第十話 旅立ち

「え……?」

「ど、どういうことですか、ホウゲンさん」


魔界歴24252年とは何なのか。

ホウゲンによると、目覚める前にいた時間軸がおよそ24257年の暮れ。

約6年後の時間軸だったらしい。

これを西暦で表せば、今は4042年の1月、元は4042年の12月だそうだ。

つまり魔界は人界と比べて、6倍ほどの速さで時が流れている計算になる。


「未来でおれは光携者こうけいしゃと立ち会った。無論、お前もだ」

「…………」

「そいつも訳あって対談に同席していたのだが。覚えておらぬか?」


羅摩が黒之助に向き直る。

左手で右肘を掴み、右手の拳を顎に当てて考え込んでいるようである。

あの所作は、昔からの癖だったのかもしれない。

彼女は何と答えるのだろうか。

ここが過去ならば当然、羅摩が自分を知る由はない。

色々と様子が変だったのも合点がいく。

しかし理解するほどに、心臓の辺りを抓られているような心地がする。

交わした言葉、過ごした時間。

たとえ僅かだったとしても、そのすべてが泡沫と消えたのなら――。

寂寞の波が押し寄せ、心の深部をさらってゆく。

黒之助の表情に思うところがあったのか、羅摩は慎み深く言った。


「……齎魔殿下の仰った話が本当なら、いずれにしましても、貴方とお会いするのはこれが初めてのはずです。……ですが」

「……?」

「先ほどの貴方は、わたしのことを心から気に掛けてくださっておりました。残念ながら、未来の記憶はございません……でも貴方がどのようなお方で、わたし達がどういった関係性だったのかは、少し想像がつきます」

「あ……」

「きっと今後、何かとご無礼を働いてしまうかと存じますが……決して本意ではございませんので、どうかご寛恕のほど」


じわりと広がった痛みが蒸発して、鳴りを潜める。

いつ如何なる場所であろうとも、羅摩は羅摩だった。

当たり前の条理に触れ、心に勇気が灯される。

落ち込んでいる暇があったら、状況を整理して前に進まなければ。

彼は自分を鼓舞し、憚っていた仕切り直しを敢行した。


「いえ、気を遣っていただいてありがとうございます。それでは……初めまして、羅摩さん。私は天利黒之助といいます。綴りは空の天に利益の利、色の黒と、芝から草冠を取った之に、助けると書きます」

(む……?)

「黒之助さん、ですね。改めて、よろしくお願いいたします」

「はい。ど、どうぞよろしくお願いします」


"殿"とつけられるのに慣れてしまっていたせいか、咄嗟に吃ってしまった。

敬称の使い分けに関して、彼女の中には何らかの基準があるのだろう。

取り立てて触れる必要もないため、黒之助はそれ以上、言及しなかった。

ところで今しがた、ホウゲンが何かに反応する素振りを見せていた。

新たにわかったことがあるのかもしれない。


「クロいの。お前、名の綴りは忘れたのではなかったのか?」

「ああ、えっと……実は瞑想した時に思い出しまして」

「あの時か。なるほどな」

「僭越ながら齎魔殿下。未来では一体、何があったのでしょう?」


ホウゲンは聞いた情報を元に自らの解釈を混ぜ、順を追って語った。

まずは記憶喪失の青年、黒之助がこの書斎に出現した際の情況。

そこからさらに、光携者イツナとの対談に至るまでの経緯を説明する。

また、対談は彼の介入によって予想とは異なる展開になったこと。

結果として、自分は諸悪の根源たる悪意と決別した旨も伝えた。


次に、もう一つの問題であったイツナの守護。

おそらく対処を誤ったのであろう、そちらの顛末についても言及する。

黒之助らが目撃したという、雲のような謎の存在。

これはイツナと守護が切り離された途端、顕現したと聞き及んでいる。

従って、守護に繋がっている神と何らかの関係があるのは間違いなかろう。

つまりこの件には、相応の存在が絡んでいることになる。

とはいえ、世界をまるごと巻き戻すなど、全くもって規格外の所業だ。

ホウゲンは深刻な声音で続けた。


「そして重要視すべきは、雲が時間遡行を引き起こしたその動機・・だ」

「動機ですか……そういえば、ゾグさんは全員が術中だと言っていました。思考に制限が掛かっていたような印象を受けましたけど」

「察するに、雲にとって自らの存在を勘ぐられるのは不都合だったのだろうな。それが不意に露呈した挙げ句、強制的にあいつから切り離されて、何かしら対処せざるを得なくなった……と考えることもできる」

