15時までの残り時間は
今は屋上で私たち二人。遅めのお昼を食べていた。
ちなみに旅行に持って行った割と大量の荷物は、個別ロッカーに押し込んだ。
幸いなことに午後の講義は今日は無い。15時までは暇だった。
普通はここで楽器の練習をするべきなのかもしれない。
けど練習をしなかったのは単純な理由で、ただ疲れていたからである。
今はこうしてサンドウィッチを食べながら、疲れを癒している最中だ。
「……そういえば琴音は、私がチューバを始めた理由って知ってるんだっけ?」
そんな問いをしたのは、サンドウィッチもあと残り僅かという場面で、ちょうど良い話題も尽きかけようとしていた時だった。
琴音は「確かに」と首を縦に振り「だよねー」と私は返した。
「えーっと……」
自分からこの話題を持ちかけたはいいが、私も少し曖昧だった。
高校生の虚無の時代に思考を運ぶ。
記憶の中を探りながら、言葉を続けた。
「私が高校三年生だったある日、というか九月くらいだったかな。……まぁもちろん行く大学も何も決まっていなかった訳ですよ」
「それ本当に結構危険じゃないですか?」
「うん。まぁ、それで生徒指導室に呼ばれたの」
「それで怒られた。みたいな感じです?」
「いや、それがさ、違くって。……まぁ、良い歳したおじさんがいた訳ですよ」
「……なるほど。じゃあ、その人が影響してチューバを?」
「そうそう。なんか急に『君の音楽の才能は光るものがある──』みたいな胡散臭いこと言われて、その人が持ってきたチューバを私は吹かされたの。そしたら、チューバに運命感じちゃったよね……っていう話。そこで私はおじさんにこの大学を勧められて、受験することを決意したんだ」
そして私が吹いている楽器は、その人が貸した楽器なのだ。
ただ連絡先も知らない上に名前も聞きそびれたので、お礼をできていない。
今思い返せば、向こうは敢えて名前も何も教えてくれなかったのだと理解できる。
なぜなら、高校の教師におじさんの名前を尋ねても頑なに教えてくれなかったからだ。
名前を教えずに楽器を貸し出すなんて、中に爆弾かなんかを入れられてそうで最初は警戒していたのだけど、令和の今の時代にそんなことなど勿論無く、ありがたくチューバを今は吹かせて頂いている。申し訳なさも微塵に感じながら。
「……っていうか私、その人のこと知ってる気がするんですけど」
琴音は考える様に唸りながら言った。
「あ。そうなの? チューバ関係者とか?」
確かにそうだとしてもおかしくない。
私に無償で楽器を貸し出すような人間だ。
そういう楽器レンタル業界では有名人の可能性も有り得る。
だが。琴音は、どこか腑に落ちない様な表情で唸ったままである。
「いや。んー。……やっぱり、違うかもです。……んー。はい。多分、勘違い……だと思います」
一人、葛藤の後に結論を出していた。
「そっかぁ。……えっと兎も角は、これが私がチューバと出会った経緯。どう?」
「なんというか、ほんと運命的ですね。おじさん様様って感じです」
「だよねー。あの出会いが無ければ、私は琴音にも出会えて無かった訳だし。……そう考えると、なんかめっちゃ恐ろしくない?」
「確かに恐ろしいですけど……いいじゃないですか。出会えたんですから」
「それもそう」
「ですです」
ここまでで、サンドウィッチは消えていた。
それと。ここまでの会話に何か意味があったのか、と。多分無い。
しかし。二人一緒にいるということに、大きな意味があるのは間違いない。
さて。ここからは何をしていたか、と言うと。
琴音との会話で時間を消費していた。それだけだった。
大切な勝負が控えていると言うのに、何をしているんだって話だ。
こういう時は普通、楽器の練習でもするべきだと思う。
私は昨日、楽器に一切も触れなかったのだから尚更である。
なんなら琴音にも「練習はいいんですか?」と言われてしまった。
それでも私は「琴音と話す方がいい」と、琴音の身体に引っ付いた。
何故か?
答えは単純だ。
琴音と一緒に過ごしたかったからだ。
なんの捻りも無い。これ以上は何も無い。
琴音が好きだから、琴音から離れたくない。
勝負を捨てたのか? 事後は琴音に任せる気なのか?
と。全くそんな気はない。むしろ、今回の件は自分自身で終わらせたい。
昨日の夜。今日の深夜と言うべきか。
琴音と一緒に『英雄ポロネーズ』を聞いた時から、私は決意をしていた。
私──音海日菜子。一つ大人になろうという、その決意を。
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