第12話 井坂に大麻の密売をさせていたのは、陣内?

 真里菜の転落死事件の約半年前、坂上が陣内に持ちかけた大麻密売計画は、怖いほどうまくいった。

 発芽から収穫まで約10週間かかるが、刈りとった大麻草を2週間そのままにほうっておくだけで乾燥し、3ヵ月もあれば、製品として売りさばくことができた。収穫後は、残った茎から自然に発芽する場合が多く、発芽しないときは、し木をすれば、再び葉が生えてくる。


 坂上の売りさばきの方も順調だった。大学キャンパスに目をつけたのはさすがで、試供品だといって僅かな大麻を与えると、それが餌のように喰いつき、すぐに買い求めてきた。それも最初は1グラム程度の注文が、次は3グラム、5グラムと増えていき、1回で10グラムも買う学生も出てきた。

 値段を相場よりも安く、大学生には手頃なグラム3000円に設定したのも功を奏した。こんなに簡単に大学生が節操なく大麻に手を出すとは、陣内も坂上も予想していなかった。


 順調に売上を伸ばすに伴い、坂上から陣内に振りこまれる金額も増えていった。

 しかし、ひと月も経つと、陣内から送る乾燥大麻の量が増えたにもかかわらず、坂上から振りこまれる金額は横ばいのまま。おかしいと思った陣内は、坂上に問いただしたが、坂上からは、常連を増やすため試供品を多く配っているのだという返事だった。

 これには、陣内も反論できなかった。おそらく坂上は、折半が惜しくなり、売上の一部を懐に入れているのではないかという疑惑が、すぐに浮かんだ。

 このままでは、信頼関係が崩れる。坂上に直接会って確かめようとも思ったが、大麻の密売計画が順調に進み始めた矢先、坂上といさかいを起こすのは、得策ではない。万一密売が発覚したときに備え、陣内は、坂上との接触をできる限り避けたかった。



 真里菜の転落死事件の2ヵ月前。

 陣内は、坂上のネコババに対抗するには、独自に売人を雇うほかはないと考えた。坂上がさばいている大学は、おおよそ見当がついていたので、それを荒らさず、別の大学で大麻を売りさばけば、坂上にもわからないだろうと……。

 問題は、誰を売人に雇うかである。モノがモノだけに生半可な人間では、返って自分の身を破滅させるだけだ。

 悩んだ末陣内は、大学生に売るのだから、同じ大学生を使うことにした。買う方の警戒心が薄れるからだ。金に困っていて、口が固く、決して裏ぎらず、信頼できる大学生。陣内には、ひとりだけ心あたりがあった。それが井坂宏治。


 昨年陣内は、1年生のFA(ファカルティ・アドバイザー)を受けもっていた。城北大学では、高校までのクラス担任制度と同様、15人程度を1グループとして、専任教員をFAに指名し、学生の面倒を看させるFA制度を導入している。

 法学部では、1年次のプレゼミナールが、必修科目として全学生に課せられているので、プレゼミナール担当教員がFAに指名され、学生は、勉学から生活上の悩みまで、なんでも相談できるようにしている。かつての大学では、考えられないことであるが、最近の学生は、手とり足とり指導しないと、自立できない者が少なくない。

 学生は、いつでもFAの研究室を訪ね、相談できるのが原則だが、大学教員は、講義や出張などで研究室にいないことが多いので、特定の曜日・時間帯に『オフィスアワー』が設定されている。この時間帯は、FA教員は研究室で待機しなければならないルールが、城北大学では設けられていた。


 昨年受けもった学生の中で、井坂宏治の家庭が、もっとも経済的に困窮していた。高校のときに父親が自殺し、家業の鉄工所が倒産。保険金と家屋敷の売却で借金を清算し、今は、借家で母親とふたりで生活している。

 このような事情で、一時は大学進学を諦めたが、周囲から説得され、翻意した井坂は、自力で大学を卒業しようと考えた。奨学金とバイトで、学費と生活費をまかう計画を立て、陣内にもたびたび相談に訪れていた。

