五.病院食はふわふわのオムレツと白パン

 診療所の食堂は広く、厨房で待機していたスタッフは笑顔で配膳ワゴンに食事を乗せてくれた。

 盆の上に食器が四つ。パンにオムレツ、深皿には湯気の立つスープ、一番小ぶりな皿には林檎まで。

 うわ、林檎はめちゃくちゃ嬉しい。俺の故郷は寒い山岳地方だったから、林檎美味かったんだよな。


 子どもたちが張り切っているので、配膳ワゴンをまかせることにした。

 アサギとスイを見守りつつ病室に戻ると、イーリィは言葉通りにやるべきことは終わらせていたらしい。


 ベッドの上には、一日ぶりに見る人の姿に戻ったギルがいた。


「うわあっ! 王さま、人に戻ってるー!」


 歓声をあげたのはスイだった。同じグリフォンだから、ギルへの期待値が高いらしい。なんたって王様だもんな。


 入院着姿なのを見ると、イーリィが事前に用意していたんだろう。

 翼族みたいに金の両翼は背から出ていて、もう天井から固定されていなかった。折れてる翼の根本に近い部分はきっちり器具で固定されているものの、身動き一つ取れないっていう体じゃなさそうだ。歩くことは難しくても、横になったり起き上がったりはできるんじゃねえかな。

 まっすぐな金髪は髪紐できっちり一つに縛っていた。病院のベッドの上だろうと、身だしなみに気を配っているのは、国王だという自覚があるからだろうか。袖を通している入院着も乱れの一つもない。

 最後にギルの顔を見たのは苦痛に苦しんでいる時だった。

 予想していたより顔色は悪くない。イーリィが適切な処置や投薬を施してくれたからだろうか。とにかく、元気そうでよかった。


「大げさだな。そもそも俺はおまえと同じ人族だ」

「ううん、そんなことないよ! 王さますっごくカッコいいもん。キラキラしてるし!」

「キラキラって……。それは金色だからじゃないのか」


 ひと息に距離を詰めてくるスイに、ギルはもう動揺はしていなかった。だいぶ慣れてきたらしい。

 後から入ってきたアティスもにこにこ笑ってすっかり見守りモードだ。

 けど、俺は見た。ギルが人型に戻っているのを見た途端、アティスがひそかに胸をなで下ろしているのを。

 グリフォンが心底苦手なのは本当らしい。


 アティスはこの無法地帯とも言える国で首領となり、権力や富を手に入れた。俺にとっては縁のない雲のような人物だと思っていた。

 なのに、彼にも苦手なものや怖いものがある。俺と同じ……、なんて言ったら失礼すぎるというか烏滸がましいかもしれねえけど、アティスも普通のひとなんだな。


「スイ、そろそろ陛下を解放してあげな。陛下とヒムロには朝食を摂ってもらってから、大事な話があるからさ」

「はーい」


 イーリィとスイのそんなやり取りをきっかけに、アサギが朝食の準備を始めた。

 どうやら俺も一時的に入院患者の扱いになるらしく、ベッドに簡易テーブルを設置していそいそとワゴンに乗せていた食器が並べられていく。


「え? 話って俺も?」

「そう。君は彼の臣下で伴侶パートナーなんだろう? これからの治療方針について話を詰めておかないとね」


 当然のごとくそうイーリィに言われ、俺は石になったみたいに固まった。

 すっかり忘れてた。初対面でアティスが俺を口説いたのをきっかけに、俺はギルのパートナーということになってんだっけ。

 俺の中でギルに対する気持ちは固まりつつある。けど、まだ二人だけでそういう大事な話をする機会さえなくて、ずっとギルの告白には返事を返せないままだ。


 イーリィの言葉になそうだとも言えねえし、違うとも否定できない。

 結局俺は無言を貫くことでその場をやり過ごしてしまった。




 ◇ ◆ ◇




 アサギが推すだけあって、白パンは簡単に手で割けるくらいにやわらかかったし、口の中で噛むとふんわりとしていた。パンに塗ったバターの香りと一緒に解けていく。すげえ美味い。

 オムレツにスプーンを入れると解けたチーズがとろりと流れてくる。

 スープの中にはよく煮た根菜や葉物野菜が具沢山に入っていて、やさしい味がした。思っていた以上に身体が冷えていたらしく、ぜんぶ飲み干した途端じんわりと腹のあたりがあたたかくなってくる。


