鍛冶屋とおくりもの
3
二人を荷台から下ろすと、ハンスは「仕事が終わったら迎えに来るからな」と言って片手を上げた。
「知り合いの鍛冶屋さんの工房です。行きましょう」
リリーはムーンを連れ立って扉の中に入った。区切りのない広々とした空間には大きな鉄鋼用
初老の男が材料である
「リリーちゃん、今日は薬草壺が必要かい? それとも何か直したいものでもあるのかい?」
荷車を置いて近づいてくるも、ムーンの存在が気になるのか、チラチラと視線を送っている。
「スミスさん、こんにちは。薬草壺もお願いしたいんだけど……。今日は研いで欲しいものがあって……」
リリーはムーンを手で示す。
「こちらはムーンさん。相談所を手伝ってもらってるの」
ムーンは兜をカチャリと鳴らせて下げる。スミスの目が丸くなる。
「ムーンさん、こちらはスミスさん。父の代から器具を直してもらったり、容器を作ってもらったりしてます」
スミスは困惑げに頭を掻いた。
「あー……。なんだい? その格好は。わしでも初めて見たなあ」
目をぱちぱちと
「骨董品だ」
ムーンの冗談か本気か分からない答えに、スミスは鎧の表面を繁々と見つめながら、「骨董
リリーは慌てて間に入った。
「ムーンさんには警備もやってもらってて……恥ずかしがりやで……!」
「ふーむ、少し歪んでるなあ……。ようし、ちょいちょいと叩いて直してやるよ」
「い、いいんです! いいんです! 今日は剣の方を……ッ!」
スミスが張り切ってハンマーを取り出したので、リリーは身体の前で手を素早く左右に振る。スミスは残念そうにハンマーをしまった。
ムーンが鞘から剣を抜き、横向きに差し出した。スミスの視線が剣へと移る。
「ブロードソードか。片刃だな。なるほど」
スミスは剣を受け取り、職人の真剣な顔つきになる。
「手入れをして欲しいの」
「いいよ。最近じゃ生活用品ばかりだからな。剣の注文が来ても大概が
リリーは用意した薬草壺を箱ごとスミスに渡す。壺には色違いのリボンが巻かれている。
「
スミスと二人で中身を確認していく。それから、若い職人がやって来て箱を奥へと運んでいく。
「助かるよ。おお、そうだった。使い切った壺も持ってこよう」
スミスの姿が消えると、ムーンはリリーに話しかけた。
「怪我にも種類があるんだな」
「はい。例えば、皮膚が破れて血が出る傷と皮膚の色が変わる傷があります。外出血と内出血です。外出血はまず患部を押さえて血を止めます。内出血は患部に触らずに冷やしたりして熱を取るのがいいです。薬草は一つで色んな効果がありますが、それだけに場合によって使用を避けた方がいいときもあるんですよ。皮膚刺激が強いものを切り傷に塗ったらよくないですから。ラベンダーなんかは割とどの傷にも使えるので重宝します」
話しているうちに空の壺が届く。スミスによると、剣は夕方に引き取りに来て欲しいそうだ。
「悪いな。他の仕事もあるんでよ」
「いえいえ、無理を言ってすみません」
「夕方までどうするんだい」
リリーはムーンを
「患者さんのところへ周るの。ムーンさんは……この姿なので、こちらで待たせてもらってもいい?」
スミスは髭を撫でて少し考えた後、「ちょっと待っててくれ」と再び奥へと引っ込む。戻ってきたときには手に布のようなものを持っていた。
「
青地に金の模様が入ったマント。首元に当たる部分には毛皮があしらわれている。ムーンが身につけると、まるでおとぎ話の騎士だ。
「恥ずかしがりやにはキツいかもしれないが」
ムーンは足元まで届くマントの長さを確認し、礼を口にする。それから、代替えとして短剣を借りた。
「見返りに少し荷物を運ぶ」
大量の鋼材や金物を軽々と移動するムーンを呆気に取られた顔でスミスは見ていた。
4
町は平民で賑わっていた。鋪装された道には露店が並んでいる――食品、織物、酒、日用品。近隣の農村からも人は流れているようだ。金に余裕のあるものは買い物を楽しむだろうし、ないものは見物しているだけでも楽しいのかもしれない。身分のある者は平民への差別意識から立ち寄らない。平民たちの独壇場だ。
