第291話 ベアトリスの天敵

 咄嗟に体が動く。こいつから今すぐ逃げろと私の第六感が叫んでいる。


 ドアを蹴破り、外へと逃げ出す。


 夜で前方は見えづらいが、命の危機を感じている時はどうも感覚が鋭くなるらしい。はっきりと前が見え、誰もいなさそうな森の奥へと逃げ込んだ。


「なんでっ……!」


 なんであいつがここに……。


 全身が恐怖で震える。そのせいで筋肉が痙攣したのか、なにもないところでつまずいてしまった。


「いてて……」


「鬼ごっこ?それとも、かくれんぼ?」


 無論、私のような鈍足がその少女から逃げ切れるはずがなく、顔を地面から上げれば目の前に少女が立っていた。


「二年ぶりね、なにしてたのよ」


 話しかけられようが、私はそんなの頭に入ってこない。


「どいて!」


 崩していた体勢を立て直すと顔に一発拳を放つ。


 それは衝撃波を放ちながら、少女の掌へと吸い込まれていった。少女がダメージを負った気配は皆無である。


 手を離せば、何事もなかったかのように手についた汚れを払い落としている。


「久しぶりの再会だと言うのに、もっと喜んでくれていいのよ?」


「私は貴方なんかに会いたくなかった!」


「あらそう?私は会えて嬉しいわ」


 ここから逃げ出すには?どうすればいい?


 というか、どうやって私の居場所を見つけた?長老たちと戦った時の気配でか?


 それだとしても、座標の計算は?まさか目算で転移できるの?


 疑問は尽きないが、目の前にいる少女ならやりかねないと思ってその疑問は解決する。


「長かった、この二年間は。私の計画、何度貴方に邪魔されたことか……でも、貴方を観察するのは楽しかったからよかったわ。私には及ばなくても、ここまで強くなったんだから」


 顔をクイっと持ち上げると、不気味な顔が近づく。


「そろそろ諦めたら?貴方じゃなにも変えられない」


「なんのことよ!」


「そのまんまの意味だけど?人類の守り手だったメアリもいないこの人間社会において、一番強いのはその娘である貴方だけ。ベアトリスが死ねば、現魔王は嬉々として人間界を蹂躙しにくるでしょうね」


「離して!」


 少女の握力は見た目の何千何万倍とある。私が全力で力を入れようと離れることはなく、逆に首を掴まれた。


「おとなしくしていればいいのに。もうすぐ悪魔の時代がやってくるわ、ベアトリスがそれを目にすることはないだろうけど、楽しみで仕方がないわね!」


 首に入る力がより強くなる。息がままならなくなり、どうにか息を吸おうと肺に負担がかかる。


「やっぱり強くなったわね。そのお粗末な権能を使えなければ貴方は私にとってなんの脅威ともならないのだから、皮肉よね」


 ここまで私が積み重ねてきた努力が全て無駄であったかのように少女は嗤う。


 声が出せず、話術が使えないこの状況下で私ができることはまだあるのだろうか?


「私はね、ほしいものはなんでも『支配』するって決めてるの」


「……?」


「貴方の肉体、とても頑丈そうだよねぇ?」


「!?」


 少女の目からハイライトが消える。いや、元々なかったが目の色が完全に真っ黒へと染まり、恐怖の権化へと姿を変えた。


「ねぇ?貴方は何年もつ?今使ってるの、もうすぐ十年経つんだ。ベアトリスは何年持つかな?もうすぐ一緒になれるよ」


「……………!!!」


 狂気に満ちた笑顔がこちらに顔が近づく。


 口が裂けて、今すぐ私を飲み込んでしまいそうなブラックホールが目の前に現れたような気分だ。


(誰か!)


 魔法も使えなければ、手足に力はもう入らない。


 もうここまでなのだろうか?結局私は死にたくない、ってわがままで死ぬのを先延ばしにしただけだったのだろうか?


