第六章 大親父の目論見

 結論を先に述べるとすると、俺たちは大親父の新たな依頼を受けることになる。

 大親父は俺たちが要求をのんだとわかるや、現金にもけんもほろろに俺たちを城門の外へと突っ返した。俺たちは半ば茫然としたまま帰路へつくのだった。

 そのころには陽も大分と傾いており、燦燦たる金色の陽光も、消ゆる寸でに光を増すともしびのように、ひときわ強い朱を帯びて街を照りつけていた。辰砂をまぶしたような赤い空の彼方には、夜の闇が夕空を食むように迫っているのが見える。

 ふと振り返って城を見ると、威風堂々たる厳顔な佇まいで、燃ゆる落日の儚い斜陽を受けながら、その昔の栄光を物語る姿がなんともわびしい。

 しかし、我々の足が市場に差し掛かるにつれて、あのもの悲しい風情もどこ吹く風かと言わんばかりの賑わいが耳に入ってきた、道の端に間配られた街灯は徐々に灯りはじめ、むこうからきこえる夜市の喧騒が、往昔の切ない余韻に浸る俺たちの幻想を破った。

 夜の市場も昼の市場に負けず劣らずの大賑わいである。

 夕食を求めて彷徨している者と、露店の怒号のような客寄せの声であふれかえっているところは昼間と同じであるが、夜市をうごめいている人々の佇まいは、昼の者たちにくらべるといくらか精力的で若い。そのため喧騒もどこか昼に比べると、どこか調子が高く活き活きとして聞こえる。やはり若者にとって、夜というのは華々しくも背徳的で眼を背けがたい魅力があるのだろうか。

 わけても、酒場の一帯の喧騒はひとしおである。

 昼間は寂れていた酒場は、いまや大勢の若人やらむさい冒険者どもでごった返していて、一種乱痴気騒ぎとなっている。酒場だけではとても収まりがつかないようで、店の外にも背の高い丸テーブルを、道を半分まで覆うほど並べているのだが、それでも席はまだ十分に確保されているとは言いがたい。

 所せましと並ぶテーブルには、気性の荒い冒険者どもや、活きの良い若人たちが、蜜に寄ってたかるカブト虫のように、こじんまりと団子になって酒盃を舐めている。

 酒場のすこし外れのほうでは、罵り合いや殴り合いのいざこざが、かたや酒場の裏路地では、まだ陽も沈み切っていない時分だというのに、壁に身を沈めてぐったりしている者、派手なけばけばしいイブニングドレスを身にまとった娼婦と溶け合う男や、酒瓶を両手に持って交互に呷りながら、酩酊として酒色の夢を浮遊している輩が見られた。

 この街では、酒場といえるものはここぐらいなもので、他は満足に酒も出せないような粗悪店ばかりだから、ここら一帯が並みならぬ異様な熱気と賑わいに包まれるのも無理はないだろう。

 けれども、今の俺にはこういう愉快な熱気に浮かせられるほどの気持ちの余裕はなかった。心中に吹きすさぶ陰惨たる飄風に、明朗や愉快といった愉快な感情を吹き飛ばされ、普段なら浮足立つこうした斜陽に賑わう愉快な熱気すら、ひどく煩わしいとさえ感じるのだった。

 それでも俺はこれではだめだと思い、帰りしなに、少女へ何か食べて行かないかと提案したが、

「いらない。私は静かにご飯を食べたい。どうしても食べていきたいなら一人で食べてきたら? 私は先に帰る」

 と、にべもなく断られたため、俺は悄然として仕方なくまた歩き出すのだった。

 復路は往路と同じく、街の各所を循環する馬車に乗って、街の入口である検問所まで向かい、そこから徒歩へホテルへという流れである。が、繁華街から各所へ連絡するロータリーへ着いたところ、繁華街から街の入口を連絡する馬車は、例によってあの馬車もどきしか残っていなかった。

