第十四章:■■幻想■■=■■■■■■■■②

「群れの幻想種、ですか」

「散蝶の例もあります。しかし今回は厄介ですね。痕跡を消しながらひとりひとり攫っていくつもりでしょう」

「範囲攻撃、でしょうか」

「はい。私と來さんが炙り出します。ベルンさんは護衛を頼みます」

「承知」

「もう一度行きましょうか」

 今度は霊符を増やして。

 私の魔術眼に写っている輪郭の数は、今のところ三体。

 後ろや横には見えない。

「ベルンさん、私から見て正面方向に三体、固まっています」

 なぜ固まって動く?群れなら、狩りなら囲い込むはずだ。

 ベルンさんの推測と違う。

「相手は群体ながら、固まって動く」

「なるほど。ルディア殿、來殿、“気を付けてお待ちください”」

 すると、ベルンさんは霧の中に消えた。

「來さん?」

「僕にも分かりました。ええ、相手は群れではなく単体だった。ただ、腕となる部位、いえ、狩りであれば頭部ですか。頭部が複数個あっただけです。ですが残念ながら、僕たちを囲い込めるほど首は長くなかったみたいです。かわいいミスですが……そのかわいいミスが命取りとなってしまいましたね。頭は三つでも、元をたどればひとつ。そこを叩けば…」

 なるほど、そういうことか。

 長く幻想種を見ていないと至らない発想だ。

「じゃあ來さん、捕獲の準備を」

「………」

 來さん?

「早くしないと、消えちゃって…」

「來殿、こちらは倒しましたよ!」

 何?倒した?

 霧は消えていない…。

 あ、とまたいつものように声を漏らす。

 なぜ気づかなかった。

 霧の特性からして、シンさんの行方からして、その目的からして。

 気づく要素はたくさんあったのに。

「もらったァッ!」

 刃はすぐそこだった。


 パキン。


「な…」

「僕はさっきベルンさんに、気を付けてお待ちください、と言われたのです。言われた通り、用心深くして待ってたんです、残念」

 この霧は、あの幻想種のものではなかったのだ。

「霊長種選別委員会、直々の出陣ですよね?」

「ばれてら、まったく」

 この幻想種を餌にして誘き寄せて、私たちの居場所を特定、一方であちら側の位置は霧の影響で不確定。

 シンさんのあの細身の鎧型のパワードスーツだけが霧のジャミングを無効化できる可能性があるから、先にさらっておいた。

「さあ、シンさんは何処へ?」

「さーて、どっかいっちまったがな」

 私たちの前に姿を現したのは、あの鎖の男。

 未紅についていたあの長身の男だ。

「未紅はどこです」

「いるぜ。この町にどこかにな」

「未紅は私が探すとして、シンさんはいないと困るのですが」

「さっき適当に捌いちゃったから、どこに置いてきたかは忘れちまったんだ」


「おい」


 男の腹に極太の槍が突き刺さる。

「勝手に殺すな、馬鹿」

 シンさんは男の体を適当に投げ捨てて、歩み寄ってきた。

「すまねえ、油断してた」

「まさかシンさんともあろう方が攫われるとは」

「だがまだ油断しちゃいけねえぜ。あと二人見た。未紅を除いてな」

「未紅もいたんですか?」

「ああ」

 そっか。

 未紅も心配だが、先に他のやつらを倒してから迎えに行こう。

 ってあれ?みんな立ち止まって私のほうを見ている。

「お前、あとで未紅を迎えに行こう、って顔してるな」

 ばれてた。

「変わったやつだ。一回殺されてるのに、自分から迎えに行こうだなんて。流石、トオルが見込んだだけある」

「い、いや、そんな…」

「さて、ここで話していても事は進みません。行きましょう」

「その必要はないぜ」

 その声は、といいかけたとき。

 私は既に鎖で縛られていた。

「てめえ、死んだはずじゃあ…」

「残念でしたァー、その程度の物理攻撃で、死ぬこたねえんだ」

 いや、その程度だと?

 腹に大穴開けられても、その程度なのか?

「おーい、そろそろこーい」

 ベルンさんが何かに気づいて切り払った。

 切り伏せたのは、ナイフ数本だった。

「防がれてんじゃねえか!ちゃんと投げろタコ!」

「ちゃんと投げたつもりですが…なるほど、思っていたよりは強い」

「こいつらがか?ありえないね。だってこいつら、まだオレたちの正体にさえ気づいちゃいねえ」

「いえ、あなたたちは霊長種選別委員会の…」

「“そこ”止まりだからバカなままなんだよ」

 ああ、もう、イライラする。

 この鎖、ただの鎖じゃない。今脱出を試みているが、全然切れない。

 こんな異常な特性…疑い深すぎる。しかし、私のどの考察も、彼らの正体には当てはまらない。

 だとすれば結論はひとつ。

 彼らは、私の知らない何か。

「正体不明…としか、結論付けられない」

「ルディア殿!」

「おっと、それ以上近づいたら、この鎖がこいつの体をバラバラに引き裂くことになる」

 彼らは何者なんだ?

