10. 吸血鬼の本能?

 ミュゼさんは時間通りに事務所にやってきた。サングラスを含めた三点セットもあいかわらずだ。わざわざ変装して大変そうだが……デビュー前の今の時期に変装は不要じゃないだろうか。そのことを問うと、ミュゼさんに笑いながら否定された。


「別に変装じゃないぞ。明るいのが苦手なだけだ」

「え? 陽の光以外も駄目なんですか?」

「いや、別に駄目じゃない。けど、ちょっと落ち着かないな」


 弱点と似た環境だから、なんとなく苦手意識があるということらしい。七百年前なら夜は今よりずっと暗かっただろうから、夜でも明るいという状況に慣れていないのかもしれない。


「でも、それならサングラスだけでいいのでは?」

「そうなのか? 三つセットだと聞いてたんだけどな」


 誰だ、そんな適当なことを吹き込んだのは。


「誰に聞いたんです?」

「社長だ。なんて言ってたかな。ちょっと怪しい格好の方が変な奴が寄ってこなくていいとかなんとか」


 ああ……ナンパ男対策かな。ミュゼさんは一見すると人間と変わらない姿。しかも、間違いなく美人。夜に出歩けば変な男が寄ってくる可能性は高い。だが、あからさまな不審者の格好をしていれば、たいていの人間は避けるからな。代わりに警察は引き寄せそうだが。


「そういえば、ミュゼさんは変身できたりしないんですか?」


 ヴァンパイアは蝙蝠に変身する能力を持っているイメージがある。昨夜、部屋にやってきた蝙蝠を見たときも、実はミュゼさんが変身しているのではないかと疑ったくらいだ。実際には眷属の蝙蝠君だったが。もし、変身できるなら、自宅と事務所の移動に関しては蝙蝠になって移動すればいい。


「あー……、できないことはないぞ。でも、基本的には使わないな」

「何故ですか? 飛べるなら便利そうですけど」

「いや、このままでも飛べるぞ?」

「飛べるんですか!?」


 さすが、ヴァンパイア!

しかし、目撃されると面倒なので、普段飛ぶことはないそうだ。見つかれば間違いなくスマホで撮影されるだろうからなぁ。ヴァンパイアには本当に生きづらい時代だ。


「だったら、蝙蝠に変身して飛べば……」

「あのな、そのとき服はどうなると思う?」

「あっ……」


 また、全裸事件が発生してしまうのか。ファンタジーは案外融通が利かないな。


「ヴァンパイアが蝙蝠に化けるのは、追い詰められて絶体絶命って状況だな。何かに紛れて逃げるしか手がないときくらいだ」

「なるほど……」


 まあ、便利に使えるなら、初めから使っているか。




「やけに薄暗いですね」

「言ったろ。明るいのが苦手なんだ」


 ミュゼさんの住まいは、事務所からそれほど離れていない賃貸アパートだった。インベーダーズで借り上げているわけではないが、住人のほとんどは関係者が占めているとか。リーラさんもここに住んでいるそうだが……どちらかというと、わずかに残る一般住人が気になる。何かのきっかけで住人のほとんどが普通の人間じゃないと気がついたときに、パニックにならないといいが……。


 部屋の照明は光量が落とされていて薄暗い。この照明も来客のために用意されているもので、一人の時は照明なしで過ごしているらしい。


「え、デュアルディスプレイ? 二台使ってるんですか?」


 早速、トラブルの原因を探ろうとパソコン部屋に案内してもらったのだが、なんとディスプレイが二台ある。別段珍しくもないが、ミュゼさんが自分で設置したとはとても思えない。


「リーラが何かやっていったぞ。VTuber配信には二つあった方が便利なんだってさ」


 なるほど、リーラさんか。

 たしかに、VTuber活動をするならディスプレイは二台以上あったほうがいいだろう。例えば、ゲーム配信をするときに一台でゲーム画面、もう一台でコメントを表示するという使い方をするようだし。


「ちなみにパソコンが動かなかったとき、ディスプレイは両方つけてました?」

「いや、配信じゃないなら、必要ないだろう?」


 んー……、まさかなぁ?

 いや、でも可能性はあるぞ。


「とりあえず、両方つけてパソコンを起動してみましょう」

「了解だ」


 低い稼働音を響かせながら、パソコンが立ち上がる。メーカーロゴのあと……ログイン画面は問題なく表示された。


「ログイン画面、出ましたね」


 おそらくオフにしていた方のディスプレイにログイン画面が表示されてたんだな。つまり、ミュゼさんは本当に何もしていなかったけど、パソコンも壊れてなかったという結論。


 あっさりと片付いたが……、徒労感が凄いな。


「おお、すごいな柿崎!」


 とはいえ、こんな風に喜んでもらえるのは悪くない。例え、俺のやったことはディスプレイの電源を入れただけだとしても。いや、さすがにもう少し症状を聞いていれば良かったかな……。


 よほど嬉しかったのか、ミュゼさんはまだはしゃいでいる。感情表現が大きいんだよな、この人。しかも、はしゃぐだけじゃ飽き足らず、こともあろうか俺に抱きついてきた。


「何しているんですか、ミュゼさん!」

「ははは、これでパソコンが使えるぞ。ん? お前の首筋……悪くないなぁ」


 興奮しているのか、ミュゼさんに言葉は届いていないようだ。というより、言葉の後半から様子がおかしい。どこかうっとりとした口調で、俺の首筋を眺めている。


 まさか、俺の血を吸うつもりなのか……?


 多少血を吸われるくらいは問題ない。高い給料をもらってるんだ。それくらいは仕事の範疇だと割り切れる。ただ、ヴァンパイアは血を吸うことで眷属を増やすんじゃなかったか? さすがにヴァンパイアにされるのは困るぞ。


「待ってください。血を吸うのは構いませんが、私がヴァンパイアになったりはしませんよね? 昼間に仕事ができなくなるのは困るんですが……」


 俺はタレントと違って昼間にもやらなければならない仕事がある。結構な給料をもらっている以上、無責任なことはできない。


「気にするのは仕事のことなのか? 変わった奴だな……」


 いや、社会人としては重要なことだ。

 だが、たしかに普通は種族が変わることを気にするかもしれないな。そう言われてみれば。


「まあ、血を吸っただけでヴァンパイアになったりはしないぞ。そもそも血を吸う気もないが。ただ、お前の首筋はいいな……そそられる」


 ええと、それは食欲的な意味で、ですね?


 ミュゼさんは恍惚の表情を浮かべ、唇をぺろりと舐めた。あいかわらずしっかりと抱きつかれているせいで顔が近い。美人のとろけ顔は本当に危険だ。主に俺の理性が。


「はいはい、いい加減離れてください」


 やんわりと身体を押しのけると、それほど抵抗なくミュゼさんは離れていった。何事もなくひと安心だが……少し残念な気持ちがあるのは仕方がないことだろう。


「お前の首筋を見てたら、腹が減ってきたな。カロリーバディをくれ。買っといてくれたんだよな?」

「はいはい……」


 血は吸わないけど、首筋を見ると食欲が湧くのか……ヴァンパイアって思ったより業の深い存在なんだなぁ。

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