第139話 まったく、だから貴族って……
「あのう、ミリア・ハインツフェルト様、ですよね?」
ミリアは唐突にかけられた声に思わず構えた。
声に聞き覚えはない。知らない男だ。
「すいません。突然にお声がけをいたしました失礼をどうかお許しください――」
しかしその男子学生の物腰は柔らかく礼儀正しかった。敵意なるものは感じられず、むしろ、何かしら事情が在ってのことのように見える。
「なにか御用かしら?」
ミリアがそう応えると、その男子学生はその後をつづけた。
「お久しぶりでございます。わたくし、ランバート・ギュンダーと申します。アラン・ギュンダーの弟です。ミリア様とは幼少の頃に出会いましたきりでございましたので、私のことはお分かりになりませんでしたでしょう?」
「え、ええ、ごめんなさい。さすがにあなたがあのランバートだとは気づかなかったわ。それで、なにか御用なのかしら?」
「実は兄のアランがミリア様に折り入ってご相談があると申しておりまして、大学の正門までまかり越してございます。お出会いになってお話をお聞きになってはいただけませんでしょうか?」
「アランが――?」
と、返しつつも、そう言えば昨日キールがアランのことを聞いてきていたなと思い返す。このタイミングという事は、まさしくその話の可能性が非常に濃厚だ。
「分かったわ。すぐに向かいましょう」
こういう時の彼女の判断は迅速かつ的確だ。
このタイミングでミリアに接近してくるとなれば、ある程度要件の内容に察しが付く。おそらく、キールとの間を取り持ってくれという類の相談だろう。
ミリア自身としても事の顛末を詳しく聞きたいところだ。
キールの話だけでは片手落ちで、詳細はよくわからない。こうなれば本人に聞くほうが手っ取り早いというものだ。
はたして、大学正門に見たような顔を見つけた。本当にしばらく会っていなかった為、こんな顔だったかと改めて思いなおす。
「誠に申し訳ない、ミリア・ハインツフェルト嬢。このアラン・ギュンダー、恥を忍んであなたにおすがりいたしたい」
「ア、アラン、なのね? お久しぶり。私に何をしてほしいというの?」
「あなた様はキール・ヴァイスと懇意にされていると聞いております。彼に取り成してもらいたいのです」
「それは、もしかして、娼館のことかしら?」
「はい。婚約者たるあなたに申し上げることではないのかもしれませんが、私はレッシーナを心から慕っております。彼女をあの場所から救い出してやりたいと本気で思っているのです。どうか、お力をお貸しいただけまいか――」
どうやらこの男、本気のようだ。
本気でその「レッシーナ」のことを身請けするつもりらしい。
「とにかく、詳しく経緯を話してちょうだい。それからどうすればいいか考えましょう」
ミリアのその言葉にアランは何度も首を縦に振り、全てを洗いざらい話した。
******
「――という事なのよ、キール、どうにかならないかしら?」
ミリアは放課後、デリウスの部屋でキールと出会うなり、今日行われる会談について何とかならないかと相談を持ち掛けた。
「つまり、あなたは本気でレッシーナを身請けして、面倒を見るという覚悟があって、そのことを詰め寄られたカイゼルに対しては何の遺恨もないってことですね? ところが、あなたの親父さんが貴族に対する不敬行為だといって怒っているだけだと――」
キールはミリアの隣で小さくなっている、アラン・ギュンダーに向かって問いただした。
「はい。その通りです――」
「で? それで、どうして僕の名前を出したんです?」
「キール殿の名声は今や、貴族の間でも知らぬ者はいない程です。さすがの父もあなたの名を聞けば引き下がると、そう考えたのです――」
まったくもって浅はかとしか言いようがない答えだが、アラン自身そう考えてしまったことについては、特に嘘をついているようには見えない。
「まったく、いい迷惑だ。と言いたいところだけど、今さらそれを言っても始まらない。あなたとあなたのお父上に対しては僕から何か危害を与えることはしないと約束してあげるよ。でも、条件がある。あなたにはしっかり責任を取ってもらわないとね」
「僕に、ですか? 何をすればよいのでしょう?」
「あなたのその口で、今言ったことをちゃんとお父上に説明するんですよ。それからしか話は始まらないでしょ? もとはと言えば
「――はい、わかりました」
さて、取り敢えずのところ、取っ掛かりは掴めた、とキールは思った。しかし、そのような貴族の重鎮が簡単に引き下がるだろうか? 自分の息子の言葉すら信じない可能性が、ないとは言えない。
(まったく、だから貴族ってやつは面倒なんだよなぁ――)
と、つい思ってしまったが、ああ、そういう人ばかりでもないか、なかには、相手が何者だろうと力になれないか考える女の子もいるしね――と、となりでアランをなだめるミリアに視線を移した。
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