第40話:愛情、憤怒、勝利!

 ――時間は十日前まで遡る。


 カイル・トランジェントは気がつくと大陸極北のキナリ雪原の中心に立っていた。


 そこはあまねく生命を凍てつかせる極寒の地。


 気温は氷点下数十度にも達し、猛烈な吹雪が真横から吹きすさんでいる。


「……ここ、どこ?」


 しかし、彼はそれらを全く感じないほどの大きな困惑の真っ只中にいた。


 直前の記憶は訓練所でアカツキと交わしたいくらかのやり取りだけ。


 ここがどこなのか、どうして自分がこんなところにいるのか彼には微塵も理解出来ていない。


「てか寒っ! ヤバイヤバイヤバイ! 死ぬって、これ!」


 転送されてから三十秒が経過し、彼はようやく生命の危険を感じるほどの寒さに気がつく。


 辺りは見渡す限りの白、白、白の白銀世界。


 猛烈な吹雪が真横から吹きすさび、視界は10メートル先も見えないほどに狭い。


 それでも兵士としてあらゆる状況を想定した訓練を熟してきた彼は決してパニックには陥らず、冷静に状況を確認しようとする。


 このような吹雪の雪原地帯を想定したものではないが、遭難時の対処法は新兵時代に生存自活訓練で学んでいた。


「ま、まずはどこか避難出来る場所を探さないと……このままじゃ一時間も保たない……」


 視界が制限された吹雪の中、彼は周囲を見渡して緊急避難できそうな場所を探す。


 まずはこの雪を凌げる場所を探して体力の消耗を避けないといけない。


 そう考えながら足場に気をつけて付近を探索していると、数分も経たない内に斜面に開いた横穴を見つけた。


 まるで最初から用意されていたかのようにお誂え向けな避難場所。


 十分な深さと広さもあり、ここなら火をおこすことも出来そうだと彼はほっと一息つく。


 アカツキから受け取った大荷物を放り込んでから自分も穴の中へと入っていく。


 魔物の巣穴ではないことを確認し、適当な岩に腰を下ろした彼は再び考える。


 ここは一体どこなのか。自分はどうしてこんなところにいるのか。


 前者に関して心当たりはなかったが、後者については心当たりがあった。


「最後に覚えてるのは、背中を蹴り飛ばされてあれの中に入って……それで気がついたらここにいて……」


 アカツキに案内された隊舎の裏で目にした転移門ポータルと呼ばれていた空間の亀裂。


 断層とよく似たあれを通り抜けた先がこの場所だった。


「じゃあ俺……本当にどことも知れない遠くに飛ばされたってこと……? 嘘だろ……」


 アカツキの言葉を眉唾だと思っていた彼は、それが真実だったことに頭を抱える。


 だが、気が付いたところで彼にはここがどこで、どうすれば元の場所に戻れるのか見当もつかない。


 分かるのは自分が死と隣り合わせの極限状態に置かれていることだけ。


「数日分の食料と防寒具……焚き火の道具まで……」


 受け取った荷物の中身を確認すると、この状況に必要なものが概ね揃っていた。


 つまり、全ては彼女かあるいは彼女に命令を下した誰かによって仕組まれたものであるのが分かった。


 カイルは彼女が言っていた言葉を改めて思い出す。


「強くなるためには……隊長に勝つためには、これくらい乗り超えないといけないってことか……。だったら、やってやろうじゃないか……!」


 そうして決意を固めた彼はまず、吹雪が弱まった頃を見計らって周辺の捜索を行った。


 最初は迷わない程度に避難場所の近辺。


 そこから少しずつ土地勘を得て、更に探索範囲を広げていった。


 しかし、得られた結果はより絶望的な状況が明白になるだけだった。


 敵はこの厳しい自然だけでなく、周辺には彼が初めて目にする魔物が蔓延っていた。


 この適者生存の世界を生き抜く魔物は、自分がこれまで戦ってきたどの魔物よりも凶暴で強靱だと一目見ただけで分かった。