 事情を察した陣内は、日本学生支援機構の貸与奨学金を申請する際、推薦文を書いたり、返還する必要のない給付奨学金の申請手続きを教えてやったりしていた。


 陣内は、この井坂宏治を利用しようとした。

 真面目で誠実な井坂は、陣内に恩義を感じているだろうし、決して裏ぎることはないだろうと確信していた。しかし、大麻の密売という犯罪行為の片棒かたぼうを担がせるのは簡単なことではない。しかも売人をさせるのである。客と接触する以上、面が割れ、万一客の方から密売が発覚すれば、もっとも捕まりやすい役割だ。

 井坂には可哀想であったが、抜け出せないように井坂を縛りつけなければならない。そうするにはどうすればいいのか、陣内は思考を巡らせた。


 ある日の午後、陣内は、井坂宏治を研究室に呼びつけた。

 ノックの音とともに井坂が入ってきた。机のパソコンに向かっていた陣内は、机の前の小さな会議用のテーブルを指さした。

「そこに座って、少し待っててくれないか」といって、陣内は、作成中の文書をきりのいいところまで打ちこみ、上書きの保存ボタンをクリックした。

 陣内は立ちあがり、井坂の向かいの椅子に腰をかけ、おもむろに尋ねた。


「最近、顔を見せないが、どうしてる?」

「特に変わりはありません。バイトで忙しく、ご無沙汰して申しわけありません」恐縮した顔つきで、井坂が答えた。

「相変わらずバイトをやってるんだね」

「はい。月曜から金曜までは、家の近くのコンビニで、夕方5時から11時まで。土日はスタンドで、朝8時から夜5時までバイトしてます」

「そんなにバイトをしてたら、身体からだを壊してしまうだろう。勉強だって、やる時間はないんじゃないか?」

「ええ、毎日、家には寝に帰るだけです」


「単位は、ちゃんととれてるの?」

「春学期は、8単位落としてしまいました。でも、授業だけは、休まずに出てます。秋学期の試験のときは、少しバイトを控えて、試験勉強をしようと思ってますから……」といいながら、井坂は、目をらしてうつむいた。

 陣内は、授業だけは休まずに出ているというのは嘘で、本当は、授業もサボりがちになっているのを見抜いていた。

「それにしても、休みなくバイトをしてたら、いつか身体を壊してしまうよ。少しバイトを控えたらどうだ?」

「ええ、でも、これぐらいやらないと、学費を払うことができませんから……」井坂は、再び目線をあげていった。

(こいつは、本当に正直なヤツだ)陣内は思った。


 城北大学の文科系学部の1年間の学費は、約100万円。2回に分割して払うことも可能だが、それでも1回につき50万円の金が必要になる。

 井坂の場合、日本学生支援機構から月額5万4000円の貸与奨学金を受けていたが、病弱な母親のパート収入だけでは、多くを期待できないため、貸与奨学金の大半を生活費にまわしていた。

「実は、今日きてもらったのは、君に、割のいいバイトを紹介しようと思ってさ」

「割のいいバイト、ですか?」

「そう。今のままでは、卒業するのもあやういし、いつか身体を壊してしまうだろう」

「それはそうですが……」


「ある人から頼まれて、ある物を売ってほしいという依頼があったんだ。キャッチセールスのようなものだ。君の空いた時間を利用して売ればいいので、時間に余裕がもてるだろう。

 そうだなあ、授業が終わったあと、数時間働けば、十分な稼ぎになるはずだ。君のとり分は、売上の20パーセント。必ず売れる物だから、月に50万も売れば、10万にはなる。どうだ、やってみないか?」

「いったい、なにを売るんですか?」あまりにできすぎた話をいぶかしく思った井坂が尋ねた。

「それは、まだいえない。君がやってくれるといったら、教えるよ」陣内は、憮然ぶぜんとした表情で答えた。


 井坂は、陣内の表情が変わったのを見て慌てた。

「そんなに割のいいバイトであれば、やってみたい気がしますが……」

「そうか、やってくれるか?」

「はい、先生が勧めてくれるのであれば、是非、やってみたいと思います」井坂が笑顔で承諾した。


 陣内は、勿体もったいつけるようにしばらく黙っていたが、真剣な眼差しを井坂に向け、厳しい表情で話を続けた。

「これから僕がいうことを、誰にも話してはいけない。いいね!

