四.診療所の過去と心の傷

 シーセス国内でも数が少ない医療施設は貴重な存在だという。その中でもティーヤ地区内にある夜鳶よとびの診療所は、朝から訪れる患者が途絶えることはない。

 俺が初めてその施設に足を運んだのはガキの頃、たぶんアサギやスイと同じくらいの年頃だったと思う。竜の巣穴で千影ちかげに初めて会い、牙炎がえんの牙から救われた翌日のことだった。


 診療所に連れてきてくれた時、千影は大きな巨竜の姿から人へと姿を変えた。今とは違って角や翼、尻尾がない、本当に普通の人の姿だった。たぶん、人族が多くいる場所でいにしえの竜だと勘付かれないためだったんだろう。


 当時の診療所は待合室も廊下も明かりがついてんのにめちゃくちゃ暗くて、不穏な影がちらつく恐ろしい場所だった。

 ベッドがある病室も例外ではなく、変なカタチの染みとか視線がチクチク刺さりまくって、嫌だった。

 極め付けは耳もと聞こえるすすり泣きやささやく声。一人きりのはずなのに、そういう姿なき声が聞こえた時はめちゃくちゃ怖くて、何度布団に潜って泣いたか分からない。


 そういう経験があったから、俺は診療所に連れて来られた時、多少の覚悟を決めていた。

 なんの覚悟かと言うと、ありもしないものを見ることになる覚悟だ。つまり、お化けな。アンデッドとも言う。

 そう、夜鳶の診療所はとある理由でお化けが出る病院なんだ。


 過去の経験から、また牙炎の館にいた時にクリュウから散々シーセス国内の情勢や歴史を聞かされていた俺は、夜鳶という通り名にまつわる噂を知っていた。

 だからこそ、アティスや二人の子どもたちと食事を取りに廊下を歩いた時、意外に思ったんだ。


「あれ、前より病院内明るくなってねえか?」


 昨日の昼間も、連れて来られた時に歩き回っているはずなのに気が付かなかった。

 清潔な白い壁に絵画がかけられていて、カーテンを開けた窓からは外から光が差している。記憶にあるのと違って、病院内はめちゃくちゃ明るかった。


「おや、君はここに来るのは初めてじゃないんだね」


 素直に感想を口にしたせいだろうな。アティスがくすくすとおかしそうに笑っていた。


「だいぶ前、えっとたぶん百年以上前かな……。ガキの頃に入院したことがあって」

「そうか。それくらいの頃なら、まだイリが結婚していない時だね。驚くのは無理もないか。ずいぶんときれいになっただろう?」

「そう、だな。きれいになった」


 素直に頷くと、ますますアティスは笑い始める。今にも腹を抱えて笑い始めそうな勢いで、おかしそうに笑う。

 前を歩いていたアサギとスイが振り返った。不思議そうに俺とアティスの顔を見比べている。


「あはは。君はシーセスに住んでいたんだっけ?」

「ああ、牙炎のとこにいた……」

「うわあ、それは災難だったねぇ。可哀想に。それならイリの通り名、夜鳶のことを知っていて当然か」


 俺の顔を見て、アティスが意味深に笑う。

 今の俺、たぶん顔が青くなっていると思う。尻尾のあたりがゾワゾワするし。


「そ、それって、この施設内の地下に何人もの死体を集めて食ってるっていう……」

「あははははは! なんだい、君もソレ信じてるの? 魔族ならともかく、イリは妖精族だ。死体なんか食べるわけがないだろう」

「そ、そうだよな!」

「あ、でも死体を蒐集しゅうしゅうしていたのは本当だけれどね。だから夜鳶なんて呼ばれてたらしいよ」


 うわあ、死体集めてたのは本当だったのかよー! どおりでわんさかアンデッドやお化けが出るわけだ。


「なになに? 死体の話? ずいぶん古い話してんだなー」


 子どもに聞かせていい内容じゃねえのに、スイには聞こえていたようだった。ダメ大人じゃねえか、俺。

 なのに、子ども二人はちっとも動じていない。

 隣のアサギなんか、女の子みたいな容貌ようぼうなのにぱあっと顔を明るくした。


「ヒムロさんって、前に入院していた患者さんなの?」

「お、おう。たぶん、アサギが生まれる前の話だけどな」


 妖精族は俺たち魔族と同じ長寿の民だ。けど、精神年齢がそのまま外見に反映される魔族とは違い、妖精族はある程度の年齢に達するまでは、人間と同じく年相応に、外見は成長を重ねていく。

 だからアサギは見た目のまま、十四、五歳ってところだろう。


「そうなんだあ。じゃあ、こわかったでしょう? でもねもう大丈夫なんだよ。一年前に大掃除をして、僕と病院スタッフのみんなで死体はぜんぶ処分したから!」

「へ?」


 子どもの口からすごい言葉が出てきた。

 今、何つった? 死体を処分?


