鎖に繋がれた魂
無数の水の刃に切り裂かれ、ぐちゃぐちゃの肉塊に変貌したリジェルライン・エルノンス。その最期を見届けた泉の精は、安堵したように息を吐いた。
「……死にましたか」
一仕事終えた泉の精は、死体の処理をしようと泉の水を操り、陸に延ばした。
「……おや?」
無かった。さっきまでそこにあったはずの死体が、森を汚していた血溜まりが、無くなっていた。
「おかしい、ですね」
どこに行った。どこに消えた。嫌な予感を感じ、思わず左右と背後を確認するも、誰も居ない。
警戒を解かぬまま、泉の精は視線を戻す。
「────どうしたんすか? そんなにキョロキョロして」
居た。視線を戻した先、さっきまで血で汚れ、肉塊が散乱していたその場所に、魂牢が飄々と立っていた。
「ッ! 何故ッ、何故生きているのですかッ!?」
「ナゼって、そりゃ死んでないから生きてるんすよ?」
求められた答えになっていない答えに、泉の精は表情を歪める。
「ふざけないで下さいッ!」
「ふざけてないっすよ〜? 人は死なない限り生き続ける……当然の常識っすよね?」
「そんなことは分かっているのですッ!」
怒りに任せて叫ぶ精霊に、リジェルラインは思わず耳を塞いだ。
「も〜、うっさいっすねー。ちょっとは静かに出来ないんすか? ほら、こんな綺麗な泉がそこにあるんすから」
「誰のせいで……ッ!」
キッと睨む精霊だが、リジェルラインはその態度を崩そうとしない。
「まぁ、あんまり倒せそうにも無いっすし、面倒なんでさっさと諦めて貰うために言うっすけど……」
と、リジェルラインの表情が真面目なものに変わった。
「────俺、不死身っす」
泉の精霊は、目を僅かに見開いた。
「……不死身、ですか?」
「不死身っす。斬っても、刺しても、焼いても、食っても、死なないっす。あ、因みに食っても栄養にはならないっすよ」
「……聞いていません」
俄かには信じ難い言葉だが、それを十分に裏付けられる程、この状況は奇妙だった。
「ひゃくぱーせんと信じてる訳じゃ無いっぽいんで説明するっすけど……俺の能力、さっきも見せた通り鎖で物を繋ぐ能力なんすよ」
「それは、知っています」
呑み込むように言う泉の精を気にした様子もなく、リジェルラインは言葉を続ける。
「まぁただ、それは能力の一面に過ぎない話で……本質的に言えば、この能力はAとBを繋ぐという性質と、対象の状態を固定するという性質を持ってるんすよ」
「……よく、分かりませんが」
まだ理解を示さない泉の精に、リジェルラインは少し悩んだ素振りを見せた後……空中に浮かんでいる、鎖に雁字搦めされた水の刃を指差した。
「アレっすよ。あれみたいに、モノを固定することが出来るっす。状態を固定するっていうのをもう少し説明すると、時間と空間に鎖を繋ぐことで完全に固定できるっす。まぁ、あの水は時間までは繋いでないっすけど」
「時間と空間に、鎖を繋ぐ……ですか」
眉を顰める泉の精に、リジェルラインは笑った。
「ハハッ、別にそうおかしなことじゃないっすよ? 空間を無視して泉を通り、時間を無視して過去と現在の泉の景色を観れるアンタも、似たようなもんでしょ」
「……私のことを知っているんですか」
泉の精は、意外そうな表情をした。
「まぁ、有名っすからね。思い出したのはさっきっすけど」
リジェルラインの返答に、泉の精は無言を返した。
「んで、話は戻るっすけど……俺はそういう風に、概念と物を鎖で結び付けることができるんすよ」
「……えぇ」
苦々しくも、認めたことを示す言葉を返した泉の精に、リジェルラインは満足げな表情を浮かべた。
「だから、俺は……自分自身と、この世界を繋げたんすよ」
「……世界、を?」
泉の精の問いに、リジェルラインは嬉しそうに頷いた。
「そうっす! この無限に広がる宇宙と、世界と、時空と、俺を鎖で繋げたんすよ!」
「……意味が、分かりません」
拒絶する泉の精に、リジェルラインは詰め寄った。
「いいや、分かるっすよ。分かるはずっす! 俺は、この世界そのものなんすよ! 俺という存在は、この宇宙と同一のものとして繋がってるんす。だから俺は、この時空間が消えて無くなったりしない限り、無限に存在し続けるんすよ」
「……気持ち、悪い」
泉の精が感じたそれは、自分の概念の外側にある未知のものを見たような……根源的な恐怖と嫌悪感だった。
「ハハッ、不死身って、ホント最高っすよねぇ! ……でも、良いことばっかりでも無いっすね」
リジェルラインが漸く見せた負の表情に、泉の精は首を傾げた。
「退屈なんすよ。長い年月を無為に過ごし続けるのは。目標を持って動くのだって、限界があるんすよ。最強を目指したりしたこともあったっすけど、結局意味を見出せずにやめたっす」
虚無を感じさせる語りに、慈悲深い泉の精は憐れみの表情を向けた。
「……死ねないのですか」
不死身を殺す手段。余りにも哀れな生のあり方に、同情を示す泉の精。
「────え? いや、別に鎖を離せば死ねるっすよ?」
だが、魂牢は……リジェルライン・エルノンスは、他者から慈悲を受けるに値する常人では無かった。
「つか、鎖を離したら多分即死っすけど? え、なんすか? もしかして、アンタも無限の生なんて嫌だって宣うバカっすか? いや、アンタは精霊だからそんなこと言わないっすよね?」
むしろ、忌避され、監視され、疎外されるべき狂人だった。
「短い時を繋ぎ、受け継いでいく人間が、無限の時を生きる、など」
「生きるなど、なんすか? 俺、退屈って感じることはあるっすけど、楽しいこともあるっすよ? それに……」
リジェルラインは、なにかトラウマでも思い出したかのように表情を恐怖に染めた。
「嫌じゃないっすか。死んだら、どうなるんすか? どこへ行くんすか? 天国なら良いっすよ。転生でも、良いっす。でも、それが無だったらどうするんすか? 掃き溜められるゴミみたいに、ただ何もない場所で放置されて、永遠を過ごすことになったらどうするんすか? それに、俺ってば結構悪いことしてるんで、地獄行きになったら終わりっすよ? どんな責め苦を味わうか分かんないっす。だったら、この世界で無限に生き続けた方がマシっすよね? それに、もしどうしても生きるのが辛くなれば……その時は、自分の時を止めれば良いんすよ」
やはり、その男は狂人だった。常識の外側に、人の理の外側に居る、怪物だった。
「まぁ、そういう訳で俺は不死身なんで……殺すとか諦めて、さっさと通してくんないっすかね?」
そして今、泉の精は怪物に選択を迫られた。
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