 もしほかの誰かに喋ると、僕だけでなく、君にも迷惑がかかる。ふたりの秘密だ。約束してくれるね」

「はっ、はい、わかりました」陣内に気圧けおされた井坂が、躊躇ためらいながらも返事をすると、陣内は意を決してきり出した。


「実は、君に売りさばいてほしいのは、大麻なんだ」

「……、タイマ……」

 陣内の口から出た『タイマ』の意味をつかめなかった井坂の顔が、一瞬氷結したように固まったが、ようやくそれが、『大麻』であることを理解すると、驚きを隠せない表情でもう一度繰り返した。

「大麻ですか……?」

「そう大麻。マリファナともいう」真剣な表情を変えず、陣内も繰り返した。

「大麻は、禁制品じゃないですか! そんなのを売ったりしたら、警察に捕まってしまうじゃないですか!」井坂が強い口調で訴えた。


 間をとるようにゆっくりと居住まいをただした陣内は、表情を一変させ、笑みを浮かべた。

「そうだよ。君がいうように今の日本では、大麻の栽培や売買は、大麻取締法によって規制されてる。

 しかし、大麻は、アヘンや覚醒剤といった本来の麻薬と異なり、依存性が低い。例えば、覚醒剤の場合、その吸引をやめたりすると、身体に禁断症状が起こり、その禁断症状が、さらに覚醒剤を求めてほかの犯罪を誘発するケースが多いが、大麻には、その心配がまったくないのだ。

 依存性についていえば、公然と売られている煙草よりも低い。健康面でも、煙草よりも被害が少ないといわれてるんだ。

 煙草が許されて、大麻がダメだというのは、おかしいと思わないか?

 現に外国では、大麻を合法なものとして規制してない国もあるんだから……。

 僕は、大麻を規制するのは、基本的人権を保障する憲法の趣旨からも、合理的な理由がないと思ってる。大麻取締法は、憲法違反なんだ!」


 教室で聴く講義と同じような陣内の論調に圧倒されながらも、井坂は、思いきって疑問をぶつけた。

「でも、現実に大麻が規制されてるから、警察に見つかったりすると、逮捕されたりしますよね」

「もちろん、そうなるが、うまく売りさばく方法があるから、心配いらない。万一捕まったとしても、覚醒剤などと比べて、違法性が低いから、たいした罪にはならないはずだ」

「そうですが……」どう答えてよいのか、頭に浮かばない井坂が呟いた。

「大麻と聞いて、怖気おじけついたか?

 それなら、この話は、なかったことにしよう。さっき約束したはずだが、決して他言しないように!」というと、すぐに陣内は立ちあがった。


「先生! 待ってください。少し時間を、くれませんか?」井坂は、咄嗟とっさ猶予ゆうよを申し出た。

(断れば、陣内先生に見放されてしまう。奨学金もダメになるかもしれない……。でも、警察に捕まることはしたくない。いったいどうすればいいんだ……)井坂は即断できなかった、

