第十八章:全滅
全滅。
その言葉が、私の脳裏に過った。
それだけは絶対に避けなければいけなかった。
最悪の展開は、彼に全てを奪われてしまうこと。
私の水銀魔術を、どうにかして。
「全能と即死を併せ持つ人間」
あれを見るに、能力の片方は内臓破壊。
ただまだ我々が無事なのを見るに、恐らく発動には条件がいる。社長は「触れた人間の」と言っていた。
「社長たちが何もしゃべれなかったのは、触れた人間であればどこにいようとも内臓を破壊できるから。社長や息子のシンさんは社内関係者、一度くらいは触ったことがあった。でもまだ私たちはない」
「触れば勝ち、ということだが」
相手の見た目は、もはや血まみれで分からない。その瞳がこちらを見つめているだけだ。
「もう一つの能力を奪う方は、社長は“ひとつ”を強調しているように思えた。どうしましょうか」
私にひとつ案がある。
だがそれはとてつもない数の壁を乗り越えた先にある賭け。
「あなたが私の心を読んでいることは前提としています。むしろ動きにくくなったのでは?」
「ルディア、それって」
「未紅、思い出してください。私は水銀魔術を使うために体内に常に水銀を蓄えていますから、私の内臓には多少なりとも水銀が含まれている。私は耐性があるから大丈夫ですが、もしその中に一般人が入り込んだら、どうなるかは分からない」
「だがそれは、短時間で殺せば良いだけだ。例え魔術を使っても体内からの攻撃は防げないだろう、水銀を浴びる時間が一瞬であれば、さほど影響はない。そして全能の能力もある」
「それについても考えが。もしあなたが全能なのであれば、もっと早い段階で計画は終わっているはずなんです。でもそうでないということは……」
一つ目。全能であってもそれを制御できない。全能は人には操れない。
二つ目。奪った能力は完全ではない。故に真の意味では全能ではない。
どちらにせよ、恐るるには足らない。
「水銀魔術…」
「外に出していいのか?」
「もちろん残してますよ」
全ては使えない。今回、こちらはセーブが安定。
未紅の能力も來さんの能力も中距離型。距離を取り続けるのが安全だ。
だが…決定打に欠ける。
消耗戦だ。私や來さんはまだしも、未紅は経験したことがない。
「未紅、いいですか、絶対に耐えてください」
「うん。分かった」
「これがおそらく……最後の戦いになります」
そうなると信じて。
杖を構える。
― これより、あらゆる魔術の詠唱を短縮。魔術の象形は脳内で行う。これより、魔術の制御から“言葉は意味を失う”。―
「藍端…」
未紅がそう呟いた気がした。
「未紅は自由に、全てを破壊するつもりで火炎の能力を使ってください。來さんも極力全ての呪術を開放して、強化でも弱体化でも破壊でもなんでもいいから」
「オーケーです、任せてください」
ここに来る前、來さんにはできるだけの霊符を持ってくるように頼んでおいた。
「未紅、あなたの“軌道”の能力が私にも見えるように、視覚にかかわる神経を私に接続したい」
「私の、新しい右目になってくれませんか?」
私は、水銀魔術の副作用で右目を失明していた。
この眼帯もそのためだ。
私が真に恐れられていた理由は、その右目から水銀を抽出する発動過程にあった。
いくら耐性があるとはいえ、右目が水銀に染まれば物理的に何も見えなくなるのは当たり前だ。
「何をゴチャゴチャと」
来る。
血なのか肉片なのか、よくわからない人型の敵が。
有裏。シンさんの父親だから、フルネームは篠谷有裏。
移動スピードはかなり速い。鎧装着時のシンさんやベルンさんには勝らずとも、目で追えないくらいには速い。
攻撃力はいわずもがな。触れたら死。
「未紅、契約を。右目を」
「分かった。右目を」
その瞬間、失われた視界が急激に彩られていく。
ああ、そういうことか。
これが軌道の能力。
