第43話 学園長



 一人の老人が校舎の中から出て来た。

 現れたのはボロボロの着流しに身を包んだ白髪の老人である。

 なるほど。ここで学園長が出てくるという事は、これはまだシナリオの範囲内なのだ。

 てっきり、もはやゲームのシナリオなどなくなってしまったのかと思っていたが、そうではない様子である。


 これはパンドラの幹部連中が18層に引きこもる、きっかけの一つになるであろうイベントが、これから起こるのではないだろうか。

 たしかに大手のライバルがいなくなったパンドラの幹部連中が、そんなにレベル上げに熱心になるのは不自然だ。


 俺は確認してなかったが、今はまだそこまで熱心ではないような感じもする。

 なにせ、こんなことをしているくらいだしな。

 だから、その原因がこれからシナリオとして語られるのだ。


「やかましいぞ、小童どもが! なんの用じゃ!」


 校庭に歩み出て来た老人は、いかにもド短気なようすでそう気勢を上げた。

 手には杖のようなものを一本持っているだけである。


「おいおい、訳のわかんねージジイが出て来たぞ。どうすんだ」


 そんなパンドラ連中のつぶやきが拡声器を通して聞こえてきた。

 無知とは恐ろしいものである。

 俺は久しぶりに自分よりレベルの高いやつの気配に底冷えする思いだ。

 パンドラ連中の後ろから、厳つい感じの大男が拡声器を片手に現れる。

 あれがギルドマスターのカズと呼ばれている男だろう。


「テメーは誰だ。ヨボヨボのジジイが出る幕じゃねえ。ブチ殺されたいか」


 拡声器を持ったパンドラのカズが言った。

 学園長は別に歩くのが遅いだけで杖はついていない。

 杖に見える棒を持ってはいるが、地面には突いていなかった。

 近距離から拡声器越しに話しかけられて、老人は顔をしかめている。


「やかましいわ!」


 やはり異様に短気な様子の老人は、その言葉とともに消えた。

 いや、消えたように見えただけで、次の瞬間には拡声器を持っていたカズの懐まで踏み込んでいる。

 その時にはすでに、気絶しているであろうカズは校庭を転がされていた。


 老人が持っていた日本刀は、すでに抜身の刀となって、その右手に握られている。

 その刀の刀身は、真ん中のところから煙が立ちのぼっていた。

 いったい、どんな力で切りつけたら、刀身から煙が上がるのか。

 まるで竜崎をあのまま成長させたような、とてつもない素早さと筋力だ。


 さすが、あの年まで引退もせずにダンジョン通いを続けているだけのことはある。

 狂った人間に、際限もなくいかれた力を授けるのがダンジョンなのだ。

 集められたパンドラの人間が降参するまで、老人は一人ひとり手に持った刀の餌食にしていった。

 しばらくして半分くらいも転がしたあと、老人は刀を鞘に納めた。


 そしてまた、出て行った時と同じように戻ってきて校舎の中に入っていった。

 あとに残されたのは呆気にとられたパンドラの連中だけである。

 それからしばらくは、29層攻略の話題よりも学園長の話題が世間の関心をさらった。

 この事件のあとでは、パンドラの下っ端も学園内では容赦なく狩られる立場となる。




 俺は刀から煙が立ち上るほどの筋力がどれほどかと、パンドラの下っ端相手に試してみたが、何度やっても煙は出ない。

 俺のビルドはすべてトニー師匠任せなところがある。

 最初は敏捷の値が足らなくて苦労したが、それもツバメ返しを得るまでの事だった。

 苦労したのは、ツバメ返しを得るまで俺には、まともな射程の攻撃スキルが一つも無かったのが原因だが、それも今では無駄を省くためのものだったと納得している。


 今の俺と学園長のレベルは同じくらいのはずだから、特殊クラスでレベルアップしてきた俺とそこまで差があるのはおかしい。

 トニー師匠のビルドだって筋力は最優先で伸びるように考えられているのだ。

 だから、それほどの差は生まれないはずである。


 とはいえステータスの数字が、それでどんな価値があるのかもよくわかっていない。

 耐久が100もあれば車にはねられたくらいでは死なないそうだが、それがどのくらいのものなのかもわからない。

 だいたい耐久100なんて初期ステータスに恵まれたら、レベル5とかで戦士にでもなれば達成可能だ。


 学園長はもしかしたら、ステータスを1だけあげてくれるアイテムをドロップする階層に通い続けているのだろうか。

 数十年あったとはいえ、それでもあそこまでの強さになるのは不自然な気もする。

 まあ、もとがゲームのキャラだから、細かく精査しても仕方ないことかもしれない。

 だからきっと、俺の知らないスキルでも持っているのではないかと思う。

 学園長がツバメ返しを知らないように、俺の知らないスキルを何らかの方法で開発したというのが、最も考えられるところだ。


「昨日は命拾いしたわね。学園長に感謝しなさいよ」


 スカートの裾が破けている瑠璃川が言った。

 最近では学園内を一人で歩いていると山賊みたいなやつらに襲われることも珍しくない。

 ゲームでは雑魚MOBあつかいだったが、主人公に合わせたレベルになっているので、瑠璃川のような奴にはきつい相手だ。


「よく逃げ切れたな。そういやローグ系だったか」


「余計なお世話ね。もとはと言えば誰のせいよ」


 それはパンドラのせいだと思うが、瑠璃川はそう思っていないようだった。


「なるべく周りから離れないようにしろよ。大人数でいたら襲われることもないだろ」


「そんなのあたり前でしょう。私は貴方のような向こう見ずとは違うのよ。集団について歩いていたのだけど、なぜか私だけが狙われたのよ」


 瑠璃川は、どうしてかしらね、というような顔をしている。

