EP.15 もう大丈夫

「あ、あのさ、りょう。」


ただ時計の針の音しか聞こえないリビングの一角。ベージュ色のふかふかソファに腰をかけたりょうは、黙り込んだまま顎に手を当てている。手に汗握る、そんな状況に絶えきれず、カラカラの口から声を絞り出した。


「その……ごめん、心配かけて。」


目の前のテレビ台に置かれたデジタル時計は、「十九時四十三分」と表示していた。


大体十五分前のこと。ベランダから飛び降りようとしていたのをりょうが止めてくれて、それからすぐ家に駆けつけてくれたんだ。その前起こったことを説明して、今現在に至るわけなんだけど。


「今回は、本当に危なかった。」

「謝んなくていいよ。美野里が悪いわけじゃない。」


少し姿勢を崩してつぶやいた。でも、瞳は揺れていて唇をへの字に曲げていて、いつもみたいに微笑んではいない。


「そんなことない。りょうに連絡しなきゃいけなかったのに。」


なんであの時、案内人さんの言うことに反発しなかったんだろう。りょうたちなら信頼できると伝えられなかったのだろう。

そう思っても、。さっきりょうに説明した時もそうだった。行動は覚えてるのに、その時


「わ、わたし、なんでりょうに伝えなかったのかも、空を飛べると思ったのかも、わからなくって。」


手足がガタガタと震え出す。頭から血の気が引いて、クラクラしそうだ。


りょうがいなかったら、わたしは確実に飛び降りてた。当たりどころが悪ければ、死んでいた。そう思うだけで、喉の奥から心臓が飛び出てきそうだ。


「美野里。」


スカートを握っていた手が、大きな角ばった手によって包み込まれた。顔を上げると、りょうはいつものように微笑んでいる。


「怖かったよな。もう大丈夫だ。美野里は俺が守るから。」


もう片方の手は、頭の上に乱暴に乗っかって、ぐりぐりと撫で回す。じんわりと眼球の部分が暖かくなった。喉の奥が塞がって、吐く息が不規則になる。


『もう大丈夫』って言葉。りょうの微笑んだ時の言葉。

この言葉を聞くと弱くなってしまう。お化け屋敷にいったときも、迷子になったときも、友達と喧嘩してたときも、いつもそう。


「あ、ありがと。」


赤くなった目元を隠すように、前髪に手を当ててそう言うと、りょうは頷いてから「それとさ」と口を開けた。


「美野里の話聞いて考えたんだけど、一つわかったことがあるんだ。」

「わかった、こと?」

「ああ。最近さ、俺らの周りって幻覚が多いだろ?」


確かに、不思議な村といい、火事といい、今回の件といい、何かと多いような気が……。

も、もしかしてわたし、精神的におかしくなってるのかな!?


「それだと俺も精神的におかしくなったことになるぞ。」


あ、そっか。りょうも火事見たもんね。


「そう、複数人幻覚を見てるってことは、病気の可能性は低い。それでもって、女王の存在だ。美野里を村に連れて行ったのは女王だったから、ここで完全に病気の可能性は無くなるわけだ。」


ポケットに手を突っ込んで、小さなブロックメモを取り出したりょうは、制服の胸ポケットからボールペンを手に取る。


「残る幻覚は、三つ。信太が村へ行ったとき、俺らが火事にあったとき、そして今日。どれも起こした犯人はわからない。」


スラスラと流れるような字を書いて、メモ用紙をローテーブルに置く。


「全てに共通するのは、最後に死にそうになるということだ。そして、怪しい人物が一人、ここで現れた。」


ボールペンで丸をつけた場所は、『今日』と書かれた文字列。


「もしかして……名もなき案内人さん?」


ふとこぼした言葉に、りょうは大きく頷いた。


「え、でもあの人女王の命でここにきたって」

「殺されかけたのにまだその部分は信じてたのか!?嘘に決まってんだろ!」


大きく目を見開いて叫ぶりょうに、「ごめんなさいっ」と首を引っ込める。


「……もし、その男が今までの幻覚を見せている奴だったとしたら。」


メモとペンをしまったりょうは、両手の指を交差させながら口調を固くする。


「女王に恩返しをしている俺らを、殺そうとしている奴だったら。」


その角ばった喉仏が、上下に小さく動いた。


「女王存続の危機って、これなんじゃないのか?」


どきりと、心臓が飛び跳ねた。

女王存続の危機。わたしとりょうで話し合った時に、女王様が伝えたかったこと。


チェック柄のスカートのポケットを探ると、二枚の紙が出てくる。一枚は白紙、もう一枚はとても綺麗な字が書かれた紙。


『願う貴方を私は此処で待っている。願う貴方を私は今も待っている。願う貴方を私はこの先も待ち望んでいる。』


もし、りょうの言うことが本当なら。さっきのあの人は、女王様にとって危険な人物なのかな。というか、妖精界にとっても危ない人物なのかな。


「……ソイツのことを知るためにも、女王を知るためにも、妖精界を知るためにも、あの村へ行かなくちゃいけないな。」


クーラーの機械音だけが聞こえるこのリビングで、力強い声が鳴り響く。


「ありがとう、りょう。わたしじゃ、ここまでわからなかった。村にいく方法、頑張って探してみるね!」


きゅっと目を細めてそういうと、りょうは「助かる」と一言呟いて微笑んだ。時間も時間だったのでお開きすることになり、りょうも立ち上がってリビングを出ていく。


りょうはすごい。頭が切れて、冷静で、こんな情報が少なくても推理してみせる。任せっきりでは流石にダメだ。わたしが言い出したことだし、何よりみんなの力になりたい。


「今日は本当に助けてくれてありがとう。ゆっくり休んでね。」


靴を履きかけた幼馴染に、感謝の言葉をかける。玄関前は外の暗闇も入り込んでくるのか、やけに明かりが少なく、薄暗い。

履き終えた幼馴染は、何も言わずじっとこっちを見つめてくる。そのキリッとした眉毛を少し緩めて、三角眼の中の瞳が少し色づいて見える。無意識のうちに、手で髪をいじっていた。


なんだこの空気感。わたし、なんか変なこと言ったっけ。


「じゃ、じゃあおやすみ〜」


あっちが何も言わないんだったら、わたしから切り上げるしかない!

くるっと百八十度回って階段の方へ行こうと足を一歩踏んだ。


「美野里。」

「えっ」


思いっきり腕を掴まれ、引き戻される。

体が引き込まれた場所は、何だか大きい幼馴染の腕の中だった。


「ちょ、お、お母さん帰ってきたらやばいって!離し__」

「美野里が生きててよかった。」


耳元で聞こえる、熱を帯びたその声に、出しかけていた言葉が引っ込んだ。


苦しそうな、悲しそうな、それでいて温かい言葉と、抱き寄せる手の震えに、どうすることもできなかった。


狭い玄関の隅っこで、そっと幼馴染の手に触れた、そんな静かな夜のひと時だった。

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