第138話 アランの苦慮


 アラン・ギュンダーは頭を抱えていた。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだ? 僕はただ、レッシーナをあの生活から解放してやりたかっただけなのに――。

 あの黒服の言う事はまったくもって正論だ。僕にもそれなりの男としての覚悟はある。意中の女性を泣かせるようなことは決してしないつもりだ。

 おそらくあの黒服はレッシーナのことを気に掛けていたんだろう。彼女は魅力的な女性だ。同じ職場の中にそういった類のものがいたとしても何も不思議なことではない。


 要は、父上だ。

 僕がその男にそんなふうに脅しをかけられたことが気に食わないのだ。

 確かにあの黒服は「殺してやるからな」と言った。でも、それは彼女の身を案じてのことであり、僕に対して覚悟を迫った言葉に過ぎない。それを聞きつけた周りのものが慌てて割って入ったため、あの黒服に何も言い返せないまま終わってしまったが、僕自身は何もわだかまりはないのだ。


 父上は少しそういう上流階級意識が強すぎるところがある。

 平民の分際ぶんざいで貴族に不敬ふけいをはたらくという事がどういうことか見せしめる必要があるというふうに考えがちなのだ。

 

 だから言ったんだ。

 裏にはあの稀代の魔術師「キール・ヴァイス」がいるって。

 

 キールが店に出入りするようになってから、店の従業員の待遇が劇的に改善されたとレッシーナが話してくれた。

 キールがあの娼館に関わっていることは明らかだ。

 しかし、それまでのルイのやり口から、待遇が一変したという。ルイが手当たり次第に我が物顔で店の女の子に手を出すこともなくなったし、「接客指導」も先輩からの手ほどきが行われるようになり、それを理由とした「奉仕」は無くなったという。

 設備や備品もきちんと整理され、清潔なものが使われるようになり、また、に対しても積極的に応じるようになったというのだ。

 各女の子にはそれぞれ娼館に入るにあたって「前受金まえうけきん」というものが支給されるのだが、これはいわゆる「借金」だ。そしてそこから返済をしてゆくことになるのだが、返済はその女の子がかせいだ売上から計算されて返済されてゆく仕組みになっている。

 ところがこれまではその計算が杜撰ずさん一向いっこうに借金額が減らないというおかしなことになっていたのだが、今はしっかりと証文を作成し、しっかりと計算されており、完済の目途めどが立った子も出てきているという事だ。


 いや、キールの業績については今はどうでもいい。

 その「キール」の名を出せば、ことはすんなり収まると思っていた。さすがの父上も、そんな稀代きだいの魔術師を相手にことかまえるとは思わなかったからだ。


 しかし、目論見もくろみもろくもくずれ去った。

 父上は、そんな魔術師などなにも恐れることはない、たかが平民ではないかと一笑いっしょうしてしまわれた。


 このままでは、事態が大きくなるだけだ――。

 どうする? どうすればいい?


 やはり、それしか方法はないのか? 僕があの娘に頭を下げるのか? 3つも下のあまり会話もしたことのないに?

 ミリアとキールは親友だと聞いている。これは、弟からの情報だ。弟のランバートは王立大学の学生で、ミリアとキールがよく一緒にいることを教えてくれていた。

 僕にとってはどうでもいいことなのだけど、なんだかんだ言っても、ミリア・ハインツフェルトは一応僕の婚約者になっている。

 まあ、弟にしてみれば、兄貴の婚約者が堂々と平民の男と楽しげな学生生活を送っていることに、何か思うところがあるのだろう。


 仕方がない――。ミリアに掛け合ってもらって、事態を収拾するしか僕には方法が思い浮かばない。これも、レッシーナの為だ。あの黒服に言われるまでもない。僕が彼女を守るんだ。なんとしても、キールと父上の衝突を回避して、レッシーナの身請みうけ話が破断はだんになるのを防がなければ――。


 そうだ。明日の夜には父上があの娼館に乗り込んで行くことになっている。それまでに何とかしなければ――。

 明日、王立大学へ行こう。弟に聞けばミリアの居場所もだいたいわかるはずだ。いや、むしろ弟に頼んで、ミリアに出会えるよう取り計らってもらおう――。


 そう決めたアランは、弟のランバートの部屋に足を運んで、事の次第を告げた。

「頼むよ、ランバート。お前だけが頼りだ」

「わかったよ、兄さん。ミリアなら明日大学で見つけられると思うから、話してみるよ。兄さんはお昼に大学の正門のところで待ってて、ミリアを連れて行くから――」

「すまない、よろしく頼む――」


 このようなやり取りが前日の夜に行われていたことなど知るよしもないミリアは、翌日の昼前に、どこかで見覚えのある男子学生に呼び止められることになるのだった。 

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