 そりゃ、まわりに殺気をふりまきながら歩いているのだから空気が違うのだろう。


「仲間じゃないのがまるわかりだったんだな。かわいそうに」


 瑠璃川は俺の言葉にちょっとだけ憤慨した様子を見せて言った。


「お弁当を持っていないかしら。買わせてもらうわ」


 今の時刻は、昼休みに入ったばかりである。

 こいつは学食に行こうとして失敗して帰ってきたのだ。


「俺が一緒に行ってやる。鼻つまみ者同士仲良くしようぜ」


 食堂の前に購買部により、瑠璃川が商品を見ている隙に昨日のドロップを売り払う。

 花ケ崎を連れて行けばモグラ落としは彼女がほとんどやってくれるので、俺は非常に楽をして金が入ってくる。

 まだモグラのリングは売れるようで、そこまで致命的な値下がりは見せていない。


「高杉さんには、ギルドからのお誘いがたくさん来ていますよ」


「連合側か」


「いえ、私が依頼されたのはノワールです」


 いくら西園寺といえども、さすがに武闘派ギルドにまで伝手はないようである。

 たしかに売店の売り子なら生徒のおおよそのレベルは把握しているし、美人だから勧誘には適任だろう。

 しかし、ここでノワールに入るメリットはまったくない。


 最近では、まわりのギルドに共闘を持ちかけたり、有望な学生の勧誘に力を入れているらしいが、もともと貴族ばかり集めたギルドだったので、煙たがられていたのかうまくいっていないようだ。

 それでなりふり構わず、俺のような奴にまでしつこい勧誘をしてくるのだろう。


「断っといてくれ」


「高杉さんならそうおっしゃるだろうと思って、すでにお断りしておきました。レベル25まで確約すると言ってましたけど、興味ありませんよね」


「まあな」


 本気になってパワーレベリングするのなら、レベル25程度までは強引ながら引き上げることができるようだ。

 レベル30くらいの奴がパーティーを組んで、マンツーマンで中層を回るなら、ひと月程度でも戦力を育成できてしまうのだと思われる。

 それをする狩場の問題はあるが、学生を勧誘する狙いはそこだろう。

 経験値の分配システムの隙をついたようなやり方だが、もとがゲームだからな。


「どうして、そんなおいしい話を断るのよ。それだけレベルがあったら学校をやめて、お金儲けに邁進できるじゃないの」


 急に話に割り込んできた瑠璃川が言った。


「それをする狩場があればだろ。自分たちの脅威になるような存在が育つのをどこも恐れているから、絶対に追い出されるぞ」


 同じ階層にいるのは、だいたい同じようなレベルだから、どうしても脅威になるし、徒党を組んでる方がはるかに有利だ。

 だから大きなギルドほど有利になるし、高レベルを連れてくることだってやりやすい。

 落ち目のギルドに入るほどのデメリットは、そうそう崩すことができない。


「隙を見て奥の方でやればいいじゃない」


「そんな所に自分から行ったら、殺してくれと言っているようなもんだ」


 もちろんそういうやり方をしているやつらはいるだろうが、独占された階層では見つかっただけで逃げることすら不可能だろう。

 ましてや相手と敵対しているとなれば、死んだも同然となってしまう。

 もちろんテレポートリングでもあれば、GPSの範囲を気にする必要はない。


 しかし9層のキーパーはあまりにも殺意が高すぎて、おいそれと手を出せるようなものではなかった。

 シナリオがここまで進んでしまうと、普通はレベル上げすらままならなくなる。

 それでもパンドラが独占する階層は数としてはそんなに多くない。

 特定の階層では、かなり奥の方まで独占されているが、そういう階層は飛ばしてしまえばいい。


 俺たちは何事もなく学食までやってきて、食券を引き替えて空いた席を探していたら、花ケ崎たちを見つけた。

 運が悪いことに彼女らが座っている隣の席しか空いていない。

 瑠璃川が吸い寄せられるように、その席についてしまったので俺も隣に座るしかなかった。


「あら、これだけ治安が悪いというのに、お犬様は今さらになってやってきましたわよ。いったい何を考えているのかしら。ちゃんと教えてあげなければ駄目ですわ」


 今日の花ケ崎が連れているのは、二ノ宮に連なるお嬢様方だ。

 どういうわけか、いつもなら学園内の高い店にいるような連中が学食に来ている。

 治安が悪いから、遠出するのが嫌だとかいう事だろうか。


「た、たしかにそうかもしれないわ。貴志、次からは気を付けなさい」


「……そうしよう」


「ずいぶん反抗的な態度ですわね。一晩くらい使ってあげたら、少しはましな態度になるのではありませんの。コイツは花様に惚れているのでしょう。どうも、そういうのが足りてないように見えますわ」


 おいおい、なにを話し始めるんだと思っていたら、花ケ崎はその話に食いついた。


「なにに使えばいいのかしら」


「いやですわ。夜の慰みにですわよ」


 ねー、みたいな感じで言っている二ノ宮に、まわりの女子も頷いている。

 彼女たちは、ずいぶんと割り切っているらしい。

 政略結婚の相手になど最初からなにも期待していないし興味もないようで、なんの恋愛感情も持たずに奔放に遊んでいらっしゃるようである。

 まあ、家柄だけで決められたような相手では無理もないか。


 花ケ崎は顔を赤くしてうつむいてしまった。

 それを周りが笑っている。

 こいつも貴族連中に囲まれて、そこそこ苦労しているんだなと気の毒な気持ちになった。

 瑠璃川ですら引き気味だが、さすがに性格が悪い貴族相手にいつもの啖呵をきるような真似はしない。



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