「いつまで待てばいいんだ?」脅すように強い口調で陣内がいった。

「2、3日。いえ、明日、明日また、ここにきます。そのときまで返事を待ってくれませんか?」

「わかった。明日は、午後から講義があるから、お昼にきてくれないか?」

「わかりました。お伺いします」井坂は立ちあがり、一礼して部屋を出ていった。



 翌日の正午、井坂は、陣内の研究室を再び訪れた。

 ひと言「やります!」といった瞬間、陣内は相好そうこうを崩した。

「そうか、やってくれるか! 決心してくれてありがとう。早速、バイトの手順を説明しよう。まあ、かけたまえ」陣内は、昨日と同じ椅子に座るように促した。

「これは、これから君が使うスマホだ」陣内は、微笑みながらスマートフォンをさし出した。

「スマホなら、持ってますが……」に落ちない井坂が異を挟んだ。

「僕からの連絡と、注文を受けつける専用のものだ。それ以外には、絶対に使わないように。わかったね!」

 念を押した陣内は、大麻を売却する手順の説明を始めた。


「当面の仕事場は、朝日体育大だ。夕方、キャンパスを歩きまわって、素行が悪く、好奇心の旺盛な男に狙いを定めて声をかける。服装は、今のその服装でもいいが、帽子をかぶり、サングラスをした方がいいなぁ」井坂がジーンズにポロシャツ姿であることを確認しながらいった。

「声のかけ方は……、そうだな、『面白いものがあるから、試してみないか?』とでもいうといい。それに反応しない男は諦める。興味を示した男にこれを渡す」

 陣内は、ポケットから小さなビニール袋をとり出した。


「これはいわば試供品だ。乾燥大麻が0.5グラム入ってる。

 このままでもいいが、客が吸いやすいように、市販の煙草を買って、葉を抜いてこれに詰め替えておくと、客は喰いつきやすい。面倒だが、けっこう効果があるよ。

 そして、『またほしくなったら、ここに電話をくれ!』とつけ加えるのを忘れないように。袋に電話番号が書いてある。今、君に渡したスマホの番号だ。

 これで、えさきは終わり。あとは、電話がかかってくるのを待つだけだ。客は、必ず値段を聞いてくる。その場合、グラム3000円だと答える。大量に買う者には、割り引いてもいい。そうだな、3グラムで8000、5グラムで1万3000、10グラムで2万5000ぐらいであれば構わない。どうだ、簡単な仕事だろう。なにか、わからないところがあるかね?」


「いえ。とり敢えず、やってみます」腹をくくった井坂が答えた。

「そんなに難しいことではないよ。これは、当面の品物だ」といって、机の引き出しから小さな紙袋をとり出し、井坂に渡した。

「そうだな、1週間に一度は、この研究室にくるようにしてくれ。売りあげた金をもってな。そのとき、品物の補充もするよ」陣内はつけ加えた。


 大麻を売りさばくことに罪悪感を抱きながら、果たして大麻など売れるのだろうか、半信半疑の井坂であったが、思いのほかバイトはうまくいった。

 陣内の指示どおり試供品をばら撒けば、半数の客から注文が入ってくる。面白いほどよく売れる。大学生が簡単に大麻など吸って大丈夫なのかと、いらぬ心配までするようになったほどだ。


 陣内の指示で、仕事場を朝日体育大学のほか、江古田えごた芸術大学と茗溪めいけい大学に拡大。体育大よりも、芸術大の方が需要は高かった。ひと月の売上は、優に50万円を超え、井坂には、10万円以上のバイト代が入ってきた。

 夕方、大学のキャンパスで、大麻を売りさばかなければならなくなった井坂は、コンビニのバイトをやめた。ガソリンスタンドのバイトは続けていたが、土日にも注文が入るようになり、バイト中に携帯電話に出ることを禁じられていたので、スタンドの方も、やめることにした。



 井坂宏冶の様子が変わったことに、岡本真里菜はすぐ気がついた。

 普段は、井坂がバイトで忙しいのと、真里菜も自宅のクリーニング店を手伝っているため、デートは週に1回、日曜日の夜と決まっていた。日曜日は、クリーニング店も定休日で、井坂のスタンドのバイトも5時に終わる。

