第2話

「ど、どうでもいいけど……私だけしか写ってない写真が風見家にあるのって、少しおかしくないかしら? 私のピアノの発表会とか……」


 愛梨は少し気まずくなった雰囲気を誤魔化すようにそう言った。


 一颯+愛梨という組み合わせならば、まだ分かる。

 しかし愛梨だけの写真が風見家のアルバムの中にあるというのは奇妙な話だ。


「うちの親にとって、お前は自分の子供も同然ということ……じゃないか?」


 実際、一颯の母親は一颯の写真を撮るのも好きだが、しかし愛梨の写真を撮るのも好きだ。

 実は男の子もいいけど……女の子も欲しかったのよね! というのが一颯の母の言葉である。


「それは……まあ、嬉しいけどね。うちのアルバムにも、一颯君の空手の試合の写真があったりするし。でも……」

「……まあ、言いたいことは分かる」


 愛梨(一颯)を自分の子供のように思っている。

 それは喜ばしいことだが…… 

 しかし将来、自分の子供と結婚するだろうから、自分の子供のような物という考え方をしているならば、やめてもらいたいというのが一颯と愛梨の本音だった。


「そう言えば愛梨……お前、ピアノ、どうしてやめたんだ? いい線行ってたじゃないか。勿体ない……」

 

 一颯は愛梨に尋ねた。

 一颯はお世辞にも上手くはなかったが、愛梨は発表会で演奏し、それなりの評価を得る程度には上手かった。


「どうしてと言われても……中学受験で忙しくなったから? ピアノで食べていく気はなかったし、食べていけるとも思ってなかったし」


 今でも軽く引いてはいるけどね。

 と、愛梨は肩を竦めて言った。


「そもそも先にやめたの、一颯君じゃん」

「いや……まあ、俺はそもそもそんなに上手くなかったからな……」


 一颯は言葉を濁しながらそう答えた。


「……でも、少し懐かしくなっちゃったなぁ」


 愛梨はそう言って目を細めた。

 そして一颯に対して笑みを浮かべて言った。


「ピアノ、弾かない? 久しぶりに」


 唐突に愛梨の発言に一颯は思わず聞き返す。


「え? ピアノ!? ……これから?」

「そう。……しない?」


 愛梨は前のめりになりながら、一颯にそう提案した。

 シャツの胸元の間にできた僅かな隙間から、下着と谷間が見えてしまい……一颯は思わず視線を逸らす。


「う、うーん……」


 一緒にピアノを引く……果たして何年ぶりだろうか。

 小学生の頃は幾度が一緒に弾いたことがあるが、それ以来かもしれない。


「ねぇ、しよ?」


 愛梨はそう言いながら一颯の腕に抱き着いた。

 いつまで経っても慣れない、柔らかい胸の感触が時の経過を物語っている。 


「い、いや……でも……上手くできるかどうか……」


 一颯は正直、あまりピアノに自信がなかった。

 自分の才能についてはよく理解している。……はっきり言ってしまえば、あまり上手くはない。


 愛梨と同じ程度通っていたはずだが、しかし愛梨の方が遥かに上手い。


 そもそも一颯はピアノを止めて以来、全くと言って良いほどピアノを弾いていない。

 精々、年に数回触れた程度だ。


 そんな自分が愛梨と一緒に弾けば、確実に足を引っ張ることになるだろう。


「私がリードしてあげるから……ね?」


 怖がらずにやろうよ。

 そう言いたげに愛梨は一颯の手を軽く握った。


 ――この感じは、久しぶりだな。



 ふと、一颯は懐かしさを覚えた。

 今はともかくとして、昔の一颯は引っ込み思案で、臆病だった。


 愛梨はそんな一颯の手を握って、言ってくれたのだ。

 怖がらないで。一緒にいてあげるから。


 思わず一颯は笑みを浮かべた。


「……分かった。やろう」




 さて、二人はピアノが置かれているリビングへと向かった。


「意外と埃、溜まってないね」

「母さんが使ってるんだ。たまにね」


 一颯がピアノを始めたのは母親の勧めからだ。

 一颯が使わなくなってからも、勿体ないからとたまに弾いている。


 一颯たちがピアノの準備をしていると……


「あら、二人とも……もしかして弾くの!?」


 驚いた表情で一颯の母が二人に尋ねた。


「まあ、軽くね……」

「はい。使わせてください」


 二人がそう答えると、一颯の母は満面の笑みを浮かべた。


「全然、構わないわ! それにしても一颯さんが演奏なんて本当に久しぶり……あ、そうだ! 少し待っててね!!」


 そう言うと彼女はどこかへと消えてしまう。

 一颯と愛梨は顔を見合わせ、肩を竦めると……

 気を取り直して準備を再開した。


 一颯は適当な楽譜を取り出し、愛梨に尋ねる。

 

「で、どれにする? ……できれば簡単なやつにして欲しいけど」

「そうだね。……じゃあ、これとか?」

「それか……それなら、まあ……」


 二人で並んで椅子に座る。

 手慣らしにと言わんばかりに、愛梨はドレミファソ……と鳴らし、微笑む。


「本当に久しぶりだね」

「全くだな」


 二人が始めようとすると……


「待って! まだ、始めてないわよね?」


 息を切らしながら一颯の母親が現れた。

 手にはビデオカメラを持っている。


 思わず一颯は眉を顰めた。


「撮影するつもりかよ……」

「ええ、もちろん。だって久しぶりの一颯の演奏だし……何より、愛梨ちゃんと弾くんでしょ? 撮るに決まってるじゃない!」


 お母さんのことは気にせず演奏してね!

 と言わんばかりに一颯の母はカメラを構えた。


 二人は露骨に嫌そうな顔をすることで拒絶の意思を現したが……

 どうにも通じないことに気付くと、揃ってため息をついた。

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