第53話

「うん。大広間は大騒ぎだっただろう?」

「当たり前じゃない! 大泥棒が出たのよ」

「そうだね」

「犯人はまだ宮殿に潜んでいるかもしれないんだから。だからあなたも」

「きみは、俺のことを覚えていない?」

「何を、急に……?」


 リリアージェはむっと怒った顔を作った。大変な騒ぎになっていると教えているのに、彼ときたらてんで他人事といった体。


 あまつさえ、何が俺を覚えていないか、だ。覚えているも何も、こんな男性会ったことも、とリリアージェはそこで初めて目の前の男の顔をまじまじと見た。

 口の周りをひげが覆っている。月明かりのもと、髪の毛とひげの色の濃さが違う。声は耳に馴染む親しみのあるものだが、知っている人たちとはどこか違うように見える。


(でも、この声なんとなく覚えが……)


「あなた……ええと」


 リリアージェは小さく首を傾げた。もうすぐで、出てきそうな気がする。どこかで会った気がするのだ。


 うーん、と唸っていると人の気配がした。

 男の方がそれにいち早く気が付いた。


「リリアージェから離れろ」


 低く、威嚇をするような声音を聞くのは初めてだったが、聞き間違えるはずもない。エルクシードのものだった。


「わあお。剣まで携えて、意外と武闘派なんだね」

 男が茶化すように、口笛を吹いた。ずいぶんと軽薄な男である。


「常に殿下の側にいるからな。それなりに身体は鍛えてある」

「なるほど。伊達じゃないわけだ」


 男が一歩、二歩とリリアージェから離れるように後ろへ下がった。すると、今度はエルクシードがゆっくりとこちらに向かって歩いて来た。

 ちらりと横目で確かめると、確かにエルクシードが抜き身の剣を手に持っている。文官風の出で立ちしか知らないため、リリアージェもびっくりした。


「それで、おまえは私のリリーに何をしようとしていた?」


 エルクシードがリリアージェを庇うように背後に押しやる。


「べつにまだ何もしてはいないよ。どうやら彼女は俺のことを幽霊か何かだと思ったらしい」

「う……」


 そこは余計なことを言うところではない。リリアージェの口から思わずうめき声が出てしまう。


「その言い方では、まるでこれからリリーに何かするようではないか」


 エルクシードは油断なく相手を見据えている。

 そのさなか、あたりでゆらりと炎が浮かび上がる。植木の奥から、ゆっくりと近づいてきたのは、衛兵たちだった。


「せっかく、運よくヴィワース夫人と鉢合わせたから、ついでに彼女も誘惑していこうと思って」


 男は悪びれることなく、くつくつと笑った。


「だって、ブリュネル公爵家の若奥方が、駆け落ちだなんて、こんな醜聞滅多にないだろう?」


 リリアージェは、あまりの言い草にかちんとなった。誰が、得体も知れぬ男の誘惑になど乗るものか。言い返してやりたいのだが、しゃしゃり出るのもどうかと思って、睨みつけておくだけにする。