「ゆえに世界を過去に戻したと……? 恥ずかしながら、途方もないお話ばかりで目眩がしてまいりました」

「ふっ、流石のお前も形無しか」

「う……精進いたします」

「さておき、不都合の中身こそわからぬが……逆説的には、あのまま事が運ぶのを狙っていた可能性は高い。それに事が起こる直前、お前があいつらに指摘したという内容の通り、相手が神ならば、その筋書きは予め用意されていたとしても不思議はない」


"あのまま"とは、守護が分解されなかった場合を指しているはずだ。

即ちイツナ自身の願いが成就した末路。

雲は、彼女がすべてを一身に背負って自裁するのを望んでいたというのだろうか。

だがイツナは、死を選ぶことで例外的に守護が返納されるとも言っていた。


「ですが、元々イツナさんは守護と離れるつもりでいたわけですよね……あくまでも、彼女以外に自らの存在を知られたのがまずかった、ってことなんでしょうか」

「さてな。ただ、お前の分解とあいつの自滅とでは、切り離しの意味が違ってくるのは確かだ」

「?」

「おや、覚えていらっしゃいませんか? 自ら命を絶つ行為――それは神様に対しても、自分に対しても、最上級の裏切りとなるのです」

「裏切りですか……? もしやってしまったら、どうなるんでしょう」

「魂が穢れ、半永久的に艱難辛苦かんなんしんくと向き合う状態に陥ります。神様もその救済のために消耗される形となりますので、お互い何一つとして良いことはありません」

(そんな報いがあるのか……)