 どうしてもあの馬車もどきに乗る気にはなれない俺は、無理を承知で歩いて帰らないかと少女へ訊ねてみた。

 すると意外にも少女もこれに賛成し、徒歩で帰路につくことなった。

 歩くにつれて、ひしめき合っていた建物同士のあいだはしだいに間遠となっていき、そのあいだには、誰の手も入らず悠々自適と育った茂みや、荒れるにまかせた忘らるる田畑が、人世の儚い盛者必衰の縮図のごとくを示すように添えられている。

 すきっぱな侘しい街並みにふと一陣の風が街に吹くと、かつて栄華をきわめた街の成れの果てたる雑草たちが、さわさわと切なくそよぐ。

 俺たちはみちみちで口を利くことはなく、互いにだんまりであったが、それが必ずしも気まずい沈黙というわけではなく、互いによそよそしさはあれど、どこか気の置けないすがすがしささえあった。

 徐々に見知った景色もちらほら出てきて、ホテルが近くなったと悟ったころ、

「まさか、あんな依頼をこじつけてくるとはね」

 ふいに少女がこのようなことを口にした。

 俺はすこし驚いたが、それでもすぐに、

「ああ、そうだな。あれは依頼というより、もはや命令みたいなもんだったな。あんな場で断ることもできないし」

「なんで? 断ればよかったじゃん」

 少女は怪訝な顔をする。

「君はいいかもしれんが、俺は困るんだよ。あのクソ親父、いろんなところにコネを持ってるから、今後旅をしていくうえで、敵に回すとこの上なく面倒なんだよ」

「面倒?」

「カイツ商会はこのスーリエ大陸でもっとも羽振りの良い商会なのは知っているだろう? その勢力もさることながら、あの商会は武器商も兼ねている。この国のあらゆる武力、経済力はカイツ商会がほとんど掌握しているといってもいい。そういう手前、王都もむやみに彼らに手を出せないんだ。つまり彼らの悪事はたいがい見て見ぬふりさ。そんな幅の利かせられる奴らに眼をつけられてみろ。場合によっちゃ王都を敵に回すよりたちが悪い。魔王が生まれ変わったってんならあの大親父がそうかもな」

 途中まで俺の言葉にさして関心を示さなかった少女だが、俺が最後の一言を述べると、少女の眼に俄然憎しみの炎に燃え上がった。

「魔王……ね」

 少女の噛み切れぬような苦々しい呟きを聞いた俺は、いくらかはっとして、これは拙い冗談だった、と内心で猛省した。かの苛烈な戦争を経た今の世では、魔族に対してなみならぬ憎悪を抱いているものは少なくない。そういう者からすれば、魔王の再臨などという冗談など反吐が出るほど不快なものだろう。すると、少女の憎む相手というのは、ひょっとすると魔王、あるいは魔族なのだろうか。

 俺はすぐさま話題をかえようと、ちょっと声をはげまし気味に、

「まあ、君はいいよな。あのスケベ親父は女に甘いし、それに君ときたら趣味まで一緒じゃないか。可愛がりもひとしおだろうな」

「はっ、あんな変態親父と一緒にしないで。私の嗜みはもっと深いところまで理解があるの。あの変態親父は上辺の美しさに騙されている。少しお城の中でも話したけど、すぐにわかった。あんな理解のない奴にあれらの代物は実に惜しい。豚に真珠とはまさにこのことだね」

