美少女騎士(中身はおっさん)とイカ その02


 『彼』が生きていたのは、光のない暗黒の世界だった。


 いつ生まれたのか。いつからそこに居たのか。自分でもわからない。


 巨大な目玉に映るのは深海魚が放つ儚げな光だけ。聞こえるのは海流のうねりと悲しげなクジラの歌ばかり。


 彼は普通の生き物ではない。餌に出会う機会がほぼ皆無なこんな場所でも、母なる大地より魔力を吸収している限り死ぬことはない。


 深海。途方もない年月を、そこで彼はすさまじい水圧とただただ退屈な時間に押しつぶされながら、生きてきたのだ。


 あるとき、彼ははるか上の方角から、巨大な魔力と魔力のぶつかり合いを感じた。


 それは、人間の物差しで数千メートルにもおよぶ莫大な量の海水を透してさえ、凄まじい量の魔力だった。


 ……上にいけば、何かが居る。膨大な魔力をもつ何かが。それは、さぞかし美味いのだろう。


 それが、人間の暦で十五年ほど前の出来事であった。




 彼は、ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて浮上した。


 十数年かけてたどり着いた海面付近は、思いのほか快適だった。


 無限に広い大海原。空から降り注ぐ眩しい光。騒々しい音。彩り豊かな生き物たち。


 残念なことに、あの時のような魔力を感じることは滅多に無かった。しかし食うものに困らない。なによりもここは刺激的だった。


 だから、彼はこの生活に満足していたのだ。……その日までは。


 たまたま近づいた島。騒々しい音をたてながら海面を走り回るやたら大きな者ども。明確に向けられた敵意。そして感じた、莫大な魔力。もしかしたら彼自身よりも強いすさまじい魔力。


 彼は飛びついた。魔力を喰らうために。







 ……イ、カ?


 水面を突き破り、ロケットのように真上に飛び出したそれは、どう見てもイカに見えた。


 イカ? 胴体だけで三十メートルのイカ? 腕の先まで測れば百メートルくらいあるんじゃないか?


 警備艇のクルーのみなさんも全員が呆気にとられている。ということは、あんなでっかいイカは海の男から見てもやっぱり珍しいということなんだろう。


 生物というはあまりに非常識な巨体が、水面を突き破りジャンプ。いや、それはジャンプというよりも弾道飛行と言うべきだろう。ジェット推進のように口から水流を吹き出し、その反動で一気に高度数百メートルまで巨体が飛び上がる。全身が強力な魔力で覆われた流線型のロケット砲だ。


「青白い顔して口から水流を噴き出すって、ウーィルちゃん先輩と同じっすね」


 船酔いで真っ青な顔をしたオレを、ナティップちゃんがからかいやがる。


「あほぅ! オレはゲロ吐いた反動で飛んだりしねぇよ! ていうか、女の子が下品なこと言うな!」


 それは船体のはるか上方を飛び越える。再び落下を始める。


「全員なにかに掴まれ!!」


 イカは凄まじい速度で水面に突入。信じられないほどの波しぶき。その反動で船が大きく揺れる。


 やーめーてー。ゆらさないでーー。


 オレは、ブリッジの床の上をのたうち回る。


「機関再始動! いそげ。あんなの相手にできるか。全速で逃げるぞ!!」


 オ、オレもそれが正解だと思うぞ、船長。そもそもなんなんだよあれ。普通イカやタコの化け物といえば、あの触手でウネウネと襲ってくるのがお約束じゃないのかよ。あんなジェット噴射で飛び上がって体当たりとか、どう考えても普通じゃないだろ。


 警備艇のエンジンがうなりをあげる。必死で逃げる。


 だが、イカは執拗に追ってくる。猛烈な速度で潜水とジャンプを繰り返し、機関砲で撃ってもあたらない。






 あまり知られていないが、もともとイカは、……魔力などもたないごくごく普通のイカでも、ごくごく普通に空を飛ぶ。


 この世界の生物のうち、魔力なしで、さらに滑空やジャンプではなく自力で地面から空にむけて飛翔可能なものは、それほど多くはない。


 脊椎動物では、鳥類の多く。哺乳類の中のコウモリ。そしてハチュウ類では絶滅してしまった翼竜。それだけだ。ちなみにドラゴンやワイバーンなどの魔物の飛行は、魔力なしでは不可能といわれている。


 無脊椎動物に目を向ければ、昆虫の多く。そして、軟体動物のイカだ。


 イカの飛行は生物界で唯一無二、翼の羽ばたきによる推力を利用しない独特の飛行だ。水を体内に吸い込み、漏斗からジェット水流を吹き出し、その反動を推力として海面からジャンプ。体側のヒレを左右に展開して揚力を得、さらにジェット水流は空中でも加速に使われる。


 しかも、ウーィル達を追う巨大イカはただのイカではない。その膨大な魔力をもって、ジェット噴射をブースト。まるでアフターバーナーのように凄まじい加速が可能な化け物だ。





「両舷全速! 舵をジグザグに取れ! 逃げ切るぞ」


 巨大なイカから逃げるため、船長は檄をとばす。


 ブリッジの中、さっきまで船酔いで真っ青だったちっちゃい方の少女騎士の顔は、いまや紫色になっている。……だが、もうしばらくは船から降ろしてやることは無理そうだ。可哀想だが我慢してもらうしかない。


「イカの化け物、いまだ追ってきます!」


 くそ。さっさと諦めてくれよ。


 船長が毒づく。


 このままでは、海軍の連中が侵入禁止海域に設定したあの島に近づかざるを得ない。


「船長、船をあいつに寄せてくださいっす。私があいつの背中に飛び移ってぶん殴ってやるっす」


 おおきい方の女性騎士がバカなことを言い出した。


「ばかを言うな。いくら魔導騎士だからって、そんな危険な事をさせられるか!」


「やってみなきゃわか……「船長!」」


 割り込んできたのは通信士だ。


「通信が入ってます。海軍からです」


 海軍? 助けに来たのか?


 ブリッジから右舷をみれば、いつの間にか公国海軍の駆逐艦がいる。……左舷の遠くにも。遙か前方にいる巨大な艦は巡洋艦クラスじゃないのか? 空には航空機もたくさん集まってきた?


 ……これでは艦隊に包囲されているみたいじゃないか。あの島をまもっていた艦隊なのか? いったい何があるというのだ?


「非常用チャンネルで緊急通信です。船長を出せと言っています」


 沿岸警備隊は、戦時には自動的に海軍の指揮下に入ることになっている。ゆえにたとえ平時でも常に情報交換を欠かさない。公国の海を護る男同士、互いに尊敬し協力し合う仲だ。だが、……いまはイヤな予感しかしない。


「いま取り込み中だと伝えろ」


「……て、停船命令です。『貴船は特別監視海域に接近しつつあり。停船せぬ場合は発砲する』と」


 なんだと! 海軍はあの化け物が見えないのか? この状況が理解できんのか!


 船長にはわけがわからない。たしかにここは海軍が設定した進入禁止領域だ。しかし、あの島で何が行われているのか、彼は全く知らされていない。


 期せずして、警備艇と駆逐艦がイカを両側から挟む形になった。駆逐艦は艦砲をこちらに向けている。


 船長が無線で怒鳴る。


「ばかやろう! 砲をむける相手が違う!! 海軍があの島で何をしているのかしらんが、今おまえが撃つべき相手はあのイカの魔物だろうが!!」


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