第二.五話 ・舞台劇の裏側
メルルの祝福の儀が終わると、参列者達は彼女の事を讃え敬い、中には信仰心を向けるような輩までいた。その中心にいるのが、最高権力者たるクレリヒト二世なのだから更に始末が悪い。この者達は、あと数時間はこうしてるであろう。
不快に思ったエンリクス枢機卿は早々にその場を後にした。
ーー
「まったく、酷い茶番だった」
自室に戻り、お気に入りの安楽椅子に腰を下ろしたエンリクスは、雪原のように純白に染まるオールバックの頭髪を、乱暴に掻き乱しながら祝福の儀をそう評した。
もうすぐ六十を迎えるエンリクスだが、背筋はピンと伸び力強い足取りは実年齢よりも幾分彼を若く見せる。その洗練された立ち振舞いや、恰幅の良い体格に鋭い眼光をもつ彼の雰囲気は、いっそのこと聖職者ではなく軍人だと言われた方が納得がいくぐらいだ。そんなエンリクスが、ギシギシと音を立てる頼りない安楽椅子に収まるのはどこか滑稽に思えた。
エンリクスはあの不敵で不気味な神子の顔を思い出すと、苦々しく表情を歪める。件の神子『メルル・S・ヴェルロード』今日、行われた祝福の儀の主役のことだ。
鳴り物入りで予定のギリギリに聖都に到着したメルルの態度を、少なくとも好意的に捉えた者はいないだろう。
そして、いざ儀式が始まって見れば冒涜的な笑みを浮かべ、まるで自分が神の祝福を受けるのは当然であると、言わんばかりの立ち振舞いをして見せた。しかし一方で、彼女の堂々たる立ち振る舞いは多くの者の心を捉えた事だろう。
これはまだ、常識の範囲内の行動であるのだが、問題はこの先にあった。あろうことか彼女は、突然奇妙な笑い声を上げて会場全体を敵に回したのだ。
その上で、圧倒的なカリスマを持って場を完全に支配して見せた。そして、最後には酷く不快な笑みを浮かべながらの祈礼、慇懃無礼も甚だしい事である。今回の祝福の儀は、完全にメルルの掌の上での出来事に過ぎなかったのである。
彼女のしたり顔を思い出し、エンリクスに腸の煮えくり返る憤怒が蘇って来た。エンリクスは生意気な子供が大嫌いなのだ。
それに、メルルの胸に掛けられていた
メルルの姿を魔術教養の高い魔導学に明るい者、あるいは魔力感知力の高い者が見れば、すぐに気づくことだろう。
メルルは魔力の塊だ。
例えばあの髪、銀色に光って見えるあれは光を反射しているのではなく、髪そのものが淡く発光しているのだ。おそらく元々の色は白か灰色だったのだろうが、魔力を宿し視覚出来るレベルの濃度に達したために銀色に見えているのだ。あの紅い瞳も魔眼だと思っていて、まず間違いないだろう。
なら、心臓は? 多少なりに魔術教養を持つ者ならば、魔力が宿っているに違いないと答えるだろう。そんな少女にあの“道化”は
なんと趣味の悪い事だと、エンリクスは思った。
しかし、魔術の腕前や魔力量は、身体に魔力が宿る現象と無関係ではないにしろ絶対的な基準にはなり得ない。事実、有名な魔術士でも魔眼を持っていない者も多いし、逆に殆ど魔術を扱えないにも関わらず魔眼を持つ者もいるのだ。それに魔導具に加工するのなら、魔物の持つ魔力結晶の方が、よっぽど使い勝手が良いと言える。
人の一部を魔導具に加工する方法は未だに確立されておらず、成功例など学識に自信のあるエンリクスをしても数える程しか知らない。
これは余談であるが、エンリクスも過去に貴重な成功例の一つを所持していたのだが、それを既に消失してしまっているのも彼のストレスの原因であったりする。つまりエンリクスの機嫌が悪いのは嫉妬心も多分に含まれる。
ーー閑話休題。
実際にメルルが、
人を狂わす宝玉と、その原石を見せびらかしたのだ、当然リスクがつきまとうのも折込済みである筈だ。よほど自分が抱るカゲに自信があるらしい。それにしても、リスク以上の効果が得られるかどうか……。
まあ、それが自己顕示欲と血統から来る自尊心に踊らされる、道化の道化たる所以か。
エンリクスは不快げに鼻を鳴らすと、彼の後ろに控える少女に声をかけた。テーブルにもたれかけながら退屈そうに腰ほどもある自身の黒髪を弄っていた少女。彼女の歳の頃は八~九歳ぐらいだろうか。
「フェイト、お前ならどうする?」
主語が抜けた不鮮明なエンリクスの問いかけに、フェイトと呼ばれた少女はヘラヘラと軽薄な笑を浮かべながら答える。幼いながらに十分美しいと感じさせる程に整った顔立ちの少女だが、その軽薄そうな雰囲気が全てを台無しにしてしまっている。
「なにか硬くて長いもので、後ろから頭を叩けばなんとかなるかな」
