余計なお誘い
私はきっと、ここで何も手出しをするべきではなくて。
このまま神坂さんを雨の中に放って帰るのが、今の正解だったのだと思う。
だから。ここで私が、彼女に余計なお世話をするのは不正解。
でも。将来的に見れば、どうなのだろうか、と。またいつものことを思った。
今は分かっても未来は分からない。今の選択肢が悪いものであっても、未来から見れば正解という。そんな、私が前に得た教訓なのだが。私は少々その教訓を過信している節がある。
いやしかし、過信するのも無理は無く。私は一度、その考えに救われた。だから過信し続けている。
宗教の信者というのは、こうやって作られるのかもしれない。
んなことはどうでもよくて。
とりあえずは、私は彼女に余計なお世話をしたのだ。
今は不正解でも、未来の正解を確信したのだから、結局は今の選択も正解なのだろう。と、ここまでダラダラと思考したが。言ってしまえば、これはただの好奇心だったのかもしれない。
「神坂さんの音楽。無理してるよ。キツそう」
何度も言うが、本当に余計なお世話だったのだと思う。
彼女は楽器を吹くのをやめ、私を睨んだ。当然の反応だった。
かと思えば、シワが付いたこめかみは、だらしなく歪み出す。
彼女の音を具現化したような表情──つまりは悲哀に満ちた表情に変化した。
彼女の頬を伝う一つの水滴は、雨粒なのか。それとも──。
「……分かってる。そんなこと、分かってる」
涙だった。
悔しそうに唇を噛みながら、涙を地面にぽろぽろと落とした。
「分かってるのに。私の音は、歪むの」
私は無責任にも、ここで黙ってしまう。
そんな私を、彼女はおもちゃのナイフみたいな視線で刺してくる。
もちろん刺されない。痛くない。
「どうせ主席合格者の音じゃ無いとか思ってるんでしょ」
悪いけど、図星だった。我ながら酷い。
私はどうしても。音楽のことになると正直になってしまうらしい。
顔に『主席合格者もこんなもんかー』と油性ペンで書かれていたに違いない。
でも。彼女の実力が、こんなものでは無いのは分かる。
だって主席だ。少なくとも、あの白石梨奈よりも神坂さんが上なのだ。
「……あーうん。どうなんだろ」
二つの思いがこんがらがって、曖昧に伝えてしまう。
「気遣わなくて良い。私だって分かってる。……でも、私は、本当はもっと上手い。大学で一番上手い。大分で一番上手い。九州で一番上手い。なんなら全国で一番上手いって思ってる……」
彼女は次第に声をしぼめた。
苦しそうだった。
「──いや。思ってた。……私はもう。楽器を楽しめなくなった」
彼女は再び。下を向いて泣き出した。嗚咽が聞こえた。
行き場を無くした右手に収まった楽器から哀愁が漂う。
目に映る彼女の頭部を見て、私は悩んだ。悩んでも、何も分からなかった。
彼女の言葉の意味を、理解が出来なかった。出来る訳がなかった。
何かそれなりの事情があるのだろうが。その中身なんて、全く。
彼女も。楽器を楽しめなくなったという点。私にうっすら似ていた。
音楽家が音楽家として終わる瞬間は、音楽を楽しめなくなった時だ。と思う。
私も一回は音楽家として終了したが、今はこうして音楽を好きになっている。
ここで何か声かけをすれば、彼女は救われるだろうか? と至ったが、何をやっても先ほど以上のとんでもない余計なお世話になるに違いなかった。
だからと言って、ここまで関わってしまったからには、そそくさと帰る訳にもいかない。泣いている彼女を置いていくことは、流石に薄情である。
どうするべきか。考えて、まともな答えは意外にもすぐそこに転がっていた。
「あ。そうだ!」
私は手をパンと叩いた。
これこそ余計なお世話だが。
というよりか、余計なお誘いだ。
「アンサンブル、やってみない? 私たちと」
「寂しく一人で楽器を続けるのは、楽しくないよ」と言葉を続けた。
後で琴音に怒られそうだった。怒られよう。
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