 この霧、この鎖。

「ああ、教えてやるぜ。その正体不明、こそがオレたちの正体。名もなく作られた群生幻想種、ただ目的を遂行するためだけに生み出された夢人形。その集まりのことを、なんていうんだか知ってるか?」


「霊長種選別委員会、って呼んでるんだぜ」


 そこに、新たに姿を現す者があった。

 私がよく知っているシルエット。

 夢の中で、現の中で、追いかけ続けたかの姿は、加々野未紅。

「ルディア。久しぶり」

 そんな声じゃない。

 加々野未紅はそんな風にしゃべる人じゃない。

 もっと明るくて、一緒にいるだけで元気になれるような声だ。

「ルディア。あたしね、言わなきゃいけないことがあるの」

「なんですか?」

 未紅の表情は霧で隠されている。

 でも、その押し殺すような声は、彼女は今。

「どうしても謝りたかった。あたし、たったひとりの友達を裏切っちゃったのに」

「いえ、未紅。あなたは自分の家族のために、たったひとりの姉のために、勇気ある裏切りを決意したのです。あなたは責められるべきではない」

「でもそうやって、あたしはいつも逃げてきたの。あたしは正しいから、どうせみんなには関係ないからって、自分の中でだけ解決して」

「今は私がいます。だからどうか、救われたお姉さんとともに、私に会いに来てください。私は、もう一度あなたと共に過ごしたい。誰からも理解されなかった独りぼっち同士」

 私は今、人生で初めて、こんなことを言う。

 大切な人だから。


「私は、あなたと友達になりたい」


 霧が晴れる。

「おい、ジャニクルムの野郎逃げやがったぞ!」

「アスターク、僕らも逃げるべきです」

「させるかッ!」

 未紅の顔が見えた。

 やっぱり。

「未紅、どうか泣かないで。さあ、こっちへ」

「あたし、今はどうしてもいけないの」

「ええ。いつでも好きなときに来てください。私はあなたを待ち続けて」



「あたし、椎奈を守れなかった」



 そのとき、私の中にどうしようもない絶望が満たされた。

 絶望の色は赤かった。この怒り狂った銀色の血が、狭い体を駆け巡る。

「加々野椎奈は死んだわ。あたしが追い求めていたものは……」

 鎖を粉砕する。

「待って、未紅ちゃん、ルディアちゃん!落ち着いて!」

「あー、なるほどな。こりゃ賢いジャニクルムは逃げるわけだ。ここから離れるぞ」

 水銀魔術、抽出開始。

 剣山のような水銀が、二人の男を磔にする。


「貴様らは、一生そこで焼かれているといい」


 もう、自分が何を言っているのかも分からない。


「待ってください、ルディア殿!」


 敵はどこだ?誰だ?


 未紅の心を破壊した奴は、どこにいる?


 そんなの分かり切っていたことだった。


 どんな魔法を使っても、どんな魔術を使っても、奇跡が起こらない限り、幸福は蘇らない。


 そして奇跡は、いつも同じように起こらない。


「ルディア、あたし…誰も守れなかった」


「未紅、そこにいて」



 もうこの世界には、何もいらない。



 何かを失うくらいなら、何もなかったほうがよかった。



「終末魔術、詠唱開始。エーテル準備、領域確保」



 そのとき、誰かが私の腕を掴んだ。

 未紅だった。

「あたし、誰も守れなかったの。でも、あなたには生きていてほしいの。だから、どうか、お願いよ。ルディアはどこにもいかないで…」


 ああ、どこにもいかない。


 誰にも記録されない無の狭間で、永遠に。


 永遠に、無かったものとしてそこに在り続けるのだから。


 赤い水銀が天を呑む。


 怒りの我が身が天を焼く。


 この世界が罪だ。


 なにもかも、嘘と偽りと、どうしようもない真実だけでできている。


 終わってしまえ、こんな世界。






「君は、それじゃあだめだ」

 私の前に立つ人は、今度もまた別の人だ。

「僕が授けた命は、世界を終わらせるための命じゃない。どれだけつらくても、誰かを助けるためにある命だ」

「あなたには分からないんでしょう。生まれながらに英雄だったあなたには、私の辛さは分からない」

「分かるとも」

「分からない」

「僕も、全てを失ったから何も失えなくなったんだ。家族も友人も、誇りも自由も。だから、目の前にあるそれだけが、ただ大切だった。君もそうじゃないのか?」

「もう、なにもかもなかったことにしてしまえば」

「僕は君に仕事を課したはずだ」

「私に、誰かを守ることなんてできない」

 もうだめだ。

 苦しみに勝てないんだ。

 何もない方が良かったんだ。

「君の師匠のことを、僕はよく知っている」

 私の、師匠?

「君のことを信じていた。彼は君のいた世界と、君を守るために、実に数万年も旅をしていた。そして僕たちとともに世界を守るために戦った」

「数万年…嘘だ。彼が旅に出てから、まだ数年しか経っていない」

「別世界への転移を重ね続けた結果、彼は時間を失ってしまったんだ。彼も時には泣いただろう。世界なんて救いたくないと絶望しただろう。でも彼がそんなにも長い間、命をかけて戦い続けたのは、いつも記憶の中に君がいたからなんだ」

「私が、彼に何をしたっていうんですか」

「彼が君にしてくれたことと、全く同じことだ」

 トオルさんは笑った。

「彼はどこまでも聡明な人だった。君がこの世界に来ることも、きっと予期していたのだろうね」

 つぶやくように言ってから、私の肩に手を乗せる。

「さあ、もう一度行っておいで。大切な人を助けたいなら、今しかない」





 ゆっくりと目を開く。

 私は、温かかった。

 怒りではない。

 悲しみでもない。

 だが、明るさでもない。

 人の温かさだった。

「……ありがとう」

 未紅は、立ち尽くす私を抱きしめていた。

「先に言っておくべきだったのよ。ゴメンナサイより先に。あたしを待ってくれてありがとうって。あたしのこと覚えていてくれてありがとう、って、なんでこんなに簡単ことが言えなかったのかしら」

「……簡単じゃなかったんです。私も言えませんでした。何もかも許せなくて、目の前にいるあなたが、一瞬見えなくなって」



 そうか。


 私が生きなきゃいけない理由って。



「未紅、私はもう大丈夫」

「うん。あたしも」




 こうやって、誰かを勇気づけるためだったんだ。






 愚かしくも気づかされた私は、そこにいるだけだった。

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