 少女はそうまくしたててから、

「そんなことよりあのスケベ親父の依頼、本当に受けるつもりなの?」

 と訊いてきたのだが、スケベ親父と口にする時だけ、一字ずつ語気を強めて発音したのが、なんだか少しおかしかった。

「はあ、受けてしまった手前、断るわけにもいかないしな。こういう面倒ごとは手早く片付けて、さっさととんずらするにかぎる」

「ということは?」

「先方もいそいでいるようだし、明日にでも出向くとしようかな」

「なるほど」

 少女はちょっと思い悩むように顎をさすってから、

「じゃあ私もついていく」

 ときっぱりといいきった。

 俺は初め、少女が何を言っているのか理解できず、ぼんやりと少女の顔を眺めていたが、次第に頭脳が少女の言葉を飲み下すと、俺は思わずぴたりと立ち止まると、

「な、何を言っているんだ。たしか君はあちらについていくっていう話じゃなかったか」

「そうだけど頭数は多い方がいいでしょう? 相手は凶暴な魔族だって聞いたし」

 これで貸し二つね、と少女は意地の悪い微笑をうかべてつけ加えた。

「そりゃ無理な話だ。第一、そんな危ないところへ連れていけないから俺一人で行くって話だっただろう。君はあの大親父の言われたとおりにすればいいんだ」

 俺が慌ててどもりつつ返答するも、少女はまったく歯牙にもかけない様子で、何もこたえずに俺を置いてすたすたと歩いていく。

「ちょ、ちょっと待てって。わかっているのか? 相手はあの魔族なんだぞ」

 俺はすぐさま少女のもとへ駆け寄り、肩に手をかけて呼び止めた。

 それでも、少女が尚もかまわず前へ進もうとするのは、自分の意見を一切譲るつもりがないからであろう。

 俺は掴んだ肩を引き寄せて無理やりに少女を振り返らせたが、

「肩、痛いんだけど。離してくれる」

 少女は、血で濡れたような鋭い真っ紅な眼で俺を睨みつけた。その瞳の奥には、なんとも言いがたい異様なる光がまたたくのが見えて、思わず慄然とする。

「あ、いや。すまない」

 少女のするどい眼光にたじろいだ俺は、思わず掴んでいた肩の手を離す。

 すると、少女は少し顔を伏せて、しばらくしたのち、

「仇に死なれては困るから。私の仇は私の手で討ちたいんだ」

 と、わずかにしゃがれた声でつぶやいた。

「仇って……じゃあ君の仇はやっぱり魔族だったのか」

 そうとなると、さきほどの冗談の失態がいよいよ深刻に思えてきて、俺は胸中は激しい悔恨に乱れた。いわんや目の前で父を殺された少女をして、魔族絡みの冗談を口にするのはあまりに野暮である。

 少女は俺の言葉に答えず、

「だから、私も連れていけ。勝手に仇が死なれちゃ困るんだ」

「はあ、とはいってもだな……」

「あんたが無理だといっても私は勝手についていくから」

 少女は今朝よりもねつい調子で、俺へと詰め寄ってくる。少女の瞳に、瞋恚の黒い業火が燃え盛っている。

「それともなに? また私が隙を見てあんたの首を狙うかもって思ってるの? 大丈夫、もうそんなことしないから」

「いや、そういうわけじゃないが、これはあの大親父の決定だろう? 大親父にはなんていうんだ? 彼の不興を被るのは御免だぞ」

「あんなスケベ親父、しなつくって適当にあしらっておけばいいでしょ。どうせ女には甘いことだろうし」

「はあ」

 この少女、ひょっとすると俺が思っている以上に無軌道な娘かもしれない。あの大陸の権力者たるカイツの大親父をつかまえて、このような軽佻浮薄はなはだしい扱い、彼をよく知る者が聞けば卒倒するだろう。

 まったく肝が据わっているのか、考えなしなのか、いったいいままでどのようにこの大陸を旅してきたのだろうか。

「それはそれでいいとして、俺はお前――あ、いや、君を守りながら戦う余裕もないぞ。相手は魔族なんだ」

「別に構わないし、はなっから守ってもらおうだなんて思ってないよ。それにこの前の森では、守って戦ったのは私なんだけど?」

 少女は憎らしい嘲笑をうかべるのだが、そこに含まれているのは、なにも侮蔑だけではないことが、かすかだが感じられた。

 こうしてみると、さきほど大親父の対応していた時とは違い、冷淡で憎らしい嫌いがあるものの、ときおり見え隠れする陰のある無邪気さが、いくらか子供じみていて、どこか保護欲をくすぐるような可憐さがある。