「要するに、雲は敢えて自らが不利益を被る方向へ世界を誘導していた節がある。それも気取られぬよう、水面下で秘密裏にな」

「何か意図のある矛盾、ですか。しかしどうにも読めませんね」

「ああ。そもそもの話、神は人族をたばかるような真似をせぬ」

「つまり、ここまでの考察が私たちの邪推に過ぎない可能性もあると……でも」


少なくとも、時間遡行が理不尽な凶行であったのは確かである。

何故ならあの雲は、皆の意識を独りよがりに奪い去った。

そして世界が積み重ねてきた、かけがえのない時間を葬ったのだ。

何より、イツナの死を、人界の混沌を助長した疑いもかかっている。

これらは既に、彼が真相究明に乗り出す理由としては十分すぎる狼藉だった。


「このまま何もせずにいるなんて、私にはできません」

「……確かに、やられっぱなしは癇に障る。クロいの、対抗策を考えるぞ」

「はい。……ちなみに、このまま6年後を迎えた場合ってどうなると思いますか?」

「立場上、光携者あいつがここへ来るのは必至。粗方、同じ流れを辿るはずだ」

「結局、イツナさんの守護が問題になる場面がやってくると」

「ああ。そして、あいつの死が雲の狙いにおいて必要な通過点ならば……お前が再び分解しようとも、またここ・・へ戻されるのが落ちだろうな」

「黒之助さんの分解のお力……伺った限り、比類のない稀有なエネルギーかと存じます。それが通用しなかったとなりますと」

「結末を変えるのは甚だ難儀といえるだろう。しかも、もう次はないと思った方がいい」

「え……?」

「お前、雲に倒された後に何か告げられたと言っていたよな」

「はい……誰かに、"挽回の機会が"って言われた話のことですよね?」

「いかにも。お前は、おれたち二人だけが何故、巻き戻った時を認識できていると思う?」

「それは、やっぱり……」

「うむ。その者が纏っていたという光、これ以外には考えられまい。実際――」


ホウゲンは気を失ってから一度だけ、瞬間的に意識を取り戻したらしい。

そこで見たのは、光に包まれる自分と黒之助、横たわる他の四人の姿。

あの幻のような光景が現実に起きていた出来事であるとすれば。

光っていた二人のみが、こうして記憶と体を保持しているのだ。

それらが無関係と切り捨てるのは、不自然極まりないと彼は言った。

さらに、先ほど目覚めて以降、ホウゲンは魔素に侵食されていない。

守護もないのに、なぜ魔素の影響が見られないのか。


「おれは光を通じて、お前と同様の体質を一時的に付与されたと踏んでいる」

「さしずめ黒之助さんと齎魔殿下は、その光によって記憶と御身を繋ぎ止められ、現在に至ると?」

「まあ、他に思い当たる節もないからな」

("借りる"って、そういう意味だったのか。でも、なんでホウゲンさんにだけ……?)

「……いずれにせよ、あの一行が手も足も出なかった雲の影響を掻い潜れるような存在が"最初で最後"と言った意味……おれ達は慎重に受け止めなければならぬ」

「次に失敗したら、終わりかもしれないわけですね」


まだそうと決まったわけではない。

ただ、挽回できなければどの道、イツナは自ら死へと突き進んでしまう。

黒之助の脳裏に、最後に見た彼女の複雑な表情が掠めていった。

元はと言えば、イツナを救う手立てを探すために乗りかかった船だ。

ここで下船できるほど器用な性格をしていないのは、彼自身がよくわかっていた。


「……そういえば、光の存在は私に、乗り越えろとも言っていました」

「乗り越えろ、か。……羅摩よ。総じて、お前はこの事態をどう俯瞰する?」

「正直、情況が複雑で、碌な見通しが立っていません。しかし……直感に従えば、答えは一つしかないかと」

「ほう」

「イツナ様を、お救いしましょう」


羅摩は毅然と言ってのけた。

イツナの救出――即ち、雲の思惑から逃れる術の模索に同義だ。

自裁でも分解でもない、別の形による守護への対処。

現段階ではまったく想像できぬが、それ以外に道はないと彼女は断言した。


「無論、人族としての私情もございます。でもそれ以上に、彼女が身罷れば全ての次元が破滅に向かう……私には、そのような気がしてなりませんので」

「奇遇だな。おれにも漠然とそう思っていたところだ」

(……あの雲を見てしまった後じゃ、杞憂とも思えないな)