 そんなことが頭をよぎる。


「いただきまーす」


 裂けた口がさらに大きく広がり、私を頭上から食べようと広がった時、


「あ?」


 少女の目がぎろりと部族の方を見た。森の外なので、ここには誰もいないはずだ。


 小動物だろうが、魔物だろうがこの少女の前ではそんなの気にならないはず……なのに、彼女は食べようとする手を止めてそちらの方向を注視した。


 瞬間、私はあり得ないものを見た気がした。


「万の魂、ここで潰える」


 聞いたことのある声、それと同時に私の目の前まで迫っていた少女の顔が吹き飛んだ。


「え?」


 抵抗することもできなかった私に対して、その声の主である……


「ベアトリス殿、無事か?」


「族長さん?」


 太った体ながら俊敏にこちらへと駆け寄る族長は、少女の顔を吹き飛ばしてしまった。私の目には見えていた。


 族長が右拳で少女の顔を殴りつけるところを……。


「だぁーれぇー?」


 首から上が吹き飛んでなくなったにも関わらず、少女は普通に立ち上がって会話を続けてくる。正直気持ち悪い。


「この気配は懐かしい、悪魔か」


「その感じ……その気配、もしかして竜王?」


 族長は平然とした顔持ちで、少女を見据える。


「その通りだ」


「それは計算外ね。隠居したんじゃないの?」


「ここが、私の隠居場所なのだが?」


「ほんと面白くないわ」


 少女がやれやれと言うふうにない首を振る。


「ベアトリス、今日はもう諦めるけど、居場所は見つけたわよ。そこで待ってなさい」


「っ!」


 じゃあね、と手を振る少女は闇の中へと歩きだし、姿も気配も消した。


 その場から脅威が去ったことで、私も族長も緊張の解放からか、腰が抜けそうになっていた。


「族長様、竜王ってなんですか」


「……かつて、古代には二人の龍の兄弟がいた。兄の方は龍の王へと成り上がったが、弟にその地位を譲って自分は竜人を守る族長へとなった」


 龍……ドラゴンの長にその弟が、竜人の長に兄……族長がなった。高位の龍はその身を何にでも変化させることができたというが、族長がまさにそれなのだろう。


「だから強いんですか」


「いや、昔よりも弱くなったさ。隠居したせいで腹には脂肪が溜まったし、年もとった。長年戦ってなかったから勘も忘れちまった」


 お腹の脂肪が少し揺れる。だが、それを感じさせないスピードはあの悪魔の少女も反応が遅れるほど早かった。


 本来ならば頭を砕いた後、地面に向けて体ごと破壊しようとしていた拳を咄嗟に避けたあの反射神経も異常ではあるが、私が傷もつけられなかった悪魔の少女に傷をつけた族長はまさに強者である。


 だが、


「ぐっ!?」


「族長様!?」


 倒れ込むと、地面に吐血する族長。


 胸の辺りを見てみれば、ポッカリと穴が空いている。


「心臓にかすった、みたい、だ」


「大丈夫なんですか!?」


「心配ない、どうせ死期は短かったんだ」


「死期?」


 かなり長生きな龍だが、もちろん寿命はある。ただ、四桁近い数字のはずだが……。


「ベアトリス殿は強いな……」


「強くないです、私はあの悪魔に傷一つもつけられなかった」


「違う」


 族長は血を吐きながらも話した。


「あの時、悪魔に対してベアトリス殿は全力を出せていなかった。恐怖と緊張で力も入っていなければ、力を解放すらしていなかった」


 力の解放……と言うことは族長も私と長老たちの戦いの気配を察知していたのか。


「族長様……」


「今、鬼族が強襲を仕掛けてきた」


「今!?」


 そうか、グラートたちに『作戦』のお願いをしていたんだった。


「早く戻りましょう!」


「いや、私のことはいい」


「でも!」


「早く戻るんだ、小さき人間よ。その力を人々のために使うのだ」


 人間……族長はとっくに私がただの子供であると気づいていたのだ。


「……ナターシャには転んで怪我したとでも言っておきましょうか?全治はもちろん今日の明け方です」


「ははは、よろしく頼むよ」

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