 俺たちは再び肩を並べて歩きだし、

「ははは、そりゃ面目ない。……それはそうと、おま、いや、君の仇は明日行く魔族の集落に本当にいるのか?」

 俺は少し笑って訊ねると、少女は探るような眼で俺の顔をじっと見つめて、

「さあ……わからない。そこへ行ってみなければ、なんともいえない」

「なんだ? 手がかりがあるわけじゃないのか?」

「うーん、まあそんなところかな」

「相手の顔は分かるのか?」

「当たり前だよ。忘れるわけがない。やつは私のすべてを奪ったんだ」

 少女は端然として答えたが、その瞳にはどす黒い憎悪の炎が燃え上がっている。夕暮れの閃火に照らされた少女の横には、端麗とした目鼻立ちが浮き彫りなって美しい陰影を刻んでいた。しかしその反面では、身を引き裂くような冷たい怨恨や憎悪が、暗い夕闇の深い翳りに落ち込んでいた。

 その悲しき横顔の翳りに、彼女を取り巻く救いがたい境涯を垣間見た気がして、俺は少なからず胸を打たれずにはいられなかった。

「……なるほど。だから魔族の集落へいって面通しをするってわけか」

「まあ、そういうことになるかな」

「それはそうと、あの大親父から頼まれていた別件はどうするつもりなんだ?」

「ああ、あれ」

 少女は思い出したように呟いて、

「あれは気にしなくていいよ。別に」

「気にしなくていいって……お前、これは曲がりなりにも依頼なんだから、責任をもってこなさないと」

「はぁ、あんたって本当に堅い男だね。大丈夫だって、指示があるまで指定の場所で待機してろってだけだから。指示が来たらテレポートでもするさ」

 少女が退屈そうに答えるのを見て、俺はこれ以上の追及は不毛と考え、別の話題を切り出そうと口を開いたとき、

「あんた……」

 と、少女がふいに口のうちで呟いた。

 俺はなんだと返事をすると、少女はちょっと思い悩むように眼を伏せ、やがて首をわずかにかしげて、

「いや、あんたにもまともなところあるんだと思って」

「お前は俺を何だと思ってるんだよ」

「ただの腰抜けの朴念仁」

 少女はさらっと答えて、意地悪く微笑んだ。

 この少女の可愛らしい微笑みさえも、ともするといじらしく思えてしまい、俺はまた胸を痛めるのだった。しかし、少女がこうしてわずかながらもこうして心を開いてくれたことに、俺は多少の満足感が得られないでもなかった。こうして少女の圭角が取れてきたのも、打ち解けてきた証なのかもしれないと思うと、なにやら誇らしくもあった。

 ふと先ほどの出来事を顧みるが、こうして過ぎ去った後でも、あの大イノシシの無茶にはいささか閉口せずにはいられない。

 あの時、大親父のいった曰くのある渓谷。……

 それはこの街が退廃しなくてはならなくなった大きな要因の一つとも言える、魔族の集落が渓谷にあるのだ。

 大親父はあのとき、俺たちの顔を見くらべて、例によって耳につくドラ声でこう言った。

「わしの依頼を受けてはくれんか、なあ受けてはくれんだろうか?」

 あまりに急きこんだ調子に、俺は気圧されて何も言えずにいると、少女は不思議そうな顔をして、

「……例の渓谷というのは?」

 俺は少し驚いてから、

「知らないのか? この街の北に大きな山があるだろ? あれをマスロープス山というんだが、その山とこの街の境にある渓谷のことだよ。そして、そこには――」

 と、言いかけたところで、大親父が横からくちばしを入れてきた。

「魔族の集落があるんじゃよ。奴らはそのマスロープスの渓谷に所を構えてよるんじゃ。以前、わしがこの街に門戸を構える際に、魔族どもを追っ払ったんじゃが、ここ最近また戻ってきおっての。ご丁寧に今回は武闘派といわれる戦闘に特化した魔族まで引き連れてな。おかげで交易のルートの一つが潰されてしもうて、渓谷を迂回して遠回りせにゃならん。全くもって腹立たしい」

 大親父は大げさに首を振って、肩をそびやかしてみせた。しかし、少女の目はそれを捉えることなく、どこか遠いところを眺めるような眼をしていた。

 今にして思えば、仇が潜んでいるかもしれないという、絶好の機会が訪れたことへの思いが何らかの形で現れたのだろう。今はそういう風に思ったけれど、それでもあの時の眼の色は、何かが違うような気がする。どこか暗くよどんだ、もの憂い眼の色であった気もする。仇が見つかったというのに、どうしてあのような眼差しをしたのだろうか。