 すごく美味いし、豪勢なメニューだ。ガキの頃にも入院しているはずなのに、久しぶりの病院食が新鮮に感じられるのはどうしてだろうか。

 いや、これは病院食っつーよりも。


「まるで宿泊宿の朝食メニューだな」


 隣のベッドで、ギルがぽつりと言った。


 そう、それだ! やたら美味そうで食欲をかき立てられるよな。いや、実際食ったら美味いんだけど。

 というか、どうして一国の王が宿屋の朝食メニューなんて知っているんだ。


「ふふ、美味しいでしょう? 父さんも僕も体質的にあまり量を食べられなくって。スタッフのみんなが栄養バランスを考えて考案したメニューなんだ」


 白い陶器のコップに茶を淹れながら、アサギがそう教えてくれた。ツンとする匂いが漂ってくる。薬草茶だろうか。


「妖精族って痩せ型が多い種族なのか?」

「まあ、そうだね。だから剣士になる子は少ないかな」

「ふーん」


 イーリィは間違いなく医者なんだろうけど、アサギも白衣姿だし将来医者になるんだろうか。


「デザートの林檎はね、寒い地方で採れたおいしいやつだから気に入ってもらえると思うんだ。グラスリード産には負けちゃうかもだけど」


 アサギはコップを俺の前に置いてくれた。まだ子どもで遊びたい年頃だろうに、よく手伝う子だ。


「そっか。ならきっと、この林檎は美味いだろうな」

「うん、おいしいと思う! ヒムロさんは林檎好き?」

「おう! 好きだぜ」

「僕も好き! 林檎ってね、身体にとってもいい果物なんだよ」


 皮がきれいに剥かれた林檎にフォークを突き刺し、口を運ぶ。

 やわらかく甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がっていく。思っていたよりさっぱりした味なのは、色止めのためにレモン果汁でも使ってんのかな。

 やわらかくて懐かしさを覚える味だった。


「妖狐の子って、ほんと林檎が好きだよね」


 ぽつんとイーリィにそう言われた。

 やべ、また尻尾が勝手に揺れてる。


「シーセスにも妖狐の魔族はいるのか?」

「こっちの界隈は多いよ。ヒムロもそうだと思うけど、妖狐の子って大抵は海賊に拉致されて大陸に連れて来られるからね。そういう子たちは邪魔さえ入らなければシーセスのような国に流れるか、裏組織に売られるんだ。人狼ほど体格には恵まれないものの、妖狐は機動力が高いし諜報員向けなんだよ」

「なるほどな」


 ため息混じりにギルが頷く。たぶん、妖狐を見たのは初めてじゃないと聞いて興味を持って聞いたんだろうけど、返ってきた答えにげんなりしたって顔だ。


「ジェパーグでは妖狐ってそんな珍しくともなんともねえしな。一番多い部族っつーか」

「そうなのか?」


 なぜかギルに顔をまともに見られた。そりゃ、大陸こっちではキツネってあんま見ねえし、珍しいのかも。


「ああ。まあ、海賊が狐狩りを今も続けてんのなら、数は減ってるのかもしれねえけど……」


 しんと病室内が静まり返る。その時、思ったままを口にしたことを俺は後悔した。

 子どもがそばにいるのに、俺はなんつーデリケートな話題を出してんだ。穴があったら隠れたい。


 ふいに緊張の糸をほぐしてくれたのは、くすりと笑ったアティスだった。


「今は大丈夫さ。海賊討伐に力を入れている国が出てきているから、妖狐が大陸に流れてくることも難しくなったしね。特に、人間族の帝国ライヴァンの港街では徹底して海賊を排除しているらしい。討伐ついでに捕まった子どもたちを保護しているとも聞くし、以前ほどひどいことにはなっていないんじゃないかな」

「そっか」

「ずっと昔、千年以上前は戦乱の時代だったと言われているし、俺たち魔族は歴史の中では悪者だった。けどね、今は平和な時代に入っている。《闇の竜》のような闇組織は弱体化し、悲しい思いや辛い思いをする子どもたちはずいぶん減った。だからきっと、君の故郷も大丈夫じゃないかな」

「……そう、だな」


 そうだよな。闇組織を顧客にしてた俺が食いっぱぐれるような時代だもんな。

 収入源を失った時はあまりのショックと怒りで契約書を破いちまった俺だけど、結果的には良かったんだよな。

 冷静にそう思えるのは、きっと、今の俺にはちゃんとした居場所があるからだ。


「さて、食事も終わったことだし、イリの大事な話を聞くとしようか」

「はーい! じゃあ、食器を片付けちゃうね」


 両手を合わせてアティスがそう言ったのを合図のように、アサギとスイは手際よく空になった器を食膳ワゴンに乗せて運んで行ってしまった。

 すげえ、手慣れてる。


「話とは、治療の話か?」


 ギルがそう尋ねると、イーリィは頷いた。


「そうだよ。入院期間は最低でも三ヶ月。なにしろ骨折だからね。費用はあとでアティスと話をつけるとして、僕は医者としてこれからの治療方針の話をしたい」

「まずはどういう治療を進めていくんだ? 折れてるのは翼、だよな」


 思わず口を挟んでしまった。


 イーリィは医学界でも名医として有名だ。当然、翼族の治療だって経験あるだろうし、翼の治療なんてお手のものだろう。

 けど、「三ヶ月」と聞いてギルはぴくりと眉を動かしたのだ。国王である以上、長く城を空けておくことはできない。ギルはたぶん、国のことを心配しているんだ。

 となれば、ちゃんと治療の詳細を聞いて、期間が短くできるような要素がないか探ってやらねえと。


 同席を許可してくれていたからか、それともギルのパートナーとして見ているからか、イーリィは嫌な顔をしなかった。

 淡々と俺とギルの顔を見ながら説明してくれた。


「翼の根元に近い部分だね。足ならギプスでも嵌めれば完全に固定できるけど、翼となるとそうもいかない。だからね、まずは——」


 言葉を切ったイーリィの銀の瞳を楽しげに揺れ、形のいい唇が弧を描く。

 ずっと前、泣きじゃくる子どもだった俺に向けたのと同じく、心底嬉しそうな顔で、妖精族の闇医者はこう告げた。


「手術しようか」

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