四十八話


 最低だわ。 


「玉木さん! 早くしなさいよ! ほんと使えないわね!!」


 またブタ女に怒鳴られた。

 お客様の都合があるの、レジの速度は相対的なのよ?


「ゴミ捨てがすんだらトイレ掃除! いい? 私みたいに綺麗になるまで徹底的にやるのよ!」


 冗談よね?

 あなたに比べたら今のトイレの方が百倍マシよ?


「はぁ、まったく! 店長は顔でしかとらないから、グズばっかり集まって!!」


 店長はストレスで禿げあがった、気の弱そうなおじさん。

 顔で選んでたら、あなたは雇ってもらえていないと思うわ。


「ぬふふ♪」


 ファーストフードが揚がるのをジッと見ている必要はないと思う。

 性格も悪いし仕事もしない。 店長はなんでこんなブタ女雇ってるのかしら……。


「はぁ……」


 申し訳ないけど、今月で辞めさせてもらいましょう。

 

 どこかに良い仕事、ないかしら?


 私はそんな事を考えながら、ゴミ箱の掃除をしようと外に出た。


「――っ!?」


 ブラックアウト。

 突然だった。 

 立ち眩みとも違う。 プツリと意識が切れ、糸の切れた人形のように私は地面に倒れ込んでしまった。



「う……」


 目を覚ました私は、左手で額を押さえる。

ズキンズキンと僅かな痛み。 でもすぐに消えた。


「……なんだったの?」


 さっきまで晴れていたはずなのに、空は真っ暗だわ。

 店前の信号は表示が消えている。 数台の車も動かないようだ。

 車から出てきた人たちがこちらに歩いてくる。


「玉木ぃいい!? ちょっとぉ、どうなってるのよぉーー!?」


「……」


 知らないわ。

 沈んだまま上がらないフライヤー。

熱せられた油でコロッケは焦げる。 換気扇も止まってしまっているのか、臭いが充満していく。 

 

 こちらに向かっているお客様をどうすればいいのか?

 先輩バイトであるブタ女は全く使えない。 コロッケなんて焦がしておけばいいのよ!


「すいません。 電話をかしてもらえませんか? スマホ壊れちゃったみたいで……」


「あ、はーい」


 サラリーマンっぽい人が困ったように言ってきた。


「停電っ!? 大変、アイスがとける前に食べなきゃッッ!!」


 ブタ女……。

 そんなすぐにとけないわよ。 食べた分はきっちり店長に報告しておくわね。


「「っ!」」


 爆発の音がした。

 近くだわ。


「なんですかね……?」


「事故か?」


「テロかもしれない」


 お客様は不安そうだ。

 私も不安だけど、どこか他人事。

どうせすぐに停電も復帰するわ。 それにテロなんて……どうしていいのかわからないもの。


「ごめんなさい。 お店の電話も使えないみたいです」


「そうですかぁ。 すいません、ありがとうございます」


 電話が使えないことを伝えると、逆にペコペコと謝られた。

 飲み物とタバコを購入してくれるみたい。 レジが使えないのでとりあえずお代だけ貰っておいたわ。


「ん? なんだか、騒がしいですね」


「なんでしょうか……」


 道路の方が騒がしい。

 悲鳴が聞こえる。


「犬っ!?」


「うわっ、逃げろ!!」


 殺気だった大量の犬。 

 道路を爆走しているわ。

映画の撮影には見えない。 だってカメラマンがいないもの。


「なっ!?」


 サラリーマンっぽい人は、動かないくなった車に逃げ込んだ。


「ギャァアアアア!?」


「っ!」


 犬たちは車の窓ガラスに体当たりして、突き破った。

 車の中で暴れる手が見える。 すぐに犬が食らいついて見えなくなってしまったけど。


「うそ……っ!?」 


 犬と目があった。


 真っ赤な瞳。

 口元は血で赤黒く長い舌が揺れている。 

 こちらに向かって走り出した。


 私は咄嗟に自動ドアを閉めた。 そして下にある鍵もかけた。


「何してるの玉木?」


 アイスを頬張っているブタ女を無視して、私は隠れられる場所を探したわ。 


「ッ!? ドアを開けてくれ!!」


「開けろーー!!」


 バンバンとドアを叩く音がした。


「はぁ? 玉木は何してんのよ、――まったく!!」


 最低だわ。

 私は本当に最低だわ。 

 

 ブタ女が怒鳴るのと同時に、ガラスを犬たちが突き破った。


「「「ギャアアアア!?」」」


 トイレの壁越しに聞こえる断末魔の絶叫。


「玉木ぃいいいぃイギャアアアアアアアアア!!」


 私はポツリと呟いた。


「ごめんなさい」



 

 酷い臭いと息苦しさ。

トイレの換気扇も止まってしまっている。 

 一体どれだけ時間がたったのかしら。 たまに聞こえる散らばったガラスを踏む音。 そのたびに犬に怯え絶望し、助けかもしれないと淡い期待を寄せる。

 扉を開けて確認してみようかしら?


「……」


 ごくりと唾を呑み込み、ドアに手をかける。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 鼓動が速くなり手は震えている。

 ダメだ。

 私はポツリと呟いた。


「たすけて……」



 犬の遠吠えが聞こえる。 

 唸り声が近くでした。 

 私は必死に息を殺す。


「ぁぅぁ……」


 どれぐらい経ったろう?

何時間? 何十時間? 何日?

 体が動かせない。 ドアに手を伸ばすことも、出来なくなってしまった。 

 私はこんな場所で死んでしまうのね。 そう考えて、でも当然かなと思ってしまった。


「ぁ……ぁぁ……」


 私みたいな汚い女は、汚いトイレで死んでいくのがお似合いだわ。

 必死に伸ばした手はトイレットペーパーを掴んだ。

 ちゃんと換えていない。 僅かに残っていた紙は終わり、ヵァンと乾いた音が鳴ってしまった。


コンコン。


「!」


 ドアがノックされた。

 犬はノックしたりしない。


コンコン。


 ドアのカギを解除しなきゃ。

 でも壁に寄りかかったまま体は動かなない。


ガチャ。


 ドアが開いた!


ゴン!


「うぅぅ……!」


 勢いよく開けられたドアに吹き飛ばれる。

 痛い。

 動けない私は引きずりだされた。

視界がチカチカして助けてくれた人が見えない。 声も満足にだせないけど、助けてと必死で訴える。


「お、お願い、します……助けを……」


 体を触られた? 怪我を診てくれているのかな……。

 少し頭を上げさせられ口に何かを無理矢理飲まされる。

 ドロリとした何かを。


「んっ!? んっ、んぁっ、んぅ……」


 甘い。 不思議な甘みの飲み物。 体に力が戻ってくる。


「ふぁっ……はっ、はっ……」


 うそ……手足が、体が動く……?

 頭に少し残るもやを振り払うように、私は頭を左右に振った。

そして助けてくれた人物にお礼を。


「あ、助けてくれてありがっ――!?」


 ビックリした。

 黒のタキシードを着た体格のいい男性。

 金髪のワイルドな髪型に鋭い目つき。 

 体の芯から震えるような存在感。


「……ありがとう。 命の恩人よっ」


 でも、優しい瞳をしていた。

私は男性に縋りつくように抱き着き、涙を流した。


「……」


 男性は何も言わない。

 本当に助けなのか分からない。 

でも彼に殺されるなら、汚いトイレで一人死んでいくよりはマシかなって思ったから。 

 私は少しだけ安堵したわ。


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