「俺も手伝ったんだぜ! あ、心配しないで。ちゃーんとみんな転生できるように焼いたからさ!」

「お、おう。そうか。偉いな。たしかにちゃんと焼いて弔わねえと魂は転生の輪に入れねえし——って、そうじゃねえよ!」


 思わずノリツッコミみたいになっちまった。


「あはは、すごいだろう? この子たち、立ち入り禁止にしていた遺体安置所に入り込んで、俺とイリの目を盗んで死体コレクションをぜんぶ燃やして処分しちゃったんだよ。病院のスタッフまで巻き込んでさ」

「ええ……、まじかよ。そんな大掛かりな仕事をこいつらだけで? おまえたち平気だったのかよ」


 医者が安置させるんだから、そりゃ腐らねえような冷凍庫みたいなところに置いていたんだろう。

 衛生面とか、めちゃくちゃ心配なんだけど。


「まあ、スタッフのみんな——大人がそばについていたから。それでも二人とも熱出して寝込んじゃったんだけどね」

「大丈夫じゃねえだろ、それ」

「そうだね。でも子どもたち二人による荒療治のおかげで、イリの死体蒐集癖はすっかり治ってしまったんだよ。コレクションが消失した上に、子どもの看病に走らなくちゃいけなかったからね。余計なことを考える暇がないのが功を奏したんじゃないかな」


 だからさっきから、アティスはおかしそうに笑っていたのか。

 アサギとスイが得意げに笑っていたのも、施設内をきれいにした自負があったせいなんだろうな。


「ま、死体を集めるだなんてひどい趣味だと思うかもしれないけどさ。その悪癖もイリの心の傷トラウマの一つだったんだ。だから自分ではやめられなかったんだよね」

「トラウマ、か……」

「そう。この国にいる子たちはみんな例外なく心に傷を抱えている。俺だってそうだ。君もシーセスに、しかもレガリーの地区にいたのならわかるだろう?」


 迷いなく、俺は頷いた。アティスは微笑みを返して受け止めてくれた。


「俺も、過去を乗り越えられんのかな……」

「君はもう乗り越えたんじゃないのかい? 俺が駆けつけた時、君は国王陛下を庇いながらレガリー相手に果敢に立ち向かっているように見えたよ」

「えっ」


 思わず、俺はアティスを二度見した。ある程度反応を予測されていたのか、彼はにっこり笑って頷くだけで。


「マジで?」

「クリュウも君のことを褒めていたよ。昔は臆病な子どもだったのに、頼もしい一人前の魔術師になったって」

「でも俺、まだ牙炎のことは怖ぇし……」

「俺だって同じさ。元凶の睨樹げいじゅはもう世界のどこにもいないのに、いまだにグリフォンを見たら足がすくんでしまう。でもね、怖くても目を逸らさないで目の前のものを守れたのなら、過去を乗り越えられたって胸を張ってもいいんじゃないかな」


 ぽん、と肩を軽く叩かれた。

 近くには蕩けるような笑顔ではなく、力強い笑み。形のいい唇が引き上げられ、アティスは俺を力づけてくれた。


「少なくとも、俺はそう思うよ」

「そう、だな」


 素直に頷くことができた。なんか不思議だ。


 今までの俺だったら、すぐネガティブになって部屋に閉じこもり、なにもできなかったと嘆いていただろう。

 でも俺は怖いながらも火事を鎮め、牙炎を捕縛するためクリュウに協力して、必要な道具を貸し与えたんだ。それにギルが怪我をした時、俺は牙炎の野郎を杖でぶん殴ることまでしたじゃねえか。

 過去を乗り越えられたんだ。


 アティスはの言う通り、心の傷トラウマは一人で乗り越えることはできない。

 俺が前に進めたのは、間違いなくギルのおかげだ。国王という称号ではなく、今でも愛称を口にできるのは、彼にとって特別な存在になりたいからで。


 —— おまえが過去のことで狼が心の傷になっているのと同じように、レガリーのような裏社会の住人は俺にとって絶対に許してはならねえ相手だ。


 牙炎に向かっていく直前に聞いたギルの言葉が、頭の中でこだまする。聞いたのはつい昨日のことなのに、ずっと前のように感じられるのは色々あったせいだろうか。


 独りでは、過去を乗り越えることはできない。

 ギルのまわりには慕ってくれる仲間やケイのような忠誠心の厚い臣下がいる。それでも、いまだに乗り越えられていないとしたら……。


 プライドが高いから認めねえだろうけど、ギルにとっての心の傷トラウマは間違いなく《闇の竜》——裏社会の住人だ。

 ギルは王家の一人として勇士たちと共に玉座を奪還し、ルーンダリアは平和になった。それでもギルがいまだに過去を乗り越えられていないとしたら、俺は。


 俺は、ギルのために何をしてあげられるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る