第7話 せなか合わせの絵②

「っ!」


 目の前から強烈な光が飛んできて、ミモルは咄嗟とっさに腕で顔をかばいました。

 が、待てど暮らせど、何かがぶつかった衝撃しょうげきがありません。恐る恐るうかがううとそこは泉のほとりでした。


「いつの間に?」


 頭の中を整理出来ないまま辺りを見回していると、少し離れたところにたたずむ三つの人影を見つけました。


『ううっ』


 そのうちの一つはミモルと同じくらいの年齢に見える少女でした。黒みがかった深い色の髪を二つに分け、上で結んでいます。

 何があったのか、苦しげにうめく彼女の元へ別の誰かが駆け寄り、よろける体を支えました。


「あれは!」


 ミモルは驚きの声をあげました。彼女をいたわっていた人物は、非常に見覚えのある姿をしていたからです。


『大丈夫? あと少しだから頑張って!』


 励まされ、少女も頷きます。辛そうな表情を意地でおおい、三つ目の人影を見据えていました。


『あなたは許せない。絶対に! ――っ』


 何故か、最後に叫んだであろう名前だけが、耳に届く前にかき消えてしまいました。

 それを求め、二人が睨め付ける第三の人物を確かめようと一歩進んだ途端。



「……え?」


 そこは再び薄暗い泉の底で、何もない闇へ向かって何かを掴もうとするかのように、腕を突き出している自分に気が付きました。


「今のは何?」


 頭の中で、一瞬の出来事が何度もよみがえってきます。

 幼い、自分とさして変わらない年齢の少女と、敵対しているらしい、影しか見ることが叶わなかった相手。そして……。


『ここで昔……お前達人間の時間で言えば、700年前にあったことだ』


 ウォーティアが、その透ける唇で告げました。

 耳にした刹那せつな、思い起こされるのはルアナの最期の姿です。彼女は、前に地の底との扉が開いたのは700年前だと言っていました。偶然の一致でしょうか?


「どうして、私に見せたの?」

『我は水の意思を伝えるだけだ』


 精霊の言葉は謎かけのようで、ミモルには呑み込めません。

 理解しようと必死に考えていましたが、質問を重ねようとした彼女を、ウォーティアはゆっくりと首を振って制しました。


『契約は完了した。我の、ここでの役目は終わった』

「あっ、待って!」

『人と話すのにも疲れた』


 青く光る体が輪郭りんかくを失って水に溶けていきます。それと共に声もぐっと淡くなり、とうとう何も聞こえなくなってしまいました。

 目先の話し相手がいなくなり、ミモルはふいに現実へ引き戻される感覚を味わいます。


 エルネアはどうなっただろうという思いが、再び急速に広がりました。今の今まで忘れてしまっていたのは、ウォーティアとの現実離れしたやりとりのせいでしょうか。


 いつの間にか、ミモルはこの世ではない空間へと落ち込んでいたのかもしれません。まるで肉体という器を捨て、魂だけの存在になったみたいでした。


「助けに行かなきゃ」


 とんっと地面を蹴って上を目指し始めます。水中深くにいるはずなのに、全く苦しさがありません。呼吸も出来ますし、念じるだけで地上へ上がって行くことも出来ます。

 さっきまで死を予感していたのに、打って変わって内側から力が溢れてくるようでした。


「すごい。どうなってるの?」

「確かに凄いけど、水の力はこんなものじゃないはずよ」

「……リーセン」

「ほら、急ぐわよ。上じゃあ水際の攻防戦の真っ最中でしょうからね」


 心の奥底へと身を隠してしまっていたもう一人の自分が、再び意識の表層を分かち合っています。

 彼女は何者で、何故、自分はもう一つの存在をうちに抱えているのか。それをたずねる勇気も時間も、今のミモルにはありませんでした。

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