 真里菜の実家近くの居酒屋で会って、一緒に食事をしながら酒を飲み、真里菜を家まで送っていくという、至ってシンプルなデートだったが、真里菜は、幸せを感じていた。バイト代が入り、少し贅沢をするときは、居酒屋がイタリアンレストランか、中華料理店に替わった。


 真里菜が最初におかしいと思ったのは、井坂が大麻密売のバイトを始めて3週間が経過した日の夕方、普段であれば、コンビニのバイトにいっているはずの井坂を、大学のキャンパスで見かけたときだった。

「どうしたの?」と、井坂に声をかけたが、井坂は、「どうしてもはずせない用があって、バイトを休んだ」といいわけしていた。

 その1週間後、またも5時すぎに大学で見かけたので、今度こそ、絶対におかしいと思った真里菜は、「どうしてバイトに行かないの?」とただしたが、井坂は、「割のいいバイトが見つかったので、コンビニをやめた」といって、逃げるように立ち去った。

 数日後の土曜日、真里菜は、井坂がバイトしているはずのガソリンスタンドにいってみたが、やはりここもやめていた。そういえば、このところ井坂は、バイトが忙しいといって、日曜日のデートをすっぽかしていたのだった。


 真里菜は、胸騒ぎを覚えた。きっとなにか、あったのだ。真里菜は、井坂のスマートフォンに何度も電話を入れたが、通じなかった。その日の夜になって、やっと井坂から連絡が入り、ふたりは、翌日の日曜日の午後、会うことにした。

 真里菜が指定した場所は、錦糸町のマクドナルド。アパートが小岩にある井坂には、総武線沿線の方が便利だからだ。真里菜は、自宅から自転車できていた。

 約束した時刻の15分前につき、1階のカウンターでコーヒーを買い、2階のテーブル席に座って、井坂を待っていた。


 井坂は、数分遅れて姿を現した。いつものブルゾンにジーンズ姿だった。

「やあ、待たせたね」真里菜の心配を余所よそに、明るく井坂が声をかけてきた。

こうちゃん、どうしたのよ? なんで、スタンドのバイトまで、やめてしまったの?」

 真里菜がにらむようにして問いただしたが、それをはぐらかすように井坂がいった。

「僕もコーヒー、買ってこようかなぁ。真里菜も、もう1杯飲む?」

「もうぉ、宏ちゃんたら……。どうしてバイトをやめたのよぉ?」

「まあ、落ちつけよ。僕もコーヒー、飲みたいから買ってくるよ。もう1杯、飲むだろう?」といって、井坂は1階に降りていった。


 数分後、コーヒーが入った紙コップをふたつトレイに載せて戻ってきた井坂は、席につくなり、「ごめんなぁ。連絡しなくって……」と先に謝り、真里菜を落ちつかせようとした。

