第二話 氷樹の家を訪れて

 放課後、恵花と翠妃の二人は氷樹の担任に話をして、プリントなどを家に届けることにした。


「氷樹くん……出てくれますかね」


 氷樹の住む希望ヶ丘きぼうがおか駅に到着して、翠妃が不安そうに言った。


「……とにかく、行こう」


 二人は歩いて氷樹の家の前までやってきた。そしてインターホンを押す。


『はい――カーチャさんね』


 女性の声がした。


「あの……学校のプリントなどを持ってきたので……氷樹くんに渡したいのですが」

『少しお待ちくださいね』


 少しして、氷樹の母親が出てきた。


「こんにちは。天女目さんも」

「こんにちは」


 翠妃は頭を下げた。


「どうぞ、入って」

「いいんですか?」

「ええ、もちろん」


 二人は氷樹の家の中に入った。


「……氷樹は部屋にいるの。その――やっぱりまだ立ち直れていなくて……」


 そう言うと母親は目元を押さえて、


「ごめんなさいね――こんな……」

「とんでもないです――本当に……」

「部屋に、行ってもいいですか?」

「ええ、きっとお二人なら……」


 恵花と翠妃は二階に上がった。そして、氷樹の部屋をのドアをノックした。


「氷樹」


 しかし中から返事はなかった。


「氷樹くん」

「氷樹、開けるぞ」


 とりあえず恵花はドアを開けようとした。鍵はかかっていなかった。

 氷樹はただ床に壁を背にして座っていた。まるで生気のない表情で、部屋の電気もつけていなかった。


「氷樹――」


 恵花は部屋の電気をつけると氷樹のそばに寄ったが、彼の姿を見ると思わず涙が込み上げてきた。


「氷樹…………」


 瞬く間に恵花の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。翠妃も氷樹に渡すプリントを手にしたまま俯いて泣いていた。


「氷樹――大丈夫だ。大丈夫――麻世ちゃんは天国で幸せになっている。だから……」

「……」

「私は決めたんだ。氷樹と、そして麻矢ちゃんの心を救うって」


 麻矢の名前に反応したのか、氷樹が恵花を見た。


「氷樹、お前は独りじゃない。麻世ちゃんは今ここに――氷樹のそばにいる。だから……」

「……麻矢は」


 氷樹が初めて喋った。


「麻矢ちゃんも学校に来ている。お通夜の時にも来ていた」

「……」

「氷樹――」


 恵花は氷樹をそっと抱きしめた。


「私には感じる。麻世ちゃんはそばにいる。私たちはいつでも待っているから学校に来てくれ」

「そうです。みんな氷樹くんのことを心配しています」

「……」


 しかし氷樹はそれ以上喋らなかった。二人は最後にまた「学校で待ってる」と伝えて氷樹の部屋を出た。


「……」


 廊下で恵花は麻世の部屋の方を見た。勝手に入るわけにはいかないので、そのまま階段を下りた。

 恵花には氷樹の母親に渡す物があった。小さなアルバムのような冊子を渡した。


「これは?」

「……勝手なことなんですが、私が撮った麻世ちゃんの写真です。もし良ければと思って……受け取っていただければ」

「まあ……」


 母親はアルバムを開きながら声を漏らした。


「とても……楽しそう」

「それは桜の花を見に行った時の物です。私の家の近くに公園があって……」

「カーチャさん、本当にありがとう。お父さんが帰ってきたらぜひ見てもらうわ」

「はい、ぜひ」

「ぜひ麻世にも挨拶してくださる?」


 二人は麻世の仏壇のある部屋に案内された。


「……」


 仏壇に飾られている麻世の写真を前にして、二人は手を合わせて焼香をあげた。

 そして二人は氷樹の家を後にした。


「氷樹くん、早く学校に来てくれるといいですけど……」

「……そうだな。来なかったらまた、様子を見に来よう」


 二人は恵花の家に帰った。



 ◇ ◇ ◇



 夜、二人で夕食をとっているとき、恵花が改めて翠妃にお礼を言った。


「天女目……本当に、ありがとう。天女目がそばにいてくれるだけで……私は救われる」

「お礼なんていりませんよ。だってカーチャさんは私にとって一番の親友なんですから」


 翠妃は優しく微笑んで言った。


「うん。私にとっても天女目が一番の親友だ」


 二人は微笑み合った。

 夕食を終えてお風呂に入った後、恵花はバースデイ・パーティーの時の写真を見ながら思い耽っていた。


「本当に……温かいパーティーだった。私にとって、一生の忘れられない思い出だ」

「ええ……」

「……麻世ちゃんが私のことをお姉さんって言ってくれて……本当に心が幸せで温かくなった。もしティファが生きていていたら、きっとティファと麻世ちゃんは仲良しになっていたと思う。麻世ちゃんの方がお姉さんっぽくて、ティファと仲良くしてくれているはずだ」

「きっとそうですね」

「ただ……本当に……今でも時間が戻ってくれないか、って思うことがある。本当に、時間さえ戻すことができるのなら――」


 恵花は右手の手のひらを見つめながら言った。


「もし、麻世ちゃんが家に来てくれた時に時間を戻すことができたのなら……」

「カーチャさん……」


 あの日、最後に麻世が恵花の家を訪れたときに――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る