何か途轍もなく大きな力が動いている。

不気味な暗雲の立ち込める世界の嘲笑に、三人は沈黙を余儀なくされた。

方針は決まっても、具体的にどう行動していけば良いのだろう。

黒之助が悩み倦ねていると、ホウゲンが切り出した。


「ときにクロいの、瞑想で名を思い出したと言っていたが」

「え? ええ、そうですけど……」

「正確にはいつだ?」

「最初、ですね。エネルギーの使い方がわかったのと同時でした」

「やはりそうか。つまり、お前の名を引き寄せたのも無心――」

「齎魔殿下、もしや黒之助さんは」

「確証はないがな」

「何の話でしょうか?」

「……事が事ですから、少しお話いたします。黒之助さんは華尊はなのみことをご存知ですか?」

「あ……! それ、雲も言ってた言葉です。意味は知りませんけど」

「そうでしたか。もはや、その雲が上位に絡む存在であるのは確定的ですね。ちなみに華尊は華やぐに尊いと書き、簡単に言いますと神様の使いです」

「神様の、使い?」

「はい。イツナ様を筆頭とする、人界の明日を切り拓く天命を授けられた、人族の総称とも言えます」

「光携者とは違うのですか?」

「究極、目的は同じようだが、課せられた天命の規模と果たすべき場所が異なるらしい」

「ええ。光携者を兼ねるイツナ様は唯一無二の存在ですが、華尊自体は複数おられ、天命を全うする手段や時期も人それぞれのようです」

「ゾグさんやイエミズさんも華尊なんでしょうか?」

「いや、あいつらはあくまで光携者を補佐する立場にあるだけだ」

「華尊の方々は、イツナ様のご一行とは別に、この魔界へやってきている次第です」


曰く、華尊は魔界の各地に散らばっているらしい。

しかし、人界の明日を切り拓くという天命。

その目的における最重要案件は、あの対談だったはずだ。

イツナ以外の華尊はどこで、何をしているのだろうか。

規模と場所が異なるとのことではあるが、不明点は多い。


「ふむ……羅摩さんは、裁きの天命でしたか。それを担っているから、色々と事情を知っているわけですね?」

「はい。ただ、華尊に関する情報は一部を除き、天界でも極秘扱いになっておりまして。わたしも、どなたがどの座標に振り分けられ、どの程度の天命を背負っているかなど、詳しい事情は一切聞かされておりません」