「つまりは、無理ということか」
フェイトのふざけた回答にエンリクスは、落胆の色を隠そうともせずにそう返した。しかし、フェイトはその様子が気に食わないらしく、薄桃色の唇を尖らせ抗議の言葉を吐き出す。
「言っておくけどアレは、化物以上に化物なんだよ。そいつに至近距離から一撃を入れる。それだけの簡単な条件で、勝てると言える僕を褒めて欲しいぐらいのものさ」
「アレは、それほどまでか」
「うん。多分、僕の見てきた魔術士の中では最強だろうね」
エンリクスは安楽椅子ごとフェイトの方へと向き直ると、彼女の双眸を見据える。蒼玉のように美しいフェイトの蒼い瞳は卑屈な色で濁っているが、その奥に隠されているであろう真意までは見えてこない。
他者を蹴落とし利用することにより、権力争いを勝ち上がってきたエンリクスをしても見抜くことが出来ないのだ。彼に分かるのはフェイトが何かを隠していると言う事まで、メルルにしてもそうだ。自信に満ち溢れた勝気な瞳の奥に何を隠しているのかまるで分からない、揃いも揃って生意気で不気味なガキ共だと思う。エンリクスは勿論フェイトのことも大嫌いであった。
「その根拠は?」
「とりあえず、魔術の威力とかは置いておくとして、アレが使った魔術は正確には魔術じゃない。かといって、少し似ているが魔法とも違う。体外から大気中のマナを取り入れる魔法とは違い、アレは体内から全く異質な魔力を捻出して使って見せたんだ。魔術でもなく魔法でもない新系統の技術、正に奇跡の御技だね」
フェイトの話が、本当であれば大変なことである。新たなる魔導的技術の発見は、どれほどの利益を生むことになるか見当もつかない。そうなれば、
「その魔力の出処は分かるのか?」
「さあ? 異世界とかじゃないかな」
大体予測していた結果と、フェイトの人を嘲るような態度にエンリクスは少々不快感を覚えるが、いつもの事なので、努めて気に止めないようにして続きを促すことにした。
「もういい、続けろ」
「そうかい? なら続けるよ。得体の知れない術を使うだけではなく、身体を流れる魔力もアレは異常なんだ。通常人は、血液のように微量な魔力を滞り無く巡回させているものなんだけど、アレの場合は違う。肉体を魔力で強化出来る者に見られる多寡の問題ではなく、アレの身体は魔力を喰ってるんだ。
巡回しているはずの魔力が、身体の節々で一旦消滅しては異質な魔力が発生して補う事を繰り返しているんだよ? 驚くよね。でも僕は、実際にアレが魔力を
それに見た者なら誰でもわかるであろう、あの術の破壊力。とてもじゃないが、フェアな条件じゃ僕は勝てないよ」
結局のところ分かったのはメルルが大変危険であると言う事と、非常に高い価値を秘めているということだ。ヴェルロード伯、エンリクスが道化とあざ笑う人物は、相当に強力なカードを手に入れたらしい。しかし、エンリクスにとって道化自体にはあまり興味が無かった。
道化が栄達しようが、大金をせしめようが、エンリクスに直接関係は無い。せいぜいが利用できるのなら利用しようかと言うぐらいのもの。問題はその後ろにいるであろう人物、“クレリヒト二世”の思惑である。
道化と、クレリヒト二世は結託している。あるいはクレリヒト二世が一方的に利用しようと目論んでいるのか、そのどちらかまでは分からないがクレリヒト二世に何らかの思惑があり、あの茶番を演出したことは明らかである。
この結論に至ったのには、それなりの理由がある。まず、メルルが使った術の威力であるが、アレは明らかに異常なのだ。
当然メルル自体の魔力は高かろう、
聖都自体を巨大な魔導機構として活用することにより、最上の魔力強化を可能とした魔法陣、それが
つまりクレリヒト二世は最終兵器を起動してまで、祝福の儀に演出を施したのだ。そして、御技の披露から、号泣、
そもそも、今回の祝福の儀自体が不審なものである。前例が無いわけでは無いが、通常、神子というものは生まれた時、あるいは生まれる前に、教皇の下に神の啓示が下され決定されるものである。
ところがメルルの場合、彼女が七歳の時に啓示が下され、祝福の儀、自体はオリシオン教会にとって神聖な数字八を数える、彼女の八歳の誕生日に催されると言うのだ。少々出来すぎていると、考えるのも仕方の無いことであろう。
そして、祝福の儀の日取りも啓示の際になされる。
つまり、冒涜的な表現になるが教皇のやりたい放題だということだ。
「それにしても、あの老人に人並に欲があったとはな」
