしたところで伝える気は、さらさらないのだが。
「ここにいたのか」
「んぁ?」
真っ赤な髪が風に靡いた。
リタによって手入れされている髪が、綺麗に伸びて風に踊る。
抑えた髪の向こうにレオナルドが立っていた。
「今日はクロノスの木がよく見えるなぁって、思って」
「そうか」
なんとなく、教えて貰った話を思い出していたなんて、言えなかった。
「一週間王族の仕事してたんだって? お疲れさま」
「あぁ。お前も例に漏れず寝込んでいたんだってな」
「来年こそカーニバルに行くから! そうだ、レオナルドも一緒に行こうよ!」
「俺も?」
手はポケットに突っ込んだまま、レオナルドは渡り廊下の壁に背中を預けた。
「オリバーがね、来年は皆社会人だけど一日くらい休み合わせようって!」
「……もし俺が来年、騎士団に入隊出来たなら王族の仕事はしなくていいかもな」
「尚更行こうよ!」
「お前が熱を出さなかったらな」
「うっ……一ヶ月前から体調万全にしておくからさ……」
「全くだ。そんなお前にお守りだ」
右手をポケットから出した。その手には黒い紐が握られている。
「首輪?」
「首輪って……。チョーカーだ」
小振りな小さい石が嵌め込まれたチョーカー。
宝石に全く興味のない筈の、ステラの視線が釘付けになった。
「綺麗……」
自分の瞳とよく似た色だ。
太陽の光に照らされ、翠にも蒼にも見える。角度によって蒼い星が煌めいているようで、それは毎日のように、鏡の中で輝いている自分の瞳を連想させる。
「クロノスの木の近くで採れたそうだ。名前も無い石だが、魔除けくらいにはなるだろうって」
「凄い、こんな宝石初めて見た……」
「やる」
「…………ほ?」
たっぷり三秒は使った。
レオナルドの言っている意味がわからず、目が点になった。
現実に引き戻されると、全力で首を横に振る。
「いやいやいや、どう見ても高いでしょ!」
「価値は不明。ただの石ころだ」
手早くチョーカーを首に巻かれて、金具を留められる。
決して派手ではない。しかし確かな存在感がステラの首元を彩る。
「どうせお前のことだからすぐ暴れるだろ? 千切れないように伸縮魔法も掛けておいた」
「お気遣いどうも! けど本当に受け取れない!」
「気に入らなかったか?」
「凄く綺麗だけど、私にはもったいない!」
こんな高価そうな物を、ただの友達にプレゼントする価値観の違いに戸惑う。これだから王族は‼
急いで金具を取ろうとするが、慣れていない上に不器用なステラには取れない。
その間にレオナルドは渡り廊下の向こうに行ってしまった。
「そんな色、使いこなせるのは世界中探してもお前だけだ」
「ちょっと待って……!」
「いらなかったらウメボシの首輪にしてもいいぞ」
「それは絶対にしない!」
「レオ様ー⁉ 何処ですのー⁉」
エルミラだ。
姿は見えないが、この近くでレオナルドを探しているようだ。
「じゃあな」
「ちょっと!」
ステラの制止も虚しく、行ってしまった。
早く取ろうと試みるが、腕が疲れて失敗に終わるばかり。
「何処に行かれたのかしら……。あら、ステラ」
「さっきぶり!」
数秒差でエルミラが、ステラの背後から現れた。
なんとなく首を隠して、片手を上げ挨拶をする。
「レオ様の居場所をご存知ないかしら?」
「向こうに行くの見かけたよ」
「あっちですわね!」
咄嗟に、レオナルドが走り去った方向と逆方向を指さした。
駆け足で去るドリル頭を見送り、首元に当てた手を取る。
「……取れた」
覚束無い手で、ようやく金具を外した。
貰ったチョーカーを改めて眺める。
「本当にいいのかな……」
石に閉じ込められた淡い光が、太陽の光で優しく輝いた。
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