六.手術するよ

「手術!?」


 俺とギルはほぼ同時オウム返しに叫んだ。

 淡々と沈着冷静だった医者は、無機質のようだった瞳を生き生きと輝かせながら頷いた。


「そ。手術するよ」

「なんで!?」


 俺は思わずそう叫んでいた。

 やっぱり夜鳶よとびは夜鳶だった。どれだけ時間が経過しようと本質的なところはなにも変わらない。


 俺が知るイーリィ=ライローズという名の医者は、診療所がお化けであふれていた時から手術となるとテンションを上げてくる人物だった。

 二言目には「切るよ」と楽しそうに言ってくるので、めちゃくちゃ怖くて、泣きじゃくるはめになったんだ。

 当時は手術の日まで診療所のスタッフや看護師になだめられたんだっけ。


 とにかく、イーリィが手術と言い出すと警戒しなくちゃならない。いや、実際イーリィは手術が得意なんだけどさ。

 でも笑顔でメスを掲げる医者とか、怖いだろ!?


「なに警戒してるの。そりゃ手術しなきゃ、翼が動かせなくなるからに決まっているだろう」


 予想外にも、イーリィの反応は淡白だった。いや、いつも通りか。

 楽しそうだった表情は形をひそめ、首を傾げている。


「いいかい? 陛下の骨がきれいに折れていたならよかったんだけどね、どこかの馬鹿狼が牙で力任せにへし折ったんだ。当然折れた骨はバラバラになっている。手術をして、骨を元の位置に戻してやらないと変な形に繋がってしまうだろう?」

「……あっ、そういうことか」

「ちょっとした傷口やメスを入れた切り傷くらいなら治癒魔法で塞ぐことはできても、骨折の治療は骨が繋がるまで絶対安静が必要だ。それこそ無属魔法でもない限り、身体の一部分を再生させるなんてことは不可能だからね」


 イーリィの言う無属魔法とは無属性——つまり火、水、土、風、光、闇の六属性に属さない魔法のことだ。

 無属は銀河の属性とも呼ばれていて、無属の魔法には空間や時間に干渉するものが多い。その中でも難易度が高い魔法に失った身体の一部を再生させる魔法があるんだよな。


「だから最低でも三ヶ月の入院が必要、か……。さすがに長期にわたると政務が滞るな」


 ぽつりとギルがそう言った。眉を寄せて難しい顔をしている。

 すると、イーリィがカルテを開きながらある事実を教えてくれたのだ。


「仕事のことなら、後で君の部下と話したらいいんじゃないかな。ケイだっけ? 彼に手術が必要なことを伝えたら、彼、ひと足先早くルーンダリアに戻ったみたいだから」

「ケイが?」

「陛下をよろしくお願いしますって言ってたね。あと、国のことは自分がカバーするから心配しないでくださいと伝えてくれって」


 昨夜から姿が見えないと思ったら、ケイのやつ、先にルーンダリアに帰ってたのか!


「まったく、あいつは……。俺に何の相談もなく」


 ため息混じりにギルが頭を抱えた。でも口もとは緩んでいるし嬉しそうだ。

 そうか。ケイはギルが時間をかけて傷を治せるように城に戻ったんだな。


「主君思いのいい子じゃないか。まあ、彼も陛下が一人だけだったなら自分だけ城に帰ろうとはしなかったんだろうけど、陛下のそばにはヒムロがいるからね。だから安心して戻ったんじゃないかな」

「え? なんで俺?」


 突然、安心材料として話題に出されたのが意外だった。

 だって俺なんて、ギルに守られてばかりだ。最初は指名手配してきたゼルス王国から、昨日は牙炎から。

 なのに、俺はまだギルに何もしてあげられていない。


「ヒムロ、君は相変わらず自分に自信がない子だな」

「……う。悪い」


 くそう。自信を持てるかもって思った矢先にこのザマだ。

 あれ。「相変わらず」ってどういう意味だろう。もしかして、イーリィは俺が患者としてこの診療所にかかったことを覚えてんだろうか。


「別に謝らなくてもいいけど。陛下がこうして骨折程度で済んだのは、機転を効かせて行動を起こした君のおかげだろ」

「え?」

「陛下を安心して任せられるとヒムロを認めたからこそ、ケイは国に戻ったんじゃないの?」

「ええっ!?」


 嘘だろ。初対面で俺のことを「こんな弱ったキツネ如き」とか言っていた、あのケイが!?