 一匹や二匹までなら不意を打てば倒せるかもしれないが、それ以上になると今の自分ではどうしようもないと。


 すなわち現状での脱出経路の確保は困難。


 生きて帰るには、数日分の食料と火種が尽きるまでに自分もこの環境に適応しなければならない。


 そのための教師として彼は周辺に存在する魔物の観察から始めた。


 この過酷な環境で彼らは一体どのようにして生きているのか。


 弱肉強食の一方的捕食から同格の縄張り争い、窮鼠猫を噛む下剋上まで。


 時には雪に埋もれて凍死しかけながらも彼はこの世界の生態を観察し続けた。


 二日目には、自らもその生態へと踏み入って魔物と矛を交えた。


 三日目に傷を負いながらも3m以上ある氷雪狼を倒した時は、これまでの人生で最も大きな歓喜に震えた。


 倒した魔物の肉を喰らって命を繋ぎ、皮を剥いで寒さに耐え、油で火を灯した。


 過酷な生命の円環に同化しつつも彼はずっとあることだけを想い続けていた。


「ミアのおむすび……美味かったなぁ……」


 焼いただけで碌な味のない獣肉を口にしながら思い出すのは、彼女が訓練時によく持ってきてくれた手料理。


 ずっと自分のことを見てくれていたのか、いつも好物ばかりを作ってくれた。


 彼女のことを想うだけで、カイルの身体には生への渇望が満ちた。


 今は何をしているんだろうか、突然自分がいなくなっていつものように慌てふためいているんだろうか……。


 容易に想像出来た幼馴染の姿にカイルは久しぶりに微かな笑みを浮かべた。


 しかし、一方では気がかりなこともあった。


「俺がいない間、隊長に変なことされてたりしないよな……。ミアのことを良い女とかあいつとデートしたいとか言ってたし……。そもそもこんなことになったのもあの勝負が原因で……。でも、よく考えたらおかしいよな。ただの新入りの俺にここまで大掛かりな訓練なんて……」


 事の発端を思い出した彼の中にふつふつとある疑念が湧き始めてきた。


「もしかして、最初から隊長がミアを自分のものにするのが目的だったんじゃ……。邪魔な俺をこうして排除して……今頃はミアを……」


 極限状態で一度動き出した思考は一方向へと加速していく。


 脳裏には、これまで尊敬していた男が非道な悪人面でミアを手籠めにしている様子が浮かぶ。


「だったら許せない……」


 そうして彼の意志にもう一つの生きるための理由が刻まれた。


「絶対に生き残って……俺がぶっ倒してやる……」



 **********



 ――時刻は現在へと戻る。


「い、生きてて何よりだ。良かった良かった、本当に良かった。あー良かった」


 主人公の安全が確認出来て心底安心する。


 しかも、想定では30程度まで上がってくれれば御の字だと考えていたレベルがなんと40超まで上がっている。


 更にそれだけでなくキナリ雪原でしか習得出来ない特殊クラスまで。


 向こうで何があったのかは定かでないが、大ガバが一転してまさかのとんでもない上振れを見せてくれた。


 久しぶりに乱数の神へと心からの祈りを捧げたい気分だ。


「生き延びましたよ……。だって、俺にはやるべきことがありますから……。時には道理をも曲げて、自分のやるべきことをやれ……そう教えてくれたのは、あんたですよね……隊長!」


 でも、何故かカイルはさっきからずっと俺を睨みつけている。


 怒ってる。めちゃくちゃ怒っている。


 そりゃ怒られても仕方はないようなことをしたけれど、これはもう怒りを通り越して殺意だ。


「た、確かにちょっと無茶はした。辛く苦しい目にもあっただろうが、全てはお前たちのためだったんだ。多少の行き違いは全部水に流して仲良く握手といかないか? ほら、ミアもお前のことをずっと心配してたんだぞ?」


