第265話 副教師の悩み(レオ視点)
チュンチュンと小鳥が鳴く音が聞こえてくる。眠りもだいぶ浅くなってきたようで、気分はかなりいい。
「ふぁ……」
あくびをしながら伸びをして、目を開ける。カーテンが朝日を透かして、ベッドに眠る自分を照らしていた。
「良い朝だな……」
そうだ、こんなに天気がいいのだから、ベアトリスとユーリを誘ってお茶でも……。
そこまで考えて、思考が止まる。
思わず布団を頭からかぶると、この場にベアトリスがいないことを確認してから再び顔を出した。
よもや、昨日何があったのか忘れたわけではない。
ベアトリスが許可したからと言って、彼女の血を吸ったのだ。だが、それ自体に彼女が不快感を示すとは思えない。
だが、
「あああぁぁぁ~……」
問題は僕のほうにある。
(ダメだ!恥ずかしすぎるだろ!)
彼女の指に縋り付いて、意地汚く血を吸ってる自分の様子を思い出し、顔が熱くなる。
吸血鬼は血を吸わないと十分は栄養が取れない。半吸血鬼の僕も栄養がそろそろ限界に達しようとしていて、我慢の限界だったものの……。
「ベアトリスの指を舐め……」
なんてことをしてしまったのだと、後悔が頭の上からのしかかる。
あの時、僕はどんな表情をしていたのだろうか?恍惚な表情を浮かべていたような気もする……。
そんな顔をベアトリスに見られていたと考えるだけで……うぅ、死にたい……。
しかし、それでも僕は今までよく耐えてきた方だ!
今まで血を吸った回数はたった二回だぞ!十年以上生きてきてたった二回だぞ?
吸血鬼ならとっくに餓死している。
それに、激しく襲う欲求にも耐えた。
吸血鬼が吸血中に感じる欲求は食欲と睡眠欲……そして、性欲。
そして、更に重要になってくるのが、僕が獣人と吸血鬼のハーフということ。
ただでさえ、性欲が強いと有名な獣人なのに、そこに衝動が追加されたんだ。いくら自分が子供といえど、無意識に襲っていたかも……。
今すぐ、僕のベッドに押し倒したいという欲求に我慢して、そのまま眠りにつけたのだ……最悪の事態にはならずに済んだようでよかった。
「そうだ、ユーリは……まだ寝てるのか」
今日は入学試験がある日。ベアトリスは教員としての出席義務的なものがあるので、今日は朝早くから出ているが、僕にそんな義務はない。
だから、とても暇なのだ。だけど、ユーリもどうやらまだお眠なようなので、することが本当にない。
「運動してこようかな……」
窓を開けると、先ほどよりも強い日差しが目に飛び込んでくる。風も涼しく気持ちがいい。
窓から飛び降りると、下はちょうど校庭に出るための裏口がある。
そして、校庭に出るとそこにはでこぼこになっている校庭が目に入り込んできた。
「なんだこれ?」
クレーターがいくつも生まれており、まるで激しい戦闘がそこで繰り広げられたかのようだった。
思わず呟いたつもりが、思わぬところから返事が返ってくる。
「俺たちがやったんだよ」
「ひゃ!?」
後ろから声がし、驚いて振り返ると、花壇のよこで座り込んでいるトラオ君がいた。
「ど、どうしたの?トラオ君……?」
いつもの彼ならば、ベアトリスに対して『ガキ』という、とても勇気ある少年だったが、ここまで落ち込んでいる姿を見るのは、短い教師生活の中では初めてだった。
「何があったんですか?」
「あ?お前が知る必要はねえだろ」
いつものような口調に聞こえて、その声に凄みはなくまるで弱っている。
「知る必要がないなんてことはないです。僕はこれでもあなたたちの副教師です!」
子供だらけの教師というのは彼にとっては腹立たしい者なのかもしれないが、そんなこと言ってられない。
落ち込んでいる生徒を無視する教師がこの世にいるはずがないのだから。
「……はっ、男前なこった」
「そりゃあどうもです」
僕も隣に座ってみると、やはり悲しいかな。僕の身長は彼には遠く及ばず、見上げるような形になってしまった。
だが、そんなことは気にせずトラオ君は話始める。
「なあ?ガキ……ベアトリスってのは、あいつは正気か?」
「へ?」
思わぬ質問に少し心臓が跳ねる。
「あいつよう、受験生に負けそうになったからって、自分で腕を斬り飛ばしたんだぜ?」
