第164話 原田桐雄の最後の選択、キールは進むのみ


「ほんっとうに! ありがとうございました! もう、僕、死んでしまうかもと思いましたよ!」

 目の前に立つ、高校の制服を着た少年がしきりに私、原田桐雄はらだきりおに頭を下げている。



 ちょうどホームに電車が入ってくるタイミングだった。

 ホームに到着の音楽が鳴り、地下鉄の線路の奥の方から列車の車輪の音が聞こえ始める。

 私は、電車へ乗るべく最前列に並んで待っていたのだが、そのちょうど目の前をその少年が通り過ぎたのだ。ホームの端と私との間は人が一人か二人ほど通れる幅はあったが、さすがにこのタイミングでもし線路上に落ちたらと考えると、やはり危険と言わざるを得ない。


(気をつけろよ?)


と思った次の瞬間だった。少年はあろうことかそのホームの端でバランスを崩した。


 私の目の前を通り過ぎてすぐのところでだ。

 フラフラと揺らめく少年は何とかホームに留まろうと必死で態勢を立て直そうとしている。


(ちょ? マジかよ!)


 手を伸ばせば少年の腕をつかむことが出来る距離だ。

 しかし、もし一緒に落ちたら――。


 列車の車輪音が徐々に大きくなっている。

 少年は必死に手を振って傾いた体を戻そうとするが、もうずいぶんと線路側へ傾いてしまっている。


(くそっ! もう、時間がない!)


 手を伸ばした私の目と、少年の目が合ってしまった。

 少年の目には必死の色がありありと浮かんでいる。

 ここで失敗したら、私は一生この目を忘れられなくなるだろう――。

 

「つかまれ――!」


 私は叫びながら、少年の方へ必死に腕を伸ばす。

 少年もその腕をつかむべく腕を伸ばした。


 がしっ!


 と、脳内に音が響いたかと思うほどの力で、二人の手と手が交錯する。


「ぬうううああああ!!」


 私は力の限り全力で少年の腕を引っ張った。



「はぁはぁはぁ、――大丈夫か!」

「は、はい――、い、生きてます――」



 おおおお!


 と周囲から喚声が沸く。どうやら数人の人が気づいて見ていたのだろう。

  

(見てないで、手伝ってくれよ――)


 と、正直思わないでもなかったが、おそらくそんな時間的余裕はなかっただろう。

 私にしても、たまたまそこにいたから間に合ったに過ぎないのだ。



 まあとにかくだ。

 少年の命は助かったし、私も怪我をすることもなかった。やれやれということだ。


 状況を聞いた駅員や警備の人たちが駆けつけてきて、少年は念のために医務室へつれていかれることになった。

 私はと言えば、一応状況の説明等のためということで、警察官たちが到着したら実況見分ということになるだろう。


 その後、数分も経たないうちに警察官たちも到着し、実況見分が行われることになった。


 そして、「その出来事」が起こったのだ――。




 私、原田桐雄の人生はあっけなくその時に終わった。


 神様という白髭じじいはこう言った。


「で? なにがいいんじゃ? はよ決めろ、次がつっかえとるんじゃ」


 どうやらこれが私の人生の最後の決断となるようだ。

 差し出された「お品書き」にはよくわからない特性とかいうものが羅列されていたが、選んだ私には特に関係することじゃない。

 その特性はあくまでも、転生した私ではない次の人物のものだ。

 

 聞くところによると、私の転生は2回目らしい。前世は“膨大な魔法の素質”という特性を選んでいたということだった。

 2022年の日本には、当然、「魔法」など存在しない。

 つまり私の特性は私の人生には何も恩恵をもたらさなかったということだ。


 せめて、次の人物には幸せになってもらいたいと思ったが、お品書きの内容はどれもろくでもない特性のように見えた。


 だから、選んだのだ。


 「本の虫」を。


 私は本が好きではあったが、結局人生において読破した本など3桁にも満たないだろう。タイトルを覚えている本と言えばおそらく半分にも満たない。


 もっとたくさん本を読みたかった。


 そんな時間が許される世界だったら、この能力も何かの役に立つのかもしれない――。


 


(――って、あんたのせいかぁ!)


 キールは夢の中でその男、原田桐雄に向かって叫んだ。


 そうしてその自身の声で目が覚めた。

 部屋はまだ薄暗く夜はまだ明けていない。


 年末のこの時期は一年の内でも一番夜が長い時期でもある。そして、さすがにもう寒くなってきている。特に朝の冷え込みはかなり強い。


 毛布をかぶってはいたが部屋の空気はだいぶんと冷たくなっている。

 

 なんとなくもう一度眠る気にはなれなくて、キールはそばに置いてあった上着に腕を通してベッドから出た。


(いまの、もしかして――)


 神様は言っていた。

 前世の記憶を呼び起こす引き金はだいたいのところ夢にあると。

 

(記憶の芽、だったっけ? もしかして、今のがそれなのか?)



――ついに辿り着いたのう、おまえの前世、原田桐雄の記憶に。これでおまえの封印は解かれたと思ってよい。あとはおまえ次第じゃ。記憶を取り戻したければ、再生術式を使うがよい。ただし、よく考えることじゃな。記憶というものは厄介なものでな、知ってよいことと、知らぬほうがよいこともある。


『ボウンさん? やっぱり、そうなんだね――』


――ほほほ、わしはおまえがこの先どう成長してゆくか見てみたいと思っておるが、それはあくまでもお前の人生じゃ。どうするかはお前が決めて、その結果もお前が受け入れなくてはならん。原田もそうやって人生を終えた。人とはそういうものじゃ――。


 そうしてまた、ボウンの気配が遠ざかってゆく。


(知ってよいことと、知らぬほうがよかったこと――か。でも結局、僕はこの運命から逃れることはできないように思う。だったら、知らなくて済むものなどないはずだ。知っているからこそ、できることも選択肢も増えるというのはこれまでも経験していることだ――)


 キールの意思は決まっている。

 魂魄記憶再生術式を使って、前世の自分の記憶を取り戻すのだ。

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