3
その後の教室はと言うと……。クラスメイトたちはオレを遠目に、ひそひそと小声で会話をし出すという、なんだか奇妙な空気に包まれてしまった。
一体どこで、どう間違えたんだろう。クラス中から好奇と不審とが織り交ざった視線が痛いほど深く突き刺さる。
その視線の槍の雨をどうにか避けられないか思惑してると、代わりに、「ははっ」と軽い笑声が降ってきた。声の出所は前の席の男子生徒からだ。
子犬を思わせるような、ふわふわとした茶色みがかった髪をした彼は、くるりと振り向くと、にこりと屈託のない笑みを浮かべさせた。
「転校早々、不運というか災難というか。大変だな、転校生」
「えっと、君は……」
「僕は
「ミオ先輩? ミオ先輩って、さっきの変態男のこと? あの人、有名人なの?」
「変態男かー。まあ、確かに変態かもしれないな」
由利は一つうなずいて、
「この学校でミオ先輩を知らない生徒はいないよ」
と教えてくれる。
「あの人、演劇部の部長でさ。あの容姿だけでも十分目立つのに、演劇のこととなると人格まで変わっちゃって手が付けられない始末でさ」
「演劇部ねえ」
確かにあの見た目なら、舞台の上に立っているだけでも華があるだろう。
でも。
「ミオ先輩は、どうしてオレのこと、ジュリエットって呼んでるんだ?」
「今度の劇の演目が、『ロミオとジュリエット』だからだよ。だけど肝心のジュリエット役にぴったりな部員がいなくて困っていたんだ。どういう経緯かは知らないけど、君がそのジュリエット役として先輩に見初められたみたいだね」
「見初められたあ?」
「そっ、アレは先輩なりの勧誘だよ。君をジュリエットとして舞台に上げるつもりなんだ」
なるほど、事情は分かった。
だけど。
「でも、ジュリエットって女だろ? オレは男だぞ!」
「そうだけど先輩は変わり者だから。なにを考えているか僕には分からないよ」
由利は、お手上げだと両手を顔のそばに上げる。
なんだかなあ。とっても迷惑な話だ。
「それにしても、由利はミオ先輩のこと、詳しいんだな」
「アッキーでいいよ。みんな、そう呼んでるから。オレも演劇部だからさ、音響担当だけど。
先輩のことは、犬に噛まれたと思ってあきらめた方がいいよ」
「嫌だよ、そんなの。演劇なんて興味ないもん」
演劇なんてやったこともなければ、ろくに見たこともない。いいや、演劇だけじゃない。オレはどの部活にも入る気はない。青春ごっこなんて、まっぴらだ。
「そうは言っても、ミオ先輩に目を付けられて逃げ切れる人間なんて。この世にいないと思うけどなあ。転校した方が手っ取り早いよ」
「転校して来て早々、また転校しないといけないのか、オレは」
「そういうことになるかなあ」
アッキーは薄情にも、けろりとした顔でそう述べる。いや、そこは冗談だって。ウソでもいいから言ってくれよ……なんて安っぽい同情を求めていると——。
「ああ、ジュリエット! 君はどうしてジュリエットというんだい……!」
「ぎゃあーっ!?」
不意打ちとばかり、突然体が分厚い毛布のような物に包まれた。首筋には、ふっと生温い息がかかる。
毛布の正体が先程の変態男もといミオ先輩だと気付くのに、数拍の時間を有してしまった。背中は生温かいのに、背筋には悪寒が走る。
「ちょっと、やめてください、離れてください! オレはジュリエットじゃありません。切戸樹里です、み・き・さ・と!」
何度も強く主張するのに、先輩の耳にはオレの声は届かない。先輩はオレのこと、「ジュリエット」と呼び続ける。なんて都合のいい耳をしているんだ、この人は……!
しつこい先輩に半ば怒りを抱いていると、能天気にもアッキーが悠長な態度で間に入ってきた。
「どうも、ミオ先輩」
「おお、アッキー。君はアッキーではないか」
「はい、演劇部音響担当のアッキーです。先輩、樹里がジュリエットというのは……」
「アッキーよ、よくぞ聞いてくれた。ジュリエットとは、まさに運命の再会……。ジュリエットがこの身に降ってきた時、思い出したんだ。彼女こそ互いの宿命を呪いながらも永遠の愛を誓い合った唯一の女性、ジュリエットだと……」
「ええと、つまり別になんの根拠のない一目惚れだと。そういうことでいいですか?」
「アッキー……。簡単に話をまとめるの、やめてくれない?」
「えー。でもさー」
でももヘチマもない。だって、つまりあの時、ミオ先輩にダイブしていなければ、こんな展開が待っていたなんてことはなく……。
そんな一瞬間のできごとで人生が狂ってしまったなんて思いたくないんだよ……!
と、数分前の自分をただただ呪い、後悔している間にもチャイムが鳴った。なのに教室に戻ろうとしない先輩は、再び教師陣に無理矢理連れて行かれる形で教室から出て行った。
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