第2話 歌を巡るあれこれ・後編
「き、キーマさん、大丈夫ですか?」
「あんなの後で治せば良いだろ」
「酷っ、なんでもリカバリすれば良いってものじゃないって!」
そんな些末なことはともかく、この歌には緊張を解きほぐす効果がある。じゃあそれが何の役に立つかというと。
「大丈夫かー?」
「はい」
呪文を唱えたココが、俺の手を借りずに一人で浮き始めた。そう、鎮め歌には恐怖を和らげる効果もあるのだ。
おかげで、彼女もこうして自分だけで飛ぶことが出来るようになった。細い体が少しずつ少しずつ、天井に向かって上がっていく。……スカートじゃなくて良かったとこっそり安堵しているのは内緒だ。
それを見届けてから、俺も口を開いた。
「さてと、次は俺の番だな」
呟き、小さく小さく、自分にだけ聞こえるようにココとは違う歌をそっと歌う。と言っても、訓練場はしんと静まっているからどうしても皆に聞こえてしまうのだが。うぅ、恥ずかしい。早く終わってくれ……!
そうして歌い終えてから、手のひらに例の印があることを確認してから『世の理を――』と唱え始める。踵がふわりと音もなく地面から離れていった。
「……よし」
やはりだ。閉じた空間のはずなのに、空気に流れがあるのを全身で感じた。きっと通気口や細い隙間があるのだろう。
それを感じられるようになったのは、俺が「自分は風だ」と念じながら口ずさんだ「暗示歌」のおかげである。まるで本当に自分自身が風そのものになったかのようだった。
せいぜい、ゆらゆらと揺れるくらいにしか移動できなかった体がずっとずっと軽い。浮かんでいるココの周りを自由自在にスイスイと飛び回り、彼女も「凄いですね」と笑ってくれる。
まだ無理だけれど、魔術歌の重ね掛けが出来るようになれば一緒に空の散歩が出来るだろう。その日は遠くないに違いない。
「うっわ、凄いことになってんな」
「ですね……」
一方、セクティア姫の周辺も大騒ぎになっていた。部屋を訪れると布やら服やら箱やらといった荷物だらけの汚部屋……じゃなくて、荒れ放題の部屋と化していて、ココと揃ってびっくりしてしまった。
姫がちゃきちゃきと使用人のシンに命じている。
「あれも持っていくから詰めておいてね」
「畏まりました」
こんな有様になっている理由はただ一つ、俺達が「仕事」でフリクティー王国へ行くと告げたために、姫が「私も一緒に行く!」と言い出してしまったせいだ。
「あぁ、貴女。お土産の品を幾つか見繕って頂戴」
「はい」
今もこうして部屋の中央で元気に采配を振るっている。突然の「お出かけ宣言」に青ざめたのは、シンを始めとする使用人一同だった。沢山の人間が荷物を抱えて汗をかきつつ右往左往している。
王族の生活は平民とは全く違う。執務に社交に夜会にと予定を先の先まで決められているのが普通で、出かけたくなったと言ってすぐに外出出来るわけもない。
「子ども達の服の準備は進んでいるかしら?」
「お任せください。順調に進んでおります」
それも、故郷とは言え隣の国へ、しかも双子の子ども達まで連れてだ。しかし、それで止まる天下のお姫様ではない。行くと決めたら強硬突破あるのみである。
使用人達も止めたのだろうがお構いなし、その他にも夫やレストルを始めとする護衛役達との間にどんな攻防があったかは……聞かぬが花というやつだろうな、多分。
「あぁ、二人ともよく来てくれたわね」
扉のところで呆然と突っ立っている俺達に気付いた姫が、気難し気な顔から一転、ぱっと笑みを浮かべて手招いた。
「セクティア様、本当に行く気なんスか」
「当たり前でしょ? だからこうして準備しているのじゃない。もう、急に言い出すんだもの、やってもやっても準備が終わらないわ。あっ、あれも要るわよね」
こっそりと溜め息を零す。こんなことになるなら、意地でも言わなきゃ良かったな。まったく、どこの世界に、護衛の雑用にくっ付いて旅行に行くお姫様が居るんだよ。
この人の常識はどこまで出張してるんだ? 生まれた時に持ってくるのを忘れてきたとか?
「旅行の予定を詰めたかったのよ。さ、座って座って。シン、お茶の準備をよろしくね」
命じられたシンは一瞬だけ言葉に詰まり、薄い笑顔で「畏まりました」と告げた。原因を作ってしまったこちらは心の中で平謝りするしかない。
こりゃあ、マジで馬車ごと転移する方法を師匠に相談しなきゃならないみたいだ。……水晶が何本くらいあれば足りるだろうな?
そんな毎日をこなしている間に、正式な騎士になるための試験の日はあっという間に目前へと迫っていた。
「うーん」
出来ることと言えば自室で騎士の心得をおさらいしたり、本を借りてきて法律をかじってみたり、魔導書を捲りつつ魔術の復習をすることくらいだ。
なにせ、筆記と実技があるということ以外、レストルからは何も教えて貰えなかった。対策のしようがない。
「なんだかんだ言って、3人の中で一番合格が怪しいのは俺なんだよな……」
ぽつりと呟く。キーマはぼやっとした性格とは裏腹に何でもそつなくこなす奴だし、努力家のココが落ちるような試験なら、誰も受からないだろう。
対する自分はといえば、実技には自信があっても筆記が微妙だ。フタを開けてみたら1人だけ不合格でした、なんて恐ろしい現実には絶対に直面したくない。
万が一そんなことになったら、ショックで寝込むどころか感情が抑えきれなくて魔力を暴発させてしまうかもな……?
「いやいや、落ち着けよ。んなこと、あり得ねぇだろ? 今は合格することだけ考えるんだっての!」
机にかじり付きながら、今日も暗示歌を口ずさむ夜がやってくる予感がするのだった。もちろん、念じる内容は決まっている。
「俺は受かる。俺は受かる……っ!!」
《終》
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