「そんなことは、どうでもいいの。なぜバイトやめてしまったのか、教えてよ!」

「前にもいっただろう。割のいいバイトが見つかったんだ。それがけっこう忙しいんで、コンビニもスタンドも、やめちゃった」

「割のいいバイトって、どんなバイトなの?」

「キャッチセールスさ。大学生を相手に品物を販売する仕事だよ。売上の20パーセントが、こっちのとり分」

「なに、売ってるのよ?」

「それは、いえない。雇い主から、誰にもいっちゃいけないと、釘を刺されてるんだ」

「なによ、それ! あたしにもいえないことなの?」

「いえないさ。いうと、クビになっちゃうからなぁ」


「危ないことしてるんじゃ、ないでしょうね?」心配そうに真里菜が確認した。

「大丈夫だよ。心配することないよ。簡単に売れるものだから、前よりも収入はよくなったんだ!」

「ほんとに大丈夫なの?」

「心配しなくていいよ。それより、これからディズニーランドにいかない?」

「ディズニーランド?」

「そう、ディズニーランド。幼い頃いったきりで、最近いってないって、いってたじゃないか?」

「そうだけど……」

「じゃあ、いこうよ。ちょうどバイト代入ったばかりだから」

 突然の井坂の誘いに、不安を払拭ふっしょくできずにいた真里菜は、戸惑いながらも嬉しく思い、井坂に従うことにした。



 それから1週間後、井坂のバイトに思わぬアクシデントが起きた。

 朝日体育大学のキャンパスで、カモを物色していた井坂が、突然背後から声をかけられた。

「君は、ここでなにをしているのかね?」井坂が振り返ると、40代のスーツ姿の男が、訝しそうに井坂を睨んでいた。

「いえ、なにも。友達を捜してるんです」無表情で答えたが、男は井坂に近づき、腕をとった。

「君は、ここの学生じゃないだろう。ちょっと話を聞かせてくれないか?」

 驚いた井坂が腕を振り払った拍子に、男は後ろに倒れ、尻餅をついた。怖くなった井坂は、一目散いちもくさんに逃げ出した。


「待てー!」と叫びながら男は、追いかけてきたが、井坂の脚が優り、簡単に振りきることができた。

 正門を駆け抜け、男が追ってこないのを確認した井坂は、顔面から血の気が抜け、心臓が飛び出しそうなぐらい鼓動が激しくなっていた。

(まずい。もう、バレてしまったのか……。どうしよう。どうしたらいいんだ)頭の中が真っ白になってしまった井坂は、息が整うと、再び駅に向かって走り出していた。


 実は、最近朝日体育大学では、盗難事件が頻発していた。

 手口は簡単で、鍵のかけ忘れたロッカーや食堂の場所とりで置いてある鞄から、財布を抜きとるもの。不注意な学生が被害にっていた。大学当局は、掲示や放送で注意喚起を促したが、依然として事件が発生するため、職員が学内を定期的に巡回していた。

 そこに、帽子にサングラスといういかにも怪しそうな井坂が現れたので、参考までに話を聴こうとしたまでで、大麻の密売が発覚したわけではなかった。しかし、この事件が、井坂を怖気づかせた。


 刑事に職務質問をされたと思いこんだ井坂は、すっかりおびえてしまい、真里菜を呼び出して相談するほかは、思い浮かばなかった。

 その夜、真里菜の実家の近くまでいき、スマートフォンで真里菜を呼び出し、近くのファミレスで会うことにした。そして、真里菜にこれまでの経緯いきさつの一部始終を話した。

「宏ちゃん! 大麻は、違法だよ。宏ちゃんが警察に捕まったら、どうするのよぉ」真里菜は泣きながら訴えた。

「わかってるよ、そんなこと。でも、陣内先生の頼みじゃ、断れなかったんだ」井坂も目に涙を浮かべて答えた。

「あたしが頼んでみるよ。陣内先生に」

「ダメ、ダメだよ。この話は、絶対に漏らしちゃいけないことになってるんだ。真里菜が陣内先生に会ったりしたら、バレちゃうよ」


「じゃあ、どうすんのよ!」なにも解決策が思い浮かばない真里菜が声を荒げた。

「しばらくは、なにもせず、大人しくしているよ」

「それで、陣内先生がいいっていうの?」

「わからないよ。わからないけど、今は、大人しくしているほかないよ。警察が動いてるかもしれないんだから……」

「そうよね、そうするしかないね。宏ちゃんはじっとしてて。あとは、あたしに任せてよ!」

「任せるって、どうするつもり?」

「今はまだなにも、考えが浮かばないけど、なんとかやってみるよ。陣内先生のことは任せてよ!」


 正義感の強い真里菜は、これ以上井坂が犯罪を続けることに我慢がならなかった。そして、大切な井坂を悪の道に引き擦りこんだ陣内を、絶対に許せないと思った。もし陣内が承知しなければ、大学や警察に訴えてやると、脅迫することも辞さない決意を固めていた。

 その真里菜が、2週間後に何者かに殺された。そして、その3日後には、井坂までが殺害されてしまった。

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