第161話 魂魄記憶再生術式


 クルシュ暦367年12月中旬――。


 ついに4つの記憶操作術式の試験が始まった。場所はデリウスの教授室で行う。

 キール以下「学生部」の5名、キール、ミリア、クリストファー、アステリッド、そしてデリウス教授はこの日のためにあらゆる状況を想定して検証と準備を行ってきた。

 術式の対象はアステリッドだ。

 彼女の夢の中によく現れる不思議な世界の話が前世の記憶だったと仮定して、その記憶が蘇った場合に起こりうる不都合な点を検証してきた。

 結論としては、おそらくのところ、特に問題はないだろうという事になった。


 記憶操作術式には4つの術式がある。

 『記憶消去』、『記憶追加』、『記憶再生』、『魂魄記憶再生』だ。

 

 この4つのうち、明らかに前の二つは人に干渉する術式だろう。例えば、都合の悪い記憶を消し去って忘れてもらうとか、本当は経験していない記憶を植え付けるとか、そういう類のものだ。

 ただ、この術式は未だに未完成の状態らしく、永久に記憶を植え付けたり消し去ったりはできないという事だった。つまり、数秒、あるいは数分だけの期限付きという事になる。

 

 ボウンさんが言っていた、前の代から受け継いで、次の代へと繋ぐというのがそれだろう。つまり、キールの使命とはこの4つの術式をさらに推し進めて発展させることだという事だ。

 

 残る二つの術式についてはある程度完成の域に近づいているという事だ。

 『記憶再生』は忘れていた記憶を思い起こさせる術式で、この対象は現世のその対象本人の記憶に限るという。代わって、『魂魄記憶再生』はこれまでの『魂魄』に記された「記録」を呼び起こすものであるという。


 『記憶再生』については自身の忘れていた記憶を思い出させるというもので、ほとんどの場合何も問題とはならないだろう。

 人はすべての記憶を鮮明に覚えているものとは限らない。中には完全に記憶から消去されているものもあるという。その場合はもう、元には戻らない。しかし、それ程昔のことでなければ、たいがいのことはまだ記憶の隅に残っていることが多く、この術式で蘇る確率は非常に高いという。


 『魂魄記憶再生』については少し注意が必要かもしれないと、デリウスが言った。

 基本的には「その人物の記憶」ではない「別の人物の記憶」だろうからだ。これを呼び覚ますと、一人の人物の中に複数の人物の記憶が混ざり合うことになり、「現世の記憶」か「前世以上前の記憶」かが判別できなくなってしまうのではないかと危惧したからだ。


 しかしながら、この点についてはすでに解決されていると『真魔術式総覧』に記されていた。現在の「バージョン」の『魂魄記憶再生』術式の効果は、


『魂魄に記録されているそれぞれの人物の記録は、それぞれ別の人物の「物語」として整理され、現世の本人の記憶とははっきりと区別される。この術式を施されたものは、あたかも過去の英雄の物語を聞いたり見たり、あるいは本で読んだような形として整理されるのだ』


 と、あった。



「とりあえずは、アステリッドの前世の記憶というものを呼び起こしてみよう。術式発動後の手順についてはこれまでに話した通りだよ。僕が術式発動した後は、必要なものをね」


 キールは事前にアステリッドに術式の行程を話している。

 まずは術者が術式を対象に向けて発動する。すると、「書庫」と呼ばれるものがその対象のものの眼前に現れるという。対象者はその書庫の中から必要な記憶又は記録を選択することができるらしい。選択後、術者が解放術式を発動すると、その記憶は対象者の記憶の中に格納されるのだ。


「じゃあ、いくよ――」

「はい――。いつでもいいです」


 アステリッドの目に決意の色が見て取れる。キールはその目を見ながらわずかに微笑んだ。


 キールが術式展開の詠唱を始めると、アステリッドは一瞬気を失ったかのように目を閉じ、すぅっと体から力が抜けるように見えた。やはり、座ったままでやって正解だったようだ。


 やがてアステリッドの体が魔力の光にぽうっとわずかに光を放ちだすと、アステリッドは気が付いたように静かに目を開ける。


「どう? アステリッド、なにか見える?」

「――ええ、目の前になんだかファイルのようなものが浮かんでいるのが見えます――。一つだけですね――。取り敢えずこれを選択して――」

と言いながらアステリッドは目の前の空間に右手を伸ばした。


「そこに何か見えるの?」

とはミリアだ。

「はい。今そのファイルを開いています。なんだろう――。きれいに整理された書類のような感じですかね――。中には、不思議なんですが、やけに鮮明な絵画? のようなものとか、あ、これは動いてる?」


 アステリッドは自身の見ているものをうまく表現できているか不安になる。なにせ、この世界では見たこともないようなものだからだ。


「じゃあ、選んでみて――」

キールが促すと、アステリッドはややためらいながらも、

「せっかくですから、もうファイルごと選んじゃいます――」

と、答えた。


「はい。OKです。なんだかファイルが発光してますね――これでいいと思います」


「じゃあ、解放術式を発動するから、アステリッドは楽にしてて――」


 キールの手の先から現在発動している魔法とは違った術式発動の光が見えると、数秒後すべての光が消失し、部屋が普段の明るさを取り戻した。



「――アステリッド? どう? 具合が悪かったりしない?」

「ええ、大丈夫です――。でも、とても不思議な感覚に見舞われています。これが私の前世の記憶、なんでしょうね……」


 そう言ってアステリッドはキールを見つめた。


「キールさん、私、あの部屋が何かわかったような気がします――」


「え? あの部屋?」


「ええ、あの『円盤の部屋』です」   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る