EP.14 名もなき案内人
「だ、誰ですか?」
ついさっきまで普通に会議して、普通に帰ってきて、普通にはしゃいで、普通に扉を開けたはずだった。
「私は名もなき案内人。あなた様をお待ちしておりました。」
柄ものの布団がかかったベッドの前に、礼儀正しくたっている、この背の高い男性だけが普通じゃない。
足元まで伸び切った黒髪を首の後ろで一つに縛って、シルクハットを深く被ったその中から、ナイフのような切れ長の双眸が見え隠れする。全身を包む燕尾服も、長い足を覆うそのズボンも、革靴も、全部雨の日の夜の空のような闇の色だった。
「女王様の命で参りました。」
「じょ、女王様!?」
ってことはもしかして女王様の使いか何かの人なのかな?
登場の仕方があまりにも怖すぎて、犯罪者かと思ったよ。
「美野里様は、女王様に誘われたあの村に行きたいのですよね?」
夜風が長い髪を揺らしているその人は、単調な声で切り出した。
思わず頷いちゃったけど、わたし何も言ってないよ!?すごく怖いんだけど!?
「女王様は全知全能なお方。何でも知っていらっしゃるのです。」
静寂の中で、案内人さんの声が頭の中でこだます。
「あ、あの、もしかしてあの村へ案内してくれるのですか?」
一歩踏み出して、扉の中へ入る。すると、案内人さんはその大きな口の端っこを持ち上げた。
「ええ。そのために、お待ちしていたのです。」
「本当ですか!?」
なんて好都合な状況!早速りょうたち呼ばないと!
「お待ちください。美野里様。」
あ、今夜だから心配してくれてる?
大丈夫ですよ。このスマホで案内人さんきたことをちゃちゃっと伝えれるので……
「美野里様。」
「!?」
体の底まで響き渡るような低い声に、思わず体が固まる。
目線をあげれば、もうすぐそこに、案内人さんは立っていた。
「美野里様。女王様は美野里様だけお望みです。」
わたしだけを?なんで?
「最初の手紙も美野里様だけに渡されたのは、美野里様だけを信じているからですよ。他の方がいると言えない秘密もあるのでしょう。」
そうなの?わたしを信じて話したいことがあるから、手紙を送ってきたの?
「ええ。その通りです。女王様を助けたいと思っているのでしょう?恩返しをしたいと深く望んでいらっしゃるのでしょう?ならば、女王様の望みを聞き入れなければ。女王様は美野里様だけを信用されているのですから。」
それは、そうかも。
思えば、勝手にペラペラ女王様のことを話しちゃってた。
どうしよう。わたしを信用していってくれてたのに、秘密をバラしちゃった。
「……嫌われちゃったかな。」
「大丈夫。女王様は寛大でお優しい人だ。これから気をつければいい。これから、女王様の望みを叶えてあげればいい。」
スマホが手からすり抜ける。
シルクハットから覗くその三日月のような瞳の向こう側に吸い込まれる。
これから、女王様の望みヲ叶えればいいんだよね。
ソウスレバ嫌われない。恩返しがデキルんだよね。
「さあ行きましょう。わたしについてきてください。」
燕尾服の尾がひらりと舞って、ベッドの横のカーテンを素早く開けた。振り返りざま、その角ばった指をパチンと鳴らす。
「これで美野里様は飛べるようになりました。大丈夫。私の瞳を眺めていれば、こわくなんて有りません。」
三日月のような瞳を指差す。
確カに、怖くナさそう。
裸足で生暖かいコンクリートの床を歩く。もうすでに案内人さんは空に舞っている。
目を見レバ怖くナイ。目ヲ見レバ、怖クナイ。
塀に手をかけて、体全体で暖かい風を直に感じる。案内人さんの目がきらりと光った。
「さあ、行きましょう。あの村へ……」
「美野里っ!?!?」
濁点ばかりついた叫び声に、思わず目線をずらした。
隣の家のベランダから乗り出しそうな勢いで、眉毛を空に吊り上げたりょうが叫んでいる。
「何してんだっ!危ないから早く降りろ!!」
「大丈夫!」
ダッテ、ソコニイル案内人サンニ魔法カケテモラッタカラ。
「何言ってるんだよ!案内人って、そんな人いねえよ!!」
「え?」
もう一度、風が吹き付ける。ぬるくない、少し冷えた風に釣られて、ゆっくりと首を動かす。
「う、嘘。」
すぐそこで空に舞っていた燕尾服の案内人の姿が、なかった。
塀にかけていた足をそっとベランダの地面へと降ろす。冷たい、地面の上に。
目の前にあるのは、暗闇の海の上にぽっかりと浮かぶ、三日月だけだった。
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