 いや、ケイは基本俺に対しては親切だったけどさ。


「まあ、しっかり身体は治した方がいいよ。費用のことは元気になってから、改めて話し合おう。それでいいかな、ギルヴェール陛下」


 納得できないままケイの話は流されてしまい、アティスは笑顔でそう話を締めくくった。

 ギルも長期入院や手術については頷くことで同意したのだった。




 ◇ ◆ ◇




 手術は明日に決まった。

 全身麻酔をした上だから起きた時にはぜんぶ終わっているとイーリィは確約してくれて、ギルは安心したらしい。いつもよりにこにこした笑顔だったのが、俺は怖くてたまらなかった。

 傷口を縫い合わせた後で治癒魔法をかけるから、痛みもあまりないらしい。とりあえずは骨がくっつくまで絶対安静なんだとか。


 で、俺はというと、同じ病室のベッドの中にいた。

 火事の煙のせいで体内にめぐる精霊のバランスがかなり崩れていたらしい。それは俺も例外じゃなかったらしく、イーリィには薬を処方された。


「まあ、君のようなタイプの魔術師にはあまり必要なかったのかもしれないけどね。精霊に頼めばいい話なんだし」


 とか言われた。あれはどういう意味だったのか、今でもわからない。


 何度も言うが、ギルの手術は明日だ。

 俺は見守る立場なのだから、早く眠って朝に備えねえといけないのに、どうしてか眠れなかった。

 無理やり目を閉じると、深い深い奈落の底に落ちていくような感覚になる。無意識に身体のどこかが震えて目を覚ます。そんなことを繰り返しているうちに、ふと頭上のあたりを見て、気付いてしまった。


 薄暗がりの中、闇色の羽毛に覆われたからだをまあるくふくらませた固まりが、一つ、二つ。紫水晶のような目をぱちくりと瞬きさせた闇鴉シェードがいた。

 眠れない正体は間違いなくこいつらだ。


「なにやってんだよ、おまえら」


 ギルを起こさないように小声でささやく。

 と言っても、相手は人の言葉を理解できない闇の下位精霊だ。


『ひむろ、ねるな』

『ねろ』

『あそぼ』


 精霊との付き合いは物心がついた頃からと結構長いけど、いつでもどこでも言ってることが要領を得ない。精霊相手にまともな会話を期待するだけ無駄だ。下位精霊の知能はそれほど高くない。


「遊ばねえよ。いいから、あっちいくぞ」


 ベッドサイドに二羽、起き上がると布団の上に三羽いた。いつの間に群がってきたんだこいつら。

 名前をしきりに呼ぶ闇精たちを肩に乗せて、俺は一旦病室を出ることにした。こいつらがいたらギルだって寝るに寝れないかもしれない。


 起こさねえように、そっとベッドから抜け出す。音を立てねえように、そうっと足を運ぶぶ。精霊たちは騒がしいけど、精霊が見えないギルの耳にはたぶん届かないだろう。

 なのに。


「ヒムロ?」


 どうしてなのか。俺はいつもタイミングが悪い。

 起こさないように細心の注意を払ったはずなのに、ギルは起きてしまった。

 闇鴉シェードを抱えたまま振り返る。緊張で尻尾をふくらませ、三角耳をピンと張っていた俺はひどく滑稽に映ったことだろう。


 ギルはいぶかしむような目で俺を見ていた。

 

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