エンリクスはどこか楽し気に、そう漏らす。エンリクスとってクレリヒト二世は狂信者そのものであり、信仰を捧げるだけの人形だと思っていたのだが、ここに来て訂正の必要があることを知った。思惑があるということは欲があることと同義だ。今回の祝福の儀で得た最大の収穫は、それなのかも知れないなと、エンリクスは口元を綻ばす。欲があるのなら薄気味悪い人形よりも、よっぽど御し易いというものだ。
「さて、これからどうしたものか」
そう呟いたエンリクスの表情には、不快げな色はもうない。揃った役者達をどのように踊らすか、支配者の愉悦に心躍らし、思案する老獪な笑みを湛えながら彼は思考を加速させる。
ーーまずは、目の前んで狸寝入りを決め込む黒髪の腕力馬鹿についてだ。コレの持つ魔眼は中々に稀有なものであるが、替えはいくらでもきく。ならば、件の神子にぶつけて見るのも一興だろう。使い勝手の悪い駒を、いつまでも手元に置いて置く必要もない。それに、歳も同じで接触の機会も作り易かろう。
これから忙しくなりそうだと、エンリクスは口元に手をあてがいながら目を細める。彼が見据えるは権力の最上、教皇の更に上、神の御席。
『祝福の儀/御技の披露』
今日行われた、この二つの出来事に対する反響は、世界規模の物となり、最早メルル個人では収集の付けようが無い物となった。
ーー生ける伝説は、
「最年少最上級魔術士か、ある意味では大嘘だな」
誰よりも魔術に深い造詣を持つであろう彼は、奇跡の御技の特異点に気がついていた。そして、年齢にそぐわぬ少年のような笑みを浮かべ呟く。
「いったい、どんなカラクリを隠しているのやら……これだから魔導の探求はやめられない」
彼は常に探求者であり、知識に貪欲だ。
現在、その彼の好奇心は、水晶に映し出された一人の少女にのみ注がれている。
ーー剣聖の継承者は、神子の一人として新たな神子の誕生を知った。
「で、それが俺になんの関係があるんだ?」
しかし、彼には興味の無い話題であった。彼に話題を振った男は慌てて取り繕う。
「いやぁ、旦那……奇跡の神子は絶世の美少女だって噂ですし。せっかくヴェルロード領にいるんですから一目ぐらい見に行っても損はありませんぜ」
「くだらねぇな、なんで俺がわざわざ足を運ばないといけないだ? 向こうから挨拶に来るもんだろ」
彼には他人の為に足を運ぶと言う概念は無い。
彼にとって、己こそが一番であり、他人など所詮は有象無象、取るに足りない、その他大勢でしかないのだから。
彼、剣聖の継承者にして剣戟の神子、彼は生まれながらに運命に選ばれてきた。その彼にとって新たに誕生した神子など、同格の存在にはなり得ない。あちらから跪きに来るならともかく、自ら進んで会いにいくなど有り得ないのであった。
ーー唯一無二の姫君は、奇跡の御技を聴覚で捉えた。
「おい、お前ら、聞こえたか?」
「いいえ。なんのことでしょうか、秀耳姫」
「これ程までに大きい空の悲鳴が聞こえぬか……それだから精霊の声もろくに聞けぬのだ! この痴れ者共めが、ペッ」
彼女は自分の側近に問うが、残念ながら彼女の求める答えは返って来なかったらしい。
あろうことか、彼女は不出来な側近に唾を吐きかけた。しかし、唾液を顔面で受け止めた側近の顔は誇らしげであり、なんの不満も抱いていないようだ。それどころか、周囲の視線は明らかに羨望の色を湛えている。彼女の側近は後一ヶ月は顔を洗わないだろう。もしくは帰って早々にハンカチで拭い家宝にでもするつもりである。
「あいも変わらず、気持ちの悪い奴らだな」
彼女は彼等をそう評したが、これも無理なからぬ事なのかも知れない。
何故なら彼等にとって、この秀耳姫こそが信仰を注ぐべき神そのものであるのだから。
ーー異端の少年は、異常な魔力を敏感に感じ取っていた。
「あら? あれれれれ? 誰だろう? 神様? 新人類? ちょっとよくわからないや。まぁ、いっか! 殺してみれば答えは出るさ」
こうして、メルルが表舞台に鮮烈な登場をはたした事による波紋は、エルズランド全体に響き渡って行くこととなる。
表裏問わず、話題の中心として様々な思惑の乱れ狂う世界を生きることとなるメルルは、何を見るのか? その答えはまだ出ていない。しかし、賽は投げられた。口火を切った者が誰であるかなど関係なく、全ての物事はドミノ倒しのように連鎖し、巡り巡りメルルを巻き込んでいく。
後の世に様々な解釈、疑惑、通説に俗説や数々の奇跡を残す、聖少女伝説は今始まったのだ。
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