 このように、今、考えてもわからぬものが、その時の俺にはもっとわかるはずもなく、不思議に感じていると、少女はやにはに元の調子にもどって、

「つまり、私たちに魔族を追い払ってほしいということですね」

「ご名答じゃ。わしらもそれなりの武装はあるが、武闘派の魔族となると、正直なところとんと勝ち目がない。そこで、鎮魂の森の魔物を討伐したお前たちの出番というわけじゃな。かっかっか。奴らを追っ払えばカイツ商会の利益も元に戻ってウハウハ、お前らもこのありあまる報酬を受け取ってウハウハ、どうじゃ? 悪い話ではなかろう?」

 大親父は、盛大に腹を揺らして下品に哄笑する。

 俺としても受けたいのは山々であったが、どうにもこの話にはまだ何かある気がして、どうも受けかねた。この男が、こうも真っ当な条件を突き付けてくるとは思えなかったし、確かに危険が伴うものの、報酬の額があまりに多すぎる。

 このような額を一般の冒険者に出すぐらいなら、冒険者組合にでも行って、上級ギルドにでも依頼を投げればいい。そうでなくても相手が魔族であれば、王都へでも行って国に依頼でもすれば、おそらく動いてくれるだろう。いや、そもそも勝ち目がないなどと吹聴しているが、この商会が保有する武力で太刀打ちできぬはずがない。カイツ商会はいまや国家をも上回る武力を持っているのだ。彼が本気で潰そうとすれば、どうとでもなるはずだ。……

 にもかかわらず、ここまで自身が動くことを渋るのは、なにか別に目論見があるのだろう。

 俺はとつおいつと考えあぐねていたが、

「あの、王国には討伐要請などは出されないのですか? そちらのほうが確実に魔族の連中を追い払えるかと思うのですが」

 と、しいて単刀直入に切り出してみることにした。

 大親父はのぞき込むようにぎろりと俺を睨むと、

「ふん、あんな腑抜けどもに頼んだのではわしの沽券にかかわるからの。玉座にふんぞり返った国王になど誰が頭を下げるものか」

「では、冒険者組合はどうです? あそこであれば俺よりもよほど腕の立つものが――」

「組合ぃ?」

 大親父は突然、甲高い声をあげると、片眉を吊り上げて凶暴な光に眼をギラギラさせて、

「なんじゃなんじゃ、さっきから。それはわしの依頼を受けとうないと言うておるのか? 遠回しにそんなことを……この卑しい男め。どこまで性根が腐っておるのか。わしじゃてお前のようなものに頭を下げるのも反吐が出るほど嫌なんじゃ。じゃが、こうして誠実に頭を下げておるではないか。そのうえ金まで出しとる。これ以上に何が欲しいんじゃ。いうてみ? 宝石か? わしのコレクションの装飾品か?」

 大親父は、土を蹴って猛進寸前のイノシシのようにふーふーと息巻いて、口角の泡を飛ばしながらわめき散らす。

「装飾品?」

 そこへ少女がだしぬけに口を開いたものだから、俺と大親父も大いにぎょっとして弾かれたように少女を見た。

「大親父様、今ここにある以外にもアクセサリはまだあるのかしら」

 唐突に飛んできた質問に、大親父の怒りの感情が迷子になりつつも、いくらか厳しい調子で、

「アクセサリ? ああ、あるにはあるが、それはちぃっとここに出すことができん」

「なら見に行ってもいいですか? 私、卑俗な女かと思われるかもしれませんが、アクセサリや宝石類がお好きでして」

 少女のこの言葉によって、大親父の怒りはとうとう迷宮入りする。彼はまるで新しいおもちゃをもらった少年のように俄然喜びに輝いた眼で、

「なんとなんと、なにが卑俗なものか。わしもこう見えてアクセサリには目がないのじゃが、それはどんなものであっても例外ではない。たとえそれが、どれだけちっぽけなものでも、粗悪な作りであってもすべて手元に置いて保管しておきたいんじゃ。いわば蒐集家みたいなものじゃな」

