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 そういやあミオ先輩のお芝居、まだ見たことなかったな。酔狂なセリフはよく言ってるけど、ちゃんとした芝居は初めてだ。

 一体どんな感じなんだろう。

 じっと先輩を見つめていると、先輩は、すっ……と右手を天に捧げ、

『ああ、ジュリエット! 君は、どうしてそんなにも美しいんだい? まるで朝露に濡れたバラのようだ……!』

 な……、なん、だ、これ……。

 魂が揺さ振られた——、とでも言うのだろうか。一瞬で惹き込まれた、とでも言うのだろうか。

 確かに今、目の前にロミオがいた。ロミオがどんな男なのか、よく知らないけど、ミオ先輩の声は、澄んだ水のように透き通っていて。雑味がなく、とてもきれいで。

 ……いいや、そんなんじゃない。体の内側を電流のようなものが一瞬の内に駆け巡った。まるで心臓を指先でなでられたような感覚だ。ぶわっ……と全身に鳥肌が立っていく。

 アッキーから肩を突かれなかったら、きっとオレは一生指先一つ動かすことができなかったろう。

 自分の番だと気が付くと、オレは慌てて台本に目を落とした。

「え、えと、『は、はあ!? なにをバカなことを言ってるの? わた、私は朝から最悪だわ。ど、どど、どうしてあな、あなたの顔を見ないといけないのよ。吐き気がするわ』」

「ストーップ! ストップ、ストップ!! ジュリちゃん、ちょいと待ちなはれ」

「えっと、なにか問題でも……」

「問題どころの話じゃあらへん。なんやねん、その棒読みは。いくら流し読みでも、もう少し感情を込めて読んでや。ほな、もう一回お願いするで」

「えっ? ああ、うん……。

『は、はあ? なにをバカなことを言ってるの? わた、私は朝から最悪だわ。どうしてあなたの顔を見なっ、見ないといけないのよ。吐き気がするわ』」

「ストップ、ストーップ! ……ジュリちゃん、わざとじゃあらへんよな?」

 じとりと訝しげな目で見つめてくるシューイチに、

「なっ……、わざとなもんか! 真面目にやってるよ」

 オレはそう返す。だけど、ぽんと肩に手を乗せられ振り向くと、

「ジュリエット……。君は、どうしてそんなに下手なんだい?」

 ミオ先輩も憂いを帯びた目でオレを見てきた。こんなミオ先輩、初めて見た。

「うっ……、すみませんでした、ヘタクソで! だから言ったじゃないですか、オレに演劇なんて無理だって……」

 ぐるりと辺りを見渡せば、シューイチやミオ先輩だけじゃない。みんな呆然とした顔をしていた。いつも朗らかなキサク先輩でさえ目が点になっていて、おどおどしてばかりのショウコは、平常以上に困惑している。

「いくら演劇をしたことなくても、もう少しくらいできてもなあ……」

 額を押さえるシューイチのそばからミオ先輩が身を乗り出して、

「なに、心配いらないさ。大丈夫。ジュリエット、愛しい君のために、僕が手取り足取り教えてあげようじゃないか」

「へっ……って、ギャーッ!!?」

 オレの手を取り耳元でささやくミオ先輩を、オレはピコピコハンマーで思い切り叩いた。



 閑話休題。



「まあ、取り敢えず読み進めていこか」

 シューイチはあきらめた様子でメガホンを握り直し、そのまま読み合わせは続けられる。

 が……。

「えっ、えっと、『ああ。どうして私は、いつもあんな態度を取ってしまうのかしら。本当は、あの人のことがすすす、好きなのに……』」

「ジュリ、そこは、めずらしくジュリエットが本心をさらけ出す重要なシーンだ。さあ、僕を見つめながら、もう一度言ってみよう」

「ひっ……!?」

 これで何度目だろう。またミオ先輩がオレの手を取り、ぼそっと耳元でささやく。先輩がだめ出しをして、その度にオレはピコピコハンマーの世話になっているのだが……。

「もう、いい加減にしてくださいっ!!」

 オレは本日一番の力を込めて先輩の頭部をハンマーで思い切り叩いた。

「やっぱり……、やっぱりオレには無理です、演劇なんて! 大体、はじめに言ったじゃないですか。演劇なんてやったことないし、そもそも興味もないって。それなのにミオ先輩がオレのこと、ジュリエットって言って付け回して……。

 でも、これで分かりましたよね。オレに演技なんてできない、ジュリエットに相応しくないって。そういう訳なんで、ジュリエット役は他に探してくださいっ!!」

 自分でもなにを言っているのか、最早判断できなくて。自分の意思とは無関係に勝手に口が動いていた。

 そしてオレは扉の前まで移動し、そのまま部室を飛び出していた。

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