「その口、今すぐにきけなくしてやろうか」

「案外に短気なんだね」

「ああ。それは以前から知っているだろう?」

「マリボンでのことを言っている?」

「えっ!」


 つい、声を出してしまった。

 リリアージェはエルクシードの顔をじっと見て、それから正面に対峙する男の顔をもう一度よく見つめる。本当に、もうすぐ出てきそうだ。


「今すぐに縄につけ。ダリアン・ロンターニ」

「ふうん。すべてお見通しというわけだ」

「ああ。おまえが今、あの館からあるものを盗み出したことも知っている。鍵開けもお手の物とは、さすがは大泥棒。手癖の悪さも天下一品だな」


 じりじりと衛兵たちが近寄ってきた。その数、およそ十数人。手には剣を構えている。彼らの内の幾人かが掲げ持つ、明かりのおかげで、見晴らしがよくなる。


 ダリアンは、おもむろに口元からひげを取り外した。

 リリアージェは今度こそ、声もなく驚愕に目を見開いた。たしかに、その顔はリリアージェの知る、ダリアンそのものだったから。ひげ面とではだいぶ印象が違っていた。

 よく見ると、地面に黒いものが落ちていた。鬘だろうか。


「あれはもともとエルメニドのさる家が所有をしていたものだ。先の戦のどさくさでそちらの王家が接収したものを、返してもらおうと思っただけだよ」

「セルジュア音楽院の出身だという話だったが……、やはり南の出身だったか」

「さあね。本当にセルジュア音楽院の出身かもしれないよ?」


 ダリアンがまぜっかえす。開き直ったのか、悪びれることのない態度である。

 その頃には、彼の声もリリアージェのよく知るものとなっていた。

 最初にリリアージェを脅かそうとしたときの彼は意図して声を作っていたということだ。


「まずは、絵画を返してもらおうか」


 エルクシードが片手をあげて合図をすると、衛兵のうち、三人がダリアンににじり寄り、素早い仕草で腕を取り、拘束をした。別の人間が身体検査をしていく。


 エルクシードがこの段になって、自身が持つ剣を鞘に収めた。

 ダリアンはされるがままに任せている。丸腰のため、帯剣する衛兵相手では不利であることが分かっているのだ。


 リリアージェはまだ半信半疑だった。


 ダリアンがあの大泥棒という事実にまったくついていけないし、二人がイコールで結びつかない。

 だが、衛兵がダリアンの上着の背中部分から絵画を発見したため、リリアージェは彼が宮殿から盗みを働いたことについては事実だと認めざるを得なかった。


 絵画というからもっと大きなものを予測していたのだが、予想よりも小さかった。

 分厚い生地で作られている上着は彼の体格にしてはやや大きめであった。内側にポケットが作られていて、そこに隠し入れられていた。


「ずいぶんと小さいものなのですね」

「ああ。神の使徒を描いたものだが、絵の具の代わりに真珠と珊瑚を使って色を表現している、大変に高価な代物だ。二十年ほど前のエルメニドとの戦いで、賠償品として接収してきたものだ」


 思わず呟くと、エルクシードが補足をしてくれた。

 真珠も珊瑚も海の宝で、とくに真珠は大変に貴重な代物だ。それを惜しげもなく使っているのだというから、その価値はいかほどか。宮殿にはそのような高価な品々が平然と置かれているため、感覚がマヒしているリリアージェであった。ブリュネル公爵家も財産家であるため、館の中には値の張る調度品が多く飾られてある。


 ダリアンの身体検査はさらに進められていた。

 衛兵が上着の内ポケットから小さな紙を取り出した。別の人間がそれを取り、エルクシードに手渡した。


「このカードは、大泥棒が新聞社や被害者宅から押収したものと同じ意匠だな」

「言い逃れは出来ないな、ダリアン」


 衛兵に両脇を取り押さえられているダリアンに向けて、エルクシードが眼光鋭く言い放った。


「あーあ。予備に持っていたものがあだになったな。この宮殿はお宝の山だからね。ついでにいくつか頂いていこうかと」

「それから、部下におまえのヴァイオリンを調べさせている。おまえはいつも、複数のヴァイオリンを持ち歩いているな」


「まあね。その時によって楽器の調子にも良し悪しがあるからね。お客様の前で演奏をするんだ。最高のパフォーマンスを披露したいと思うのが、音楽家というものだろう」

「だが、そのヴァイオリンのうち一つは膠が緩くなっていた。あれでは演奏は出来ない。ヴァイオリンの中に、鬘や付け髭、それからカードを隠していたのだろう」


 接着剤でもある膠は割と容易に取り外すことが出来る。ヴァイオリンも膠の特性を生かし作られている。

 それを利用して、見つかっては困るものの隠し場所にしていたということだ。


「これがおまえのヴァイオリンだ。中には紙が入っていた」


 エルクシードとは別の男がダリアンの前にずいと現れた。ケースと、そして手に掲げているのは丸められた紙。

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