 大親父は指につけられた窮屈そうな宝石を大切そうに愛でながら、

「ああ、そういえば商人を始めたきっかけというのも、これが理由じゃったな。ああ、懐かしい。……と、と、失敬失敬。まあそれで、この箱に入っとる者や身に着けとるこれは、それらコレクションのかぶり物なんじゃよ。その他はあの後ろの城にすべて保管されておる」

 ここまで大親父が言ったところで、少女も大親父に負けず劣らずきらきらと輝きをおびた眼をして、

「まあ! そんなにもあるのですか? あの城に? あの、良ければ一度拝見させてください」

「いや、待て待て。たしかに卑俗なものかと言うたが、それでも女子はみな、光り物が好きなものじゃ。お前のアクセサリに対する嗜みもその程度のものではないか?」

 大親父は挑戦するような目つきで見るも、少女はそれを鼻先であしらい、

「そんな者と一緒にしないでいただきたいですね。まあ、こういっても信じられないかもしれませんね。では、これをご覧ください」

「どれどれ……」

 ここからが長かった。彼らのアクセサリについての談義がしだいに熱を持ち、額を突き合わせてあれこれとアクセサリを吟味しては、ああでもない、こうでもないと激しい議論を戦わせ、しまいには、二人して息巻きながら城の方へと向かっていった。こうして一人取り残された俺は、これといってすることもなく、昨夜の疲労も手伝って心地の良い陽光にうとうととしてしばらくまどろんだ。

 ところが、まどろみに身を任せたさなか、突然、妙な夢に攫われた。

 その夢というのがこうである。

 ある一人の女性が月明かりのようなほの白い光を背に受けて立っている。その女性とは、いうまでもなくあの鎮魂の森で見た例の女である。彼女はまるで蜃気楼のようにゆらゆらと空虚をゆらめいている。顔はもやもやと霧がかっていておぼろげで、どのような表情をしているかおよそ判然とせぬが、どうも微笑んでいるように見えた。それをぼんやり眺めていた俺であるが、不思議とあの森で感じた嫌悪感や恐怖心といったものはなく、ただ、郷愁にも似た侘しい想いに胸のなかを苛まれ、同時に、鉛を呑んだみたいに腹の底がずしーんと重くなり、喉の奥につまり物でもあるような息苦しさを覚えるのだった。

 何故かわからぬが、どうかすると湧き出でんとする涙をぐっと堪えて、ただ、無心で彼女へと手を伸ばした。すると、空虚をたゆとう彼女も、また、こちらへ向けて手を差しのべてきたのだが、その折に何やらをしきりに囁いていることがわかった。俺はどうにかして聞き取ろうと耳をそばだてるも、どうあっても彼女の言葉を聞き取ることができないのである。

 このままでは埒が明かない。俺は彼女の手を取って身を引き寄せようと、ぐっと身体を乗り出そうとするも、なぜだ一向に前へ進まない。まるで見えない何かに抑えつけられているかのように、頑として身体が動かないのである。そうこうしている間に、彼女が徐々にほの白い後光へ吸い込まれていくではないか。彼女の囁きもしだいに遠のいていき、蚊の鳴くような声になっていく。

 遠ざかっていく彼女に俺はなんともいえぬ強い思いに駆られ、必死で掴もうとするが、目に見えぬ強い抵抗を感じて一向に近づくことが出来ない。ぐずぐずしている間にも、彼女はどんどんと光にのまれていく。やがて、彼女の輪郭が完全に光に塗りつぶされると、名状しがたい失意と絶望に胸を咬まれ、おもわずその場で膝をついて慟哭した。

 その直後、彼女を吸い込んだ淡い光が突如として消え失せ、文目の区別もつかぬほどの真っ暗闇に放り込まれる。あまりの暗闇に身じろぎすら叶わない。

 そこでふとある考えが頭をよぎったのだが、何が頭をよぎったのかは、今となっては思い出せない。

 ただその時、その考えが骨を刺すような凍てついた戦慄となって、総毛を逆なでながら全身を這いずりまわった。

 恐怖のためがくがくと震える身体を、両肩を抱いておさえるが、震えはまったく止まらず、しまいには歯もカチカチとなり出す情けない始末。すると、どこからともなく、何か唸るような音がした。その音はなにやらまた囁き声であるらしかったが、先ほどの女が囁いていた調子と訳がちがい、ひどく粘質的な憎悪と怨念にみちた禍々しいものであった。それを耳にすると、全身を覆っていた震えがいっそうはなはだしくなり、どうかすると、このまま死んでしまうのではないかと思われた。しかし、このどす黒い囁きはどこかで聞いたことがある。ふと思いがけずあの怨嗟の渦巻く森の中でみた、地獄の光景が頭をよぎる。

