第11話 カノジョが水着にきがえたら(1)

 時刻は午後六時。お腹がすく時間帯だ。

 ひとりで食う夜ご飯が、可奈かなは寂しいらしい。

 俺たちは、フードコートで夕飯を食うことにした。

 感染対策のため、向かい合わない、横並びの座席。

 アクリル板で仕切られた、隣どうしに腰かけた。


 家族連れのママに、子どもがアイスをねだる。

 ママに叱られてギャン泣きする子供もいれば。

 仲良くアイスを食ってる、母娘もいたりして。


「ありがとう。青葉あおばくん」


 不意に礼を言われた。

 なんのことかわからない。

 そんな俺の顔を横目でチラ見して、可奈かなが言った。


「きょう、一緒にお買い物して、楽しかった」

「……うん、俺も」

「お花屋さんで働かせてもらって、お小遣いをもらって。こんな楽しいことができるなんて。思ってもみなかった」


 髪を下ろして、メガネを外し。

 今や化粧のしかたを覚えつつある、俺のカノジョ。

 外見だけみれば、間違いなく、華やいだ美少女だ。


「ずっと独りぼっちだったの。コロナが流行って、アメリカに行けなくなってから」

「……」

「あんな風に、ママと一緒にこういう場所に来れる子供を見てるとね。正直、うらやましいって思っちゃう。だけどね、気づいちゃった」

「……」

「そう感じる余裕も、なかったんだって。今まで、ずっと」


 なんて言えばいいんだろう。

 この美少女は、飢えている。あまりにも。

 立派な家に住み、整理整頓された暮らしを保っていて。

 俺なんかより、ずっときれい好きで。

 一見、非の打ち所がない女の子だけど。

 実は、ごくありふれた「体験」が欠けているんだと。


「よし、決めた!」

「……ッ!?」

可奈かなの二年半を、この一ヶ月で取り返そうッ!」


 実際、俺は取り返した。

 一年の一学期からほったらかしにされてた数学をな。

 可奈かなと一緒に過ごした二週間で、取り返したんだ。

 キョトンとしているカノジョに、俺はもう一度言う。


「忘れられないくらい、最高に濃い夏休みにすっぞ。いいよな?」

「……うんッ」


 カノジョの切れ長の目が光って見えた。


 ***


 翌日。

 横浜から赤い電車に揺られて、一時間弱。

 終点の一つ手前の駅で降りた、俺と可奈かな


「……海、ないね」

「……ねーな」


 住宅地のど真ん中のような駅前。

 周りにあるのは民家、アパート。

 コンビニすらねぇ。三崎みさきのマグロを謳うのぼりの飯屋が数件。

 スマホの地図を頼りに、海岸沿いの国道に向かって歩く。

 細い路地を抜けて、コカ・コーラの自販機をすぎた先に。


「海じゃね!?」

「……うん!」


 車が行き交う道路の彼方に、真っ青な地平線。

 その上に霞む山々は、海の向こうの房総半島。

 はやる気持ちに、軽くなる足取り。

 道路わきに立つ標識に目が留まる。


「脇見運転注意、だってさ」

「こんなにきれいな景色だもんね」


 ボタンを押して、信号が変わる。

 国道の向こう側、一面の砂浜に。

 一歩を踏み出し、俺らは気づく。


「人、あんまりいないね」

「海の家がねーな。全然」


 変だと思って、スマホで調べて知った。

 今年、三浦海岸みうらかいがん海水浴場は開設しない――と。


「「まじかー!」」


 早起きして二時間かけて意気揚々、ここまで来たのに。

 異様なくらい観光客が少ない理由が、やっとわかった。


「クラゲが来ないからって、ここ選んだのに……まじかよぉ」

「どうしよう……」


 とはいえ、砂浜にテントを立てている人がいないわけではない。

 家族連れで波打ち際で戯れる人たちの姿も、それなりにあった。


「よし! テント張るッ! その中で着替えよう」


 水着の他に、俺が自分の稼ぎで買ったのは、二人用のテントだ。

 一万しないけど十五秒で展開できるという、なんかすごいヤツ。

 可奈かなには先に着替えてもらって、俺はテントを砂浜に固定する。


「……終わったよ、青葉あおばくん」

「俺も、設営終わっ――ッ!!!」


 昨日見たはずの水着姿。

 それなのに改めて思う。

 カノジョが水着に着替えたら。

 空と海と砂だけだった景色が、こんなにも色づいて見えるのか――と。


(ありがとう。お姉さん!)


 ありがとう。名前も知らない店員さん!

 かわいくてセクシーな水着を選んでくれて!


「俺もすぐ着替える。待ってて」


 心でガッツポーズを決める俺も。

 カノジョと入れ替わりで水着に着替えたら。

 ふたりで波打ち際に繰り出して。

 童心に帰り、夢中になって水をかけ合った。

 

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