第52話 幼少期編52 王族辺境訪問24

 それは、聞き覚えのない男の声だった。

 低く、粘着質な声音はとても耳障りで、アリシアは本能的な嫌悪を感じた。


 「……やっと出てきましたか。先ほどからずっとこちらを盗み見して、私はとても不快だったのですが」

 「はは! そりゃあ悪かったなぁ。……つったってよぉ? 急に味方を切り殺す騎士とかフツー警戒しねぇ? オレたちも巻き添えで殺されたくはねえしよぉ?」

 

 苛立たしげな様子のルーカスに対して、男はおちゃらけた態度でくつくつと嗤った。

 

 それは、明らかに悪に分類されるであろう手合いだった。

 物語で姫を救う騎士のような存在ではない。

 

 アリシアは一縷の光が消えていく様を幻視した。

 息が詰まる感覚。早くなる呼吸。

 だけど、逃げることは叶わない。今のアリシアには息を潜めていることくらいしかできないのだから。


 「……他の方々は出てこないのでしょうかね?」

 「はぁ。なんだ、わかってんのか。――おい、お前ら。この騎士サマにはお見通しのようだぜぇ」


 男が声を張り上げると、幾人もの男たちが木々の合間から姿を現した。

 草木の隙間から見える男たちは、統一感のない装いだった。

 服の質も違ければ、手に持つ武装も異なる。曲刀や直剣、短剣など。各々が別の得物を構えていた。

 

 皆が皆、下卑た笑みをその顔に浮かべながら、じりじりとルーカスとアリシアを囲んでいく。

 

 「それで? あなた方は何者なのでしょう?」

 「ああん? んなこと馬鹿正直に言うわけねぇだろうがよ。そんなことよりも、だ!」


 男の声が間近で聞こえたかと思うと、突如としてアリシアの頭が持ち上げられた。

 

 乱暴に捕まれた頭が痛い。だが、もがこうにも体が動かない。

 強引に上向いたアリシアの視界を、浅黒いひげ面の男が覗き込んできた。

 アリシアの顔を確認した男が顔を顰めた。


 「金の眼、か。聞いていた通りだなぁ。だが、忌み子は男だったはず。……まさかとは思うが、こいつ例の王女か?」


 男が胡乱気な眼をルーカスへと向ける。


 「おい、騎士サマ。忌み子とその従者はどこにいる? あんたなら知ってるんだろう?」

 「さぁ? 私は知りませんね。こんな状況ですし。既にどこかで野垂れ死んでいるのでは?」

 「……はぁ。やれやれ、だな。これじゃあ張った甲斐がないってもんだ」

 

 はずれもはずれだな、と残念そうに男はいう。

 そして、やる気なさげに男はルーカスに問いかけた。

 

 「それで? 騎士サマよう、こいつ王女だろ? いいのかぁ? 守んなくてよぉ?」


 ずいっと、アリシアの顔をルーカスに向けながら男が言うと、ルーカスは静かに首を振った。

 

 「もとより殺すつもりでしたから問題はありませんよ」

 「随分な騎士サマだねえ。王女サマも可哀そうによ」

 

 まったくそうは思っていない様子で、くつくつと男が嗤う。

 

 「それよりも、さっさと消えてはくれませんか。仕事の邪魔ですので」

 「……おいおい騎士サマよ。こっちの人数が見えてねぇのか? 随分と腕に自信があるようだが、あの新米どもよりはオレらのほうがよっぽどできるぞ? あまり挑発しない方が身のためだぜえ」


 男がせせら笑う。周囲の男たちもそれに倣って嘲笑った。その瞬間だった。

 

 兜の奥、ルーカスの目が剣呑な色を帯びる。

 周囲の温度が急激に冷えていくような気がした。

 ルーカスから放たれる冷たい殺意に、半笑いだった男たちが身構えた。

 順繰りに、男たちをねめつけたルーカスが静かに言葉を発した。


 「……ただの野盗にしては構えも、装いも上等すぎる。それなりの組織の人員、と考えるのが自然」

 「……」

 「王国内にはいくつか裏組織がありますが、辺境伯の軍や騎士にまで刃を向ける存在はそうはありません」

 

 ルーカスが剣を構える。

 

 「暗部組織<愚者の果てナーレリア>、でしょうか」

 「……ま、流石にわかるか」

 

 肩を竦める男には、先ほどまでの余裕はない。冷汗をかきながら、ルーカスに視線を集中している。

 男の肯定にルーカスが得心したように首を振った。


 「ルーフレイム王国内で最大の裏組織が絡んでいるとなると、二度の不自然な魔物の襲撃にも納得がいきます。裏取引の販路に事欠かないあなた方であれば、魔物の理性を奪う【第一級危険指定】の植物や薬を手に入れることも難しくはないでしょうし」


 場の緊張感とは裏腹に、ルーカスは淡々と言葉を並べ連ねる。


 「襲撃の目的は……、あなたの言葉から察するに、忌み子とその従者の獣人ですか。……しかしながら、忌み子を欲しがる理由は……あまりなさそうですね。とすれば、あの白い獣人族が本命ですか?」

 「……」

 「沈黙は肯定、でしょうかね? それでも、この東辺境伯軍と我々の騎士団を襲うには少々物足りない動機のような気もしますが……」

 「……今回のあんたらは襲いやすかった。ただそれだけのことさ」

 

 男はそれだけ言うと、アリシアを地面に落とした。幸いなことに、泥濘が衝撃を吸収する。さらに泥だらけにはなるが、痛みはなかった。

 男はルーカスを見据えると、口火を切った。

 

 「……とりあえず、自己紹介といかないかい? ま、あんたの正体はおおよそ見当がついているがな。ちなみにオレはセブン。騎士団の所属なら名前くらいは聞いたことがあるかもしれねぇな?」

 「……セブンですか。<愚者の果てナーレリア>の幹部<数持ち>にあった名前ですね」

 「そういうことさ。それで、あんたの名は?」

 

 ルーカスの返答は無言。

 そんなルーカスに対して、男もといセブンが呆れたように溜息をついた。


 「あんたの立場をかんがえりゃあ、言いたくないのはわかるがな? ただ、新星の聖金騎士団サンオーレ・シュバリエでその鎧の持ち主はわかりやすすぎるだろうに。……それともオレに言ってほしいのか?」

 「……随分と詳しいのですね?」

 「そりゃあ、詳しくなけりゃあ、あんたらに自ら関わることはないさ。オレ達はあんたらが思うよりずっと軍や騎士団を怖れている」


 セブンの言葉にルーカスが冷笑した。

 

 「……幹部の1人が死んだだけで、大人しくなる組織の言葉は説得力がありますね。納得です」

 「……あれは、想定外に想定外が重なっただけだ。軍とか騎士団は関係ねぇよ。……結局犯人も特定できてねぇし、そうなりゃ慎重にならざるを得ないだろうが……」


 吐き捨てるセブンの声には苛立ちが混じっている。


 「……ちなみに『水の魔術師』ってのに聞き覚えは?」

 「……ああ。あの詩ですか。御伽噺を信じている手合いですか?」

 「いや……。……まぁ、いい。今聞くことじゃあなかったな」


 咳払いをしたセブンは改めて、ルーカスに向きなおった。

 

 「それで? 名前は?」

 「そこまで知っているのなら、わざわざ私が言う必要もないでしょう」

 「ちっ。面白くねえ野郎だな」

 

 つまらなそうにセブンが