 依然として凄まじい力の込められた槍を押さえながら仲直りの握手を求める。


「ミア……?」

「そ、そうだ。実は全部ミアも了承の上でお前を鍛え――」


 しかし、その名前を出したのが完全な悪手だった。


「ミアは絶対あんたになんか渡さないッ!!」


 絶叫と共に今度は真上から槍が振り下ろされる。


「どわっ! あ、あぶねぇ!」


 なんとか回避はしたが、槍が叩きつけられた地面が大きくヒビ割れる。


 その一撃を観察している間に、今度は槍を持っていない方の手から魔法が放たれた。


 先刻放たれたのと同じ氷の槍が、今度は小型で複数になって襲いかかってくる。


 特殊クラス【生存者サバイバー】の特性は魔物からの学習。


 すなわち種々の魔物が使う術技や魔法を模倣・再現する能力。


 自力でキナリ雪原から帰ってきた今のこいつは、あそこに生息する魔物の総体と言って差し支えない。


 この【ランシングアイスボルト】もキナリ平原に生息するグレイシャルホークと呼ばれる鳥獣系の魔物が使う魔法。


 氷塊を放つ魔法である【アイスボルト】の上位版で、ただのそれと違って対象を追尾する性質を持つ。


 なので、避けるのではなく手にした草刈り鎌で一つ残らず叩き落としていく。


「こ、今回は俺が悪かった! 確かにあんな場所に十日も放置はやりすぎた! 本当は四、五日のつもりだったんだ!」


 不当な攻撃を防ぎながらカイルに話しかけるが、無反応のまま更に攻撃を畳み掛けてくる。


 以前は振り回されるだけだった槍を軽々と振るい、魔法まで器用に使いこなしている。


 よくぞここまで強くなってくれたと感動している暇もなく、今度は上下から同時に獣の牙を模した多数の氷槍での挟撃。


 【フロストバイト】


 キナリ雪原では最もポピュラーな氷雪狼系の魔物が使う技だ。


 地面を蹴って上下から迫る氷牙を後方へと回避する。


 レベル的にはまだまだ俺の優位性は揺るがないが、それ以外の状況が流石に悪すぎる。


 向こうは十日かけて醸造された怒りでボルテージMAXのフルバフ状態。


 対してこっちは突然襲われて困惑している上にまともな装備もしていない。


 手にしているのは武器未満の草刈り鎌だけ。


 それでも使用スキルと行動パターンさえ分かれば対処のしようはあるが、敵として戦う主人公の行動パターンなんて流石に知らない。


 完全に想定外も想定外の出来事だ。


「このクソガキが! 人の話を聞けっての!」


 それでもステータス差を活かして攻撃をなんとか防ぎ続けていく。


「カイル! やめて!」


 全神経を目の前のカイルに集中させている意識の外からミアが叫ぶ声が聞こえてきた。


 危険だと判断したアカツキが離れた場所へと退避させてくれたようだ。


 一方、カイルは幼馴染の声に耳を傾けることなくひたすら攻撃を重ねてくる。


 聞く耳を持たない以上は仕方ない。


 こうなったら多少は乱暴してでも止めないと。


 意志を固めた直後、カイルが高く飛び上がり槍を肩の上に高く構えた。


 跳躍が頂点へと達し、落下に入ろうとした瞬間に奴はそれを俺に目掛けて投擲される。


 大気を斬り裂く音を鳴らしながら槍が高速で飛翔してくる。


 だが、流石に攻撃モーションが素直すぎだ。


 やすやすと回避すると槍は地面に深々と突き刺さった。


「わざわざ俺に武器を渡してくれるなんて、多少は強くなったみたいだけどまだまだ甘――」


 地面に刺さった槍を取って反撃に転じようとするが――


 握った柄がまるで氷のように冷たい。


 その事実に気がついた時にはもう遅かった。


 槍が突き刺さった地点を中心に広がった霜がしっかりと俺の両足を包み込んでいる。


這い寄る厳冬クリーピングウィンター


 キナリ雪原に生息するユニークモンスター【銀死鳥フレスベルグ】が使用する広範囲行動阻害魔法。


 まさか単独でそんな大物まで倒した上で、こんな応用技まで使いこなしているとは。


 本当なら弟子の成長に喜ぶべきなのだろうが――


「……やば」


 現状を端的に呟いた直後、正面から向かってきたカイルの右拳が顔面に叩きつけられた。


 首から上が吹き飛びそうなほどの衝撃が打撃点から全身へと伝播していく。


 足元で固まっていた霜が破壊されるほどの強烈な一撃に、後方へ大きくたたらを踏みながらも何とか倒れずに持ちこたえる。


 人生最大級のダメージを堪えながら次なる一撃に備えて構えなおすが……


 カイルは拳を振り抜いた体勢のまま、追撃の気配を見せずに固まっていた。


「……った……ったぞ……」


 呼吸で肩を上下させながら小さな声で何かを呟いている。


 体力切れかと様子を窺った次の瞬間、彼は両手を天高く突き出して高々と雄叫びを上げた。


「勝ったぞー!! 隊長に勝ったー!!!」

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