周りからムーンに視線は注がれるものの、奇妙な格好をして人形や楽器を持ったものがいるから違和感は薄れている。彼らは町を渡り歩いて歌や物語を民衆に聞かせる。
目を輝かせてムーンのマントを引っ張ったのは子どもたちだ。ムーンは道端で薬草壺の入った箱をリリーに預けて薬草かごを背から下ろし、短剣を取り出して子どもたちに見せた。好奇心旺盛な子どもたちは目を皿のようにする。ムーンの手から短剣が宙へ向かって放り投げられる。風を切る速さで回転する真剣。それを見守る子どもたちの口は開いたまま。次にムーンは手首の最低限の動きだけで落ちてきた剣を掴んだ。しっかりと手の中に柄がある。
「うおおおお! すげー!」
集まった子どもたちは歓声を上げる。よほど興奮したのか、艶のある石や木の枝で作ったパチンコなど、それぞれの宝物をムーンに見物料として差し出す。
リリーはそれを微笑ましそうに見ていた。
二人は市を見学しつつ患者の家を回った。仕事で多忙な者、怪我で動けない者――必要に応じて用意した薬草を渡していく。孫娘夫婦と暮らす老婆のアリスの元にも行った。茶を振る舞われそうになったが、時間がないので辞退した。
途中、立ち寄った店でカゴに入ったクレソン、サラダバーネット、チャービルなどの生で食べられる野草を売りに出した。森の恵みと患者からの返礼品で普段は生計を立てているものの、必要に応じて生活用品や他の地域でしか採れない薬草を仕入れたいもの。祈るような気持ちで前に出した両の手のひらには、小型銀貨が一枚乗せられた。
リリーは誰からも分かるくらいに肩を落とし、「この国は農産物が豊かですから……野草の価値が低いんです……しょうがないです……」と震える声で言った。
銀貨を握りしめるリリーに、ムーンが「調合した薬草を売らないのか?」と訊ねると、「そこから役人に足がつくかもしれませんし、知識のない人の手に渡って薬害が起きるのが一番怖いですから」という答えが返ってきた。
手に入れた銀貨で一つだけ薬草を買うことにし、リリーは真剣な顔で輸入された品々を見比べた。悩んだ挙げ句に乾燥した「バジル」の葉を選んだ。バジルは便通改善に効くのだという。銅貨のつり銭を受け取る。残りは大切に蓄えておくらしい。
立ち並ぶ露店を眺めて歩いていると、リリーの足の運びがわずかに遅くなった。ムーンから見て今日一日のリリーは鼓動が弾んでいて体温も少し高い。喜びの感情に包まれているのだろうと、ムーンは推測していた。いつも森の中で暮らしているのだから、たまの町散策でそういった気分になるのは自然なことなのだ。人間の機微をとっくの昔に手放したムーンにも理解ができる。そして、そこから弾き出されたのは「正解」だった。
「店主」
リリーの視線を辿った先にある店の店主にムーンは話しかけた。
「ん??」
コップや鉢、花瓶などのガラス工芸品が置かれている店だった。平民相手では売れていないらしく、店主は暇そうにしている。
一番隅に並べられた品物にリリーの視線が向いていた。ムーンはそれを指差し、店主に告げる。
「これを一つ欲しい。いくらだ?」
「ムーンさん!」
リリーが顔を赤くして口を開きかけた。
「ああ、これね。余った材料を使って暇潰しで作ったやつだから、銅貨十枚でいいよ」
「買おう」
話が進むのを前にしてリリーが声を出せないまま店主とムーンの顔を交互に見る。
「割れたガラスを溶かして、曲げた針金に流し込んだだけのやつだよ」
リリーの手に渡されたのは、五枚の花弁を持つ花の形に色が混じったガラスが太陽の光を受けてきらきらと七色に輝く髪飾りだった。
次回→町へ行こう!③/③
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