「あの、天界って神様の世界で合ってますよね? つまり、神様が華尊を魔界に遣わして、何かをやろうとしているって構図になりますか?」

「左様です。最終的な目的が何なのかは伏せられていますし、そこに例の雲がどう関わっているかも現状ではわかりませんが……」

「ふん。どうだクロいの、果てしなく胡散臭いだろう」

「……怪しくないといえば嘘になります。でも、まだ見えていない部分が多すぎて……」


神の領域にて、何かが画策されているのは間違いないらしい。

雲との因果関係を含め、もっと詳しく知りたいところではある。

しかし、裁きなる大役を務める羅摩にさえ情報規制がなされているのだ。

神々の目的を探るのは現状、不可能と考えるべきであろう。

とはいえ、このまま手をこまぬいて傍観するわけにもいかない。

思惟を巡らせていると、ふと、黒之助はこの話が浮上した経緯を思い出す。

羅摩とホウゲンは自分に対して、何らかの憶測を働かせていたはずだ。


「そういえばさっき、私がどうのって……」

「ええ。と言いましたのも、黒之助さんも華尊なのではないか、と思い至った所存です」

「……え」

「既に述べたように、華尊は基本的に得体が知れぬ。だが開示されている共通点もあるのだ」

「その共通点が、記憶喪失・・・・なのです。華尊は他者に関する記憶を封じられる、と神様が仰っているのを実際に聞いたことがあります」

「な、なんでそんなことを……?」

「申し訳ございませんが、そこは教えていただけなくて……でも大方、天命を全うするに当たり障害となるからなのでしょうね。輪廻転生と同じようなものかと思われます」

「輪廻??」

「覚えていないなら、今それは置いておけ。とかく、記憶を失って魔界を彷徨うろついているお前は華尊やもしれぬというわけだ」


突如、身に覚えのない経歴がのしかかってきた。

混乱する頭を押さえつけて冷静に考えてみる。

例によって如何せん記憶がないのだから、真偽を確かめる術はない。

ただ説明の中に一つ、違和感のある情報が紛れ込んでいた気がする。


「あの、華尊って他者の記憶だけがないんですかね?」

「神様はそう仰っていましたが……実はまだ、誰ともお会いしたことがないもので……」

「ならば、おれが一人知っている」

「! まことですか」

「ああ、そいつは親の顔も思い出せぬと言っていた。ただしクロいのが言わんとしているように、奴自身の記憶はあったように感じたぞ」


ホウゲンの話が正しい場合、黒之助と華尊の境遇には相違がある。

彼は他者以外に、自己に関する記憶もほとんど失っているからだ。

辛うじて思い出せたのは名前、元の西暦、戦争、出身国である日本。

その社会が当時どのような情勢だったかなど、曖昧なものに限られている。

加えて、最初に魔界だの神だのと聞いた時は、心底驚いた手前である。

自分が以前、そうした不確かな世界に明るかったとは思えない。

彼は話が錯綜するのを避けるため、旧時代については伏せ、私見を述べた。


「お話を聞く限り、私が華尊である可能性も無いとは言い切れないかもしれません。でも、私は他者に限らずほぼ何も覚えていないんですよね」

「……しかしクロいの。お前と華尊にはもう一つ、偶然とは考えにくい共通点がある」

「え?」

「名前の綴り――真名まなを、忘れていらっしゃったという点ですね」


どうやら、華尊とは記憶と真名の二つを封印されている存在らしい。

無論、神が秘匿している以上、封印の目的や正確な意図は不明だ。

それがいつ解かれるのか、ずっとそのままなのか、誰にもわからない。

ただ、少なくとも黒之助は魂との対話を終えて、真名を取り戻している。

結果、手に入れたのは未知のエネルギーの使い方だった。

ホウゲンの悪意のみを消し去り、イツナの守護すら打ち破ったエネルギー。

そうした、常識ではあり得ぬ数々の現象を引き起こした黒之助。

彼がもし、本当に華尊であったのなら。


「おれは真名の解放が、華尊にお前と同じエネルギーを与える可能性を考えている」

「!」


そのエネルギーは、無心で外界に放つと分解が起こった。

逆に、内面で循環させている分には周囲に干渉しない。

瞑想していない時は、向かってくる法力のみを分解する。

もしこれをイツナが会得した場合――。

既に内側にある守護に対してどう作用するかは定かでない。

だが、第三の道へと繋がるきっかけにはなるかもしれない。


「で、ですが、それは私が華尊だった場合の話で……仮にイツナさんが同じようにしたとしても、また守護から雲が出てきてしまうのではないでしょうか。そもそも、今まで話してきたこと全てが、確証のない机上の空論なわけですし……」

「もっともだ。だが、おれ達は確かめようのない事象に囲まれている条件下で望む結果を手繰り寄せなければならぬ。それには推理で仮説を立て、石橋を叩きながら検証を重ねるしかあるまい。……途中で何か判明するようならば、その時は方法を変えれば良いのだ。差し当たり今は、仮初であっても行動基準を設けるべきだろう」

「……幸い、まだ時の猶予はございます。仮説をあたためているうちに真実に辿り着くこともありますから、今はできるところから始めてみましょう」


二人にそう言われると、不思議なほど、すんなりと納得できてしまう。

確かに身の程を弁えた行動の自粛は実質、不条理への屈服に等しい。

過ちを正さねば、未来が牙を剥く。

真理を見極める探求心を以って、すべてを解き明かすしかない。


「……わかりました。ところでイツナさんって今、どこにいるんでしょう」

「彼女は"終着の死面しめん"と呼ばれる領域の、山頂付近にいます。座標は比較的、この近くですね」

「え、近くにいるんですか?」

「あくまで座標で言えば、だな。ここへ辿り着くには最南端にある転移陣まで行く必要がある」

「確かこの古城って、北の方にあるんでしたよね?」

「最北に位置している。要は、連中はまだ旅に出たばかりの頃合いだ。未来ではここから6年ほど掛けて南下し、こちらに到着している」


"終着"と名を冠してはいるが、実際には始発となる場所に、彼女らがいるようだ。

また山頂との言葉から、登山の途中であると考えられる。

そこから最南端、おそらく沖縄に該当する土地まで移動するのだろうか。

機械が使えないとなると、物理的にはかなりの距離があるといえる。


(南北を繋ぐ転移陣が実在するなら、どこかに裏道はないのかな。早く会って、軌道修正しないと)


イツナは旅を経て、守護が世界に与えている影響に気づいたと言っていた。

ゆえに自裁を覚悟し、ホウゲンを討たぬ選択を用意して対談に臨んだ。

しかし、まだ何も知り得ておらぬであろう現在、旅の目的は逆だったはずだ。

光携者としての使命を推し量るに、齎魔との決別を想定していたに違いない。

ところがホウゲンは既に、黒之助によって悪意を払拭された後である。

この時点で、彼女らが旅に掲げていた大義名分は失われているのだ。

ならば一刻も早くその事実を伝え、今後の動向を変えてもらう必要がある。


「羅摩さん、その終着のシメンって場所から直接、こっちへ来る方法はないんですか?」

「……そうできれば、理想なんですけれども」

「不可能だ」

「何故です?」

「件の山頂付近を含め、こちら側から各地へと赴くのに使える転移陣は存在している。だがその全てが、一方通行だからだ」

「出入りが可能な陣は、最南端にある一つのみなのです。それを無視して物理的に無理やり向かっていただくにしても、城に張られている魔の結界が、結局イツナ様達の侵入を拒んでしまいます」