 ああ、これが俺の犯した罪だったのかと悟ったところへ、どこからか聞き覚えのある声が二つして、やにわにまどろみを破られたのであった。

 おもむろに顔をあげて、額を袖でぬぐうと、気持ちの悪いぐっしょりとした脂汗でしっとりと濡れていた。嫌な夢を見ていた割にわりにぐっすりと寝付いていたらしく、陽も傾きつつある頃おいで、城の中庭には仄かな赤みが落ち込んでいる

 城の方からなにやら近づいてくる声たちがある。大親父と少女である。声からするに、依然として興奮冷めやらぬ模様で、なおも熱く議論を繰り広げているらしい。

 やがて二人はこちらへ戻ってくると、一度顔を見合わせてから、

「依頼の件じゃが、お前もこの娘が戦地に立つのをあまり好ましく思っておらんじゃろ。じゃから、この娘には後方支援という形で別行動にしてもらうことにした。この娘もこれには大いに賛成しておる。どうじゃ? ここまでお膳立てされておいてふいにするつもりとな? なぁに心配するな。この娘に危険は負わせはせんわい。わしとてこの娘が可愛ゆうて仕方がないしのう。それにどうも後方支援の方がこの娘の職に合っとるようじゃからの。ああ、そんな顔をするな。わかっとるわかっとる。むろんこの娘には護衛をつけさせるとも。じゃからお前は安心して魔族に腕を存分に振るえばいい」

「というわけだから、よろしくね」

 と、少女が大親父の言葉を結ぶと、つと意味ありげな視線を大親父に送った。大親父はそれに鼻先で一笑し、

「なぁに、わかっておる。同好の友に嘘なぞつくものか。きっちりくれてやる。何ならわしの元へ来れば――」

「それは考えておきます」

 と、大親父が言い切る前に嫣然と微笑んで答えたが、その少女の表情は、心なしかどこか影を含んでいたように見えた。この時、俺はおや、と心の中でつぶやいたが、今思えば、その理由はおそらく敵討ちに関することで心を悩ませていたのであろう。

 さて、大親父から依頼の詳細が書かれた羊皮紙の巻物と今回の報酬分をいただいて、今に至るというわけである。

 それにしても、なぜ今になって仇討ちを名乗りでたのだろうか。少女の様子を見ても、最初から心に決めているようだったし、急に思いたったとは考えにくい。であれば、はなから大親父に嘆願すればよいものを、なぜわざわざ別任務を受けるつもりになったのか、俺には皆目見当がつかなかった。だが、それよりも俺の思考を割いていたのは、あの奇怪な夢模様だったのである。

 今ここに白状すると、あの夢を見たのは実に二回目なのだ。一回目はあの女を目撃したあとのことであった。夢の内容はほぼ同じで、あの森で見た奇妙な女が後光を浴びながら現れ出でて、俺は女の手を掴もうにもつかめず、やがて闇も溶けるような奈落の底へ叩き落されるのだ。

 この夢が一体何を暗示しているのか、はたまた、ただの悪い夢なのだろうか。こうして思い起こすだけで、嫌な胸騒ぎがするのは、単なる思い過ごしなのだろうか。

 さて、ホテルに着いてオーナーの暖かな出迎えを受けた俺たちは、そのまま食堂へ通されると、遅めの夕餉をしたためてから、かるく依頼の内容を少女と打ち合わせたのち、銘々の部屋へ戻った。

 そして、旅装も解かずにベットへ向かって、眠りに身を投げ込んだ俺は、また例によってあの奇怪な夢幻に迷い込んだのである。

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