詳しく話を聞けば、トラオ君が言うに自分よりも強そうなやつがベアトリスを打ち負かせそうになった時に、相手の動揺を誘うため、腕を自ら切り裂いたらしいベアトリスの話が飛び出てくる。
「ベアトリスは負けず嫌いですからね」
「そんなレベルじゃねえだろありゃあよ。腕が取れたのに痛そうにもしない……人間じゃないものを見てるみたいだった」
実際、人間かどうかは怪しいものがあるが……。
「でも、ベアトリスはずっとそんな感じだよ」
今思えば、ベアトリスは負けず嫌いで仲間想いな、素晴らしい人だ。
貴族社会に出ていれば、引く手数多だっただろうその容貌も相まって、非の打ちどころがないように見える。
だが、誰しも挫折を経験するもの。
負けず嫌いなのは、負けたことが悔しかったから。
仲間想いなのは、仲間を失いかけたから。
つらいことを経験したからこそ、今の彼女があるのだ。
理解が及ばないという顔をしているトラオ君に昔話を言って聞かせる。
「キツネを助けるために戦いを放棄?……いや、死にかけてるんじゃねえか。え?なんだよそれ、絶体絶命かよ……」
いろんな話を聞かせれば、トラオ君は次第に耳を傾けるようになっていった。
「とにかくだよ、ベアトリスは確かに才能があったかもだけど、腕が取れた程度で動揺しないのはそういう経験をしてきたからなんだ」
幼いころから命を狙われ、戦場へ出て、修羅場をかいくぐり、あまつさえ上級悪魔の少女に母親が殺され、ユーリも殺されかけ、ベアトリス自身も殺されかけた。
自分を犠牲にした僕の親代わりの人に対しても、ベアトリスは自分を責めていた。
「そうか……俺なんかよりよっぽど苦労してんだな」
「ま、まあトラオ君も大変な思いをしてきたんだよね?辛かったよね……」
そう慰めようと、頭を撫でてあげる。そういえば、僕も昨日ベアトリスに撫でられていた気が……。
「お、おい!やめろって!子供じゃねえんだよ!」
照れるように僕の腕が振りほどかれる。
その時にポスン、と音を立てて掌がトラオ君の手に当たった。
「……………」
「ど、どうしたの?」
固まってしまった彼を見つめながら問う。
「なあ、触ってもいいか?」
「はい?」
「だから!触ってもいいかって聞いてんの!ほら……お前、女子たちに囲まれてたから話す機会もなかったし、触る機会も……」
そう言って顔を隠すトラオ君。
(え?こんなに可愛い性格してたの?)
もっと荒れまくってる系だと思っていたら、なんとも初々しいじゃないか!
「いいよ、僕でよければだけど……」
「あ、ああ」
握手をすれば、僕の肉球が彼の握力に押される。「ふわふわだな……」という呟きが聞こえてが、敢えて僕は聞かなかったことにする。
「あー……これ聞いていいのかわからないんだけどさ」
満足したというように手を離すトラオ君が言葉を続ける。
「お前って、ぶっちゃけベアトリスのこと好きだろ」
「ひゃい!?」
声が裏返るほどびっくりすると、にやりと笑って「やっぱりか」というトラオ君。
「そそそそ、そんなわけ!」
「いやぁ、わりぃな。俺、目がいいんだわ。ちゃんと見てたぜ、空中でお姫様抱っこされてるお前をよ」
「!?!?!?!?」
あれ、見られてたの!?
「なあ?キスくらいしたのか?」
「し、してないし!」
「じゃあ、それ以上は?」
それ以上?
そう言われて、思い出すのは昨日の夜だった。思わず考えてこんでしまっていると、トラオ君から、
「まじ?もう経験済みかよー。異世界は進んでるな」
「ち、ちがーう!」
「んー?俺はまだ何を経験したかなんて聞いてないのに、わかったのかなー?」
「うぐっ……」
「どうだ?やっぱ好きなんだろ?」
「べ、別に―?」
いや、嫌いとは言ってないよ?もちろん、好きだけど……仲間としてとか、友人としてとか……つまりそのぅ……。
「ははははは!」
大笑いするトラオ君。
「なんか、お前見てるとなんだか悩み吹っ飛んだわ」
そう言って立ち上がるとスタスタと歩いて行ってしまう。
「じゃあな、レオ先生!」
去っていく生徒の背中を見ながら、僕はただ茫然としているのだった。
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