貧民街-spider web-

ひとやま あてる

第1話 プロローグ

貧民街。


それがいつから存在していたのか。


何のために存在しているのか。


そんなことを考える者など、ここにはいない。


というより、そんなことを考えても答えが出ないのだから仕方がない。


絶えることなく人間が放り込まれ、空間はそれを上回るスピードでどこまでも広がりを見せている。


中心には誰もが憧れる歓楽街。


そしてそこから同心円状に広がるように、工場であったり高層の建物が立ち並ぶ。


建物はどれもレンガ造りで、整然とブロック分けされたそれらの並びは、マンハッタン島の市街を思わせる。


空気は汚く黄褐色に淀み、そのせいで靄がかったように遠くまでは見渡せない。


これらの汚染の原因は工場などから排出されたもの。


排ガス、廃液なんでもござれ。


環境に気遣う人間もいない。


住居の中に工場が乱立しているから、それも仕方のないことだろう。


ごく一部を除き、ここに来る人間のほとんどは全てを失った者。


地上で行き場を失った者の元に扉は現れ、選択を迫る。


そのまま残り少ない命を享受するか、それとも──。



          ▽



とある王国──。


妻に呼ばれ、二人きりになったアイゼン。


「あなた、どういう事ですか!

民を守るべき王が、まさかこのような……!」


アイゼン王を目に涙を湛えて睨みつけるのは、女王ヴィクトリア。


「落ち着け、ヴィクトリア。まずは冷静になるのだ」


「冷静になって何が変わるのです!いつからですか!?いつからあのような悍しい実験を繰り返しているのです!?」


「あのような、とは?ヴィクトリア、お前は何を言っておるのだ」


「惚けないでください!地下で行なわれている研究──いえ、研究という名の人体実験については、私はもう知ってしまっているのです!聞けば、あのフィルリアも実験で亡くなったという話ではありませんか!」


「あれには訳があるのだ」


「人殺しに、どんな訳がありましょうか!私はこんな……こんなことが行われているなんて知りたくなかった……!」


大量の涙を零しながら崩れるヴィクトリア。


「お前には知って欲しくなかった……。だが、どこでその話を聞いたのだ?」


「それが今必要な話ですか!?はっ……まさか、まさか口封じをするおつもりですか?こんな時にも保身を考えるなんて!」


「ち、違う、そういうことを言っているのではない!」


「ついでに私のことも処分するおつもりですね……!なんて恐ろしいの!いつからそんな風に外道に成り下がったのですか!?私はこのような狼藉を見過ごすことはできません。今から国中にこのことを暴露し、私たち王族全員の命をもって謝罪させていただきます!」


そこから勢い良く立ち上がり、ヴィクトリアは部屋を飛び出した。


「なっ……!」


まずい、あれを行かせてはならない。


だが今ここに供回はいない。


二人きりにの空間というのが仇となったか。


何としてもあれを止めなくては!


そう思ってアイゼンも部屋を飛び出す。


「誰か、誰か妻を捕まえて参れ!妻が乱心したのだ!そのような姿を国民に晒すわけには行かぬ。動ける者は動け!そして妻を捕まえて戻ってくるのだ!」


アイゼンの声が響き、王宮内が騒然となった。


慌ただしく兵士たちが走り回る音が、そこかしこに響き続ける。


「ハッ、ハッ、なんて恐ろしいことを平気で行っているの……!」


ヴィクトリアは走りながら、怖気も走るその内容を思い出す。


追い回す者どもの声や足音が、ヴィクトリアを攻め立てる。


やはり自分を捕まえて処分するつもりだ。


そう思い、なるべく人のいない方へ走り続ける。


「どこへ……どこへ逃げれば……!」


そんなヴィクトリアの暗い未来を表すかのように、今日の天候は大雨。


王宮内に隠れ潜んだとしても、すぐに見つかるだろう。


ならいっそ、雨に忍んで外に出た方がいいかもしれない。


この事実は──王宮で行なわれている悍しい実験は、国中に知らしめなければならない。


その一心で外に出ようと思った時、ある男のことを思い出した。


「今なら、まだいらっしゃるかもしれない……!」


私に真実を教えてくれた、あの男。


あの男なら、何とかしてくれるかもしれない。


こんなことならアイゼンに会わずに済ませて仕舞えばよかったと、いまさらながら後悔する。


走りながら、フィルリアの顔が浮かぶ。


王宮に来て慣れない頃に知り合った研究者だったが、ヴィクトリアと時々お茶するほどの仲でもあった。


子育てのために仕事を辞めるという話を聞いていたが、実はそうではなかった。


彼女はこの王宮で亡くなっていたのだ。


これもあの男から知らされた事実。


墓所に行けば、実際にその彼女の墓も確認できた。


これ以外にも王家は何かを隠しているかもしれない。


それらを全て明るみに出し、命をもって謝罪しよう。


それ以外の死に方など望むべくもない。


自分の命など惜しくはない。


国を支えてくれている民の命に比べれば、自分の命など些末なものだ。


そうやって死ぬまでは、死ねない。


何とか警備の目を掻い潜り、先日男のいた場所を目指す。


王宮の人間ではないが、よく出入りすると言っていた。


あの男なら……!


雨に濡れるのもお構いなしに、そこへ向かう。


すると。


やはり、いた。


シルクハットを被った、その男が。

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