魔の結界とは、太古の昔からある不可侵の代物だそうだ。

どこに支柱があるかわからず、従って解除のしようもない絶対障壁。

イツナと邂逅した際、黒之助に対して仰天していたのはこれが理由のようである。

様々な条件を無視して現れた彼は、さぞ奇特な存在に映ったのだろう。

ちなみに念話の類も、結界の外に対しては行使できないとのことだった。

必然的に、彼女らと合流する手段は二者択一。

最南端から北上して迎えに行くか、一方通行の陣を通って近づく他にない。


「イツナさん達で6年掛かりとなると、南からの北上は除外するべきですね。消去法で、片道切符の方しかないと」

「……先に言っておくが、おれはまだ同行できぬ。魔素の侵食をいつまで防げるのか不明瞭だからな」

「はい。それは仕方ないと思います」

「加えて、ここで調べるべき問題も山積みだ。おれはそれらを片付けてから、後を追うか検討する」

「……恐れながら、わたしも立場上、表立って動くことはできません。つきましては……」

「ひとまず、私が先行するしかないってわけですね」


目覚めた当初と比べれば、得られた知識や情報は多い。

奇しくも、妙なエネルギーさえ使えるようになった。

だが依然として前の記憶はなく、魔界がどういった世界なのかも未知数。

この段階で独り外に放り出され、生還できる保証はどこにもない。


(それでも……)


不安に苛まれる中、最も強い己の声に耳を傾けてみる。

――できる努力をしたい。

――人を助けたい。

――役に立ちたい。

――皆が幸せであってほしい。

何が彼をそこまで駆り立て、衝き動かすのかはわからない。

ただ、一度その本心を自覚すると、不安の雑音は聞こえなくなっていった。


「わかりました。とにかくやってみます」

「……殊勝だな。別に買って出なくとも、咎める者などおらぬというのに」

「いや、話の流れ的にも断る場面ではなかったと思いますけど」

「ふふ……黒之助さんはお優しい方なのですね」

「ともあれ、当面の流れは決まった。あいつらと合流した後は、名の解放を前提に対抗策を模索しておけ」

「はい……!」

「黒之助さん、これを」

「?」

「常時は無理ですが、この首飾りがあれば少しの間だけ、連絡を取ることができます」


羅摩から渡された首飾りには、菱形の水晶のような石があしらわれていた。

この石を握り締めながら喋りかけると、羅摩に声が届くそうだ。

念話とは違う仕組みで、結界の影響を掻い潜れるとのことである。

ただし数分すればエネルギーが枯渇、石が混濁して、暫くの間は使用不能となる。

自浄作用によって元通りに透明化すれば、また使えるようにはなるらしい。


「これがあれば、わたしの方で貴方の座標を確認できるようもなります。イツナ様は守護の光が目印になるため不要なのですが……」

「私には守護がありませんからね。どうもありがとうございます、心強いです」

「では羅摩よ、こいつを山頂に繋がっている転移陣に案内してやれ」

「承知しました」

「クロいの」

「はい……?」

「あいつらの思考に制限がかかっているならば然程、警戒する必要もなかろうが……不用意に雲や守護の話はせぬ方が良い。お前の言霊を引き金に、事態が動く可能性があるからな」

「……そうですね。確かにあの時のゾグさん達は、私の言葉を聞いて急に我に返った感じでしたし」

「ああ、念頭に置いておけ。それともう一つ」

「なんでしょう?」

「お前に限って問題はないだろうが、ここはどこまで行こうとも魔界だ。危険と遭遇したら、あの無心で切り抜けろ」

「わかりました、ご忠告ありがとうございます」

「ふん、せいぜい上手くやれよ」

「……それでは黒之助さん、参りましょう」


かくして、黒之助は古城を後にする運びとなった。

彼の冒険譚の全ては、ここから始まったのである。

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