この世界に存在するあらゆる素粒子の軌道さえ色付け、視覚化してしまう能力。
これまで辿った道、これから辿る道の全てが見える。
未紅はきっと今までに、「都合の悪い軌道は視覚化を解除する処理方法」を脳内で獲得したのだ。だから、気体分子の運動だとかそういう些細でありふれた軌道は視覚化を解除できた。
でも私は違う。
今の私の視界内は、軌道で埋め尽くされている。
当然だ。一体この目の前にどれだけの分子が存在すると思っている。
ひとまずは右目を閉じるしかない。
「……」
空間障壁、特異点の壁を展開する。速度というものは意味をなさず、相手は洞に引き摺り込まれることになる。
そして実際、有裏は暗黒に呑まれていく。
振り返る。
杖の柄と彼の腕がぶつかる。
「気づいたか…」
特異点の壁の影響か、ついていた血はすっかり落ちていた。
歴戦の玄人というべきだろうか。
シンさんの父親というのだから、年相応だ。
目つきも似ている。あれは“戦ったことがある者の目”だ。
短い銀髪が風に揺れ、皮膚から露出したブレード状の骨がまだキリキリと音を鳴らしている。
「まだだ……新しい真実が必要なのだ」
目が光った。
私も右目を開ける。
一条の青い光が、一直線に私の心臓を捉えていた。
「照射」
何かが放たれた。
私の魔術結界を部分展開。
予測軌道は大きくずれ、真上に跳ね上がった。
「來さん!」
「りょーかいっ!」
見える霊符だけで、100枚はある。
「神よ、今は全てを“貴方へお返しします”。その引き換えに…」
霊符が一枚ずつ消えていく。
無数の霊符たちが、まるで天へと帰っていくように浮かび上がる。
「その引き換えに、僕に勝利をお与えください」
來さんが消えた。
いや、いた。
いつの間にか私と有裏の間に割り込んでいたのだ。
「ルディアちゃん。右目を開けたままで」
はい、と言われるがままに。
呆気にとられていたのだ。
これから何が起こるのか分からずにいた。
次の瞬間、未紅と私はこの目を疑った。
視界を通して映される軌道が、全くありえない様子でいるのを認識した。
「“神権、全現象緊急停止”。森羅万象は権利の元に固定される」
軌道がなくなった。
過去を描く軌道も、未来を描く軌道も止まっている。
そして実際、來さんも未紅も私も、動くことができない。
ただ、思考だけはできる。
「聞こえますか?ルディアちゃん、未紅ちゃん。今、僕に与えられた神の権利で現象を丸ごと停止させています。まあ、時間が止まっているってことですね。時間が客観的に何を指すのかは議論の余地ありですが」
來さんは警告した。
「今…正確には戦いが始まったときから発動していた菅眼は未来を観測しました。間違いありませんが、全滅です。最初に死ぬのは未紅ちゃん、次が僕、最後がルディアちゃん。今のルディアちゃんと僕があらゆる力を行使しても、彼には勝てない。勝てない理由がある。それは……」
ぴく、と動くものがある。
それは、私の指でも、未紅の指でも、ましてや來さんでもなかった。
篠谷有裏が、停止した現象の中で動き始めたのだ。
「解決した…」
「ヤバい!」
來さんが咄嗟に能力を解除する。
だがそれが、何を意味しているか。
來さんは倒れた。
「來さん!」
「未紅、近づいてはダメです。距離をとって」
「うるさい!」
「未紅!」
來さんは彼の膝蹴りをくらい、何かもわからない内臓を吐き出して死んだ。
見れば見るほど、気色の悪い力だ。
冷静でいられるのも今のうちかもしれない。
「水銀の魔術師も、軌道の能力者も、脅威とは成りえない。神の権利は危ういかと思ったが、解除は容易だった」
神の権限を解除? 神がいるのかどうかは知らないが、でも呪術の存在は逆説的に神の存在を裏付けている。
神に抗ったのか?
たった一人の人間が?
「どんな能力でも使ってみろ、勝てはしないぞ」
受け身か。
なぜ攻めてこない?
