第140話 アランの覚悟


「さあ、その無礼な平民を引き渡してもらおうか!」


 ケイン・ギュンダー伯爵はソファから立ち上がり、ルイ・ジェノワーズに詰め寄った。

 ルイの傍らには、相談役のジルベルトも控えている。


「ギュンダー卿、失礼ですが、事の次第をしっかりと把握されておられますでしょうか? 実はわたくし共の調査によりますと、ご子息のアラン様が手前どもの従業員、レッシーナ・ヘンダートンをいたくお気に召されており、本人に身請けの申し入れを行っているとか。そういった事情であれば、今回の件の顛末てんまつを、しっかりと見極めて……」

ルイが精いっぱい、踏み止まって返そうとした。


 が、その言葉を最後まで言い終わる前に次の語句が飛んでくる。

「何を馬鹿な! 娼館の娘を引き取るだと!? あやつはまだ婚姻もしていないのだぞ? そんなものが正室を迎える前に、めかけをとるなどありえん! おおかた、その娘が息子をのだろう? いや、話はそんなことではない! わしは、平民の男が貴族に対して『殺してやる』などと口にした無礼を言っているのだ。その娘の話などどうでもよいわ!」

ケイン・ギュンダーは単純に「不敬」が気に食わないという論調のようだ。


「たしかに、当方のカイゼル・ノインがアラン様にそのような言葉を言ったのを当方従業員の数名が耳にしております。ですが、それは……」


「では、なにが問題なのだ!? わしの言っていることが事実なのは間違っておらぬだろうが! 早くその男を引き渡せ! 貴族に向かってそのような口をきいたことの罪をわからせてやる!」


 といったような状況だ。

 まったく、いつの時代の話だよ、とかたわらのジルベルトは呆れていた。

 確かに、過去の戦乱時代に在っては、貴族が人民を統治し、人民(当時は領民と言っていた)は貴族の恩恵を受けて安定した生活が送れているという考え方もあったが、今は自由経済思想の世の中だ。人民は自由に生活する領地を選ぶことができ、貴族はその人民の流出をいかに留めるかを考え統治をおこなうべきものという世の中の通説だ。

 このような領主の元で暮らす人民があわれでならない。


(ったく、旦那が止めているから何もしねえでやるが、俺だったら速攻、首を掻き切ってやるところだぜ――)


 ジルベルトは、もうそろそろ我慢が限界に来そうで、早くキールが現れてくれることを願っていた。



 と、そこにようやくキールと一人の優男やさおとこが現れた。


 扉を開けて部屋に入ってきたキールは、一緒に入ってきたアランの姿に目を丸くしているケイン・ギュンダー卿に対して、次のように言葉を投げる。


「初めまして、ギュンダー伯爵。キール・ヴァイスと申します。この度はわたくしの顧問するこの娼館において、ご子息、アラン様への無礼な対応があったことにつき、まずはお詫び申し上げます――」

と静かに言った。そして、その後、

「しかしながら、当方の従業員カイゼル・ノインの身柄をそちらへ引き渡すことは致しかねます。どうぞ、処断はこちらにお任せ願いたい」

と続ける。


「なんだと? おまえがキール・ヴァイスとかいう、素人魔術師か。おまえも平民だろう、貴族のわしによくもそんな大口を叩けるな。話にならん、おまえがいかに強大な魔法を使うと言ってもわしを脅すことは出来んぞ? お前の魔法が発動する前にその首落としてやるわ」

ケイン・ギュンダー卿はそう返す。

 

 まったく、しまがないとはこういう状態を言うのだろう。

 とキールは思ったが、それを口には出さず、代わりにこう告げる。

「ギュンダー卿は、公明正大なお方だと、ミリア・ハインツフェルト嬢からも聞き及んでおります。事情が分かったうえで誤解が解ければ、必ずや、間違いのない答えを導き出される方であろうと、そう申しておりました――」


「はん、わしが今言っていることは間違いであると、そう聞こえたが、そういう事でよいのだな?」


「左様でございます。御子息アラン様からお話を伺いました。そのお話を聞く限り、おそらく、カイゼル・ノインの言動は、貴族に対する不敬にはあたらないように思われます。どうか、ご子息のお話をお聞きくださいますよう、お願い申し上げます」

そう言って、アランの方へ視線を移す。


 アランは意を決したようにうなずくと、一歩進み出て、話し始めた。


「ち、父上、誤解なんです。カイゼルというその黒服は、わたしに覚悟を見せろとそう言ったのです。いわゆる、言葉のあやというものです。決して私を脅すつもりで口に出したものではありません。――わたしは……、私は心からレッシーナを愛しております。しかし、現在の制度では、平民の女性を正室として迎えることは許されておりません。口惜しいことですが、この制度は貴族家の保護という意味からも守られねばならないことであることは重々承知いたしております。私は、生涯、正室をめとるつもりはありません。時間がかかっても、レッシーナをいつか必ず私の正室と認めさせてみせると覚悟をいたしております――」


 アランのそこまでの話を聞いたギュンダー卿は、みるみるうちに顔を紅潮させてゆく。


「お、おまえは、今言ったことの意味をしかと理解しておるのか! 正室をめとらないだと!? そのことをハインツフェルト家にはどう伝えるつもりだ!?」

ギュンダー卿の怒りは頂点に達しようとしている。


 しかし、アランはここが踏ん張りどころだとあらかじめ含み置かれている。ここでたじろんでは、「大事だいじ」は為せない。


「ミリア様にはすでに私の心内こころうちを明かしております。それについてはいかようにもご処断くださいと申し上げました。これは、わたくし、アラン・ギュンダー一身上いっしんじょうの都合であり、ギュンダー家とは一切関わりのないことであると告げております。ご処断はギュンダー家に及ばないようにするとお約束頂いております。――父上、私はレッシーナ・ヘンダートンをめとります」


 震える足で何とか踏み止まり、アランは覚悟の言葉を父に向かって告げた。




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