もっと攻めてくればいい。
なぜ触ろうとしてこない?
触ったら勝ちなのに。
「触ること…」
触ることには、デメリットもあるのか。
そうだ。それしかない。
「未紅、今から」
そう言いかけた。
だが未紅はもういなかった。
「ルディア!」
いやいる。私の前に。
「触ると不都合なことが相手側にもあるって、そう思ってるんでしょ!」
「ダメ、あなたが行くべきではない!」
いや、こういうとき未紅は絶対言うことを聞かない。
「あたし、ルディアと一緒にいて、ちょっとだけ賢くなったかも!」
未紅が炎を纏う。
そしてそのまま、篠谷有裏に…。
ぐさり、と音が鳴る。
人が何かに突き刺さるとき、本当にこんな音が鳴るんだったか。
「加々野未紅…といったか。脆弱だな。所詮人なのに」
ぽい、とまるで食べ終わったお菓子の包み紙を捨てるかのように、未紅の体を捨てやった。
「制止できなかったお前の負けだ。貴様一人では、もう勝ち目はないだろう」
「……いいや」
「どこに?軌道の能力を失い、神の権力を譲渡された呪術師さえ死んだ。最も厄介だったシンの“変化の鎧”も完全に破壊され、アンブラ=アルフィエーリの全能もこちらのものだ。あのアンドロイドは…強くはあったが、それだけだったな」
いいや……。まだ、負けていない。
全滅はしない。
「私は知っている。まだ私たちを助けてくれる人がいることを。助けてくれた人がいることを。そして…」
「………なんだ?」
骨の刃が刺さっていた未紅の体がゆっくりと起き上がる。
「良い判断だ、魔術師」
そう。
「貴様は…」
「データベースにはなかったか。そうだろう、俺はあの初代全能にしてあの女の父親、クラウディオ=アルフィエーリでさえ予期できなかった完全なイレギュラーらしい」
加々野未紅は死んでいない。
それはこの、軌道の能力がまだ続いていることが証明している。
私にはまだ軌道が見える。
あそこにいる加々野未紅は偽物。
「この外見は加々野未紅であり、その本質は加々野未紅である。加々野未紅を模した“聖飾”。そして俺の名は、それを収集して保管する者」
「自分の名も忘れたか」
「ああ。偽りの自分に変装を続けていく中で、俺は本当の自分を忘れてしまっていた。まあいい。さて、篠谷有裏。お前はもう詰んでいる」
「まだだ。解決は可能だ」
彼の言葉に時折混ざる解決という言葉。
データベース。
「さあ、来い!」
途端に、天井に穴が開く。
「おりゃあああああっ!」
あの服は。
あの声は。
「やったわ、ルディア!やっぱりあたし、前よりも賢くなってる!」
「ええ。素晴らしいです」
ドレスホルダーの能力がひとつではないことを、以前から知っていた。
なぜなら彼は、私の知る人によく似ていたからだ。
世界を越える能力、それなら彼の行動の全てに辻褄が合う。
単身でこの迷宮に入り込めたのも、何らかの方法で空間を越える手段を持っていたからだ。
そして音信不通になったのも、異世界に入り込んで危機を回避し、私たちと合流するためだった。
世界を越える能力を持つ人を、私は一人だけ知っている。
「……ああ。断言はできない。俺はかつて自分が誰だったかは覚えていないからな。もしかしたら俺は、お前の師匠だった人間かもしれない。だがこれだけは覚えておいてほしい。俺は世界に無数に存在する、俺という人間の中の1人に過ぎない。お前の師匠は俺とはきっと別人だ。俺たちの知らない遠い世界かもしれないし、この世界かもしれないが、いずれにせよ、その人は誇らしく戦っているはずだ。そして、お前のこともきっと覚えている」
たしかに、彼の性格は師匠のそれとは全く違う。
もし彼が、師匠本人ではなかったとしても。
それでも、大切な誰かだと私は思うのだ。
「さあ、全滅は回避した。全てのトリックは暴かれた。次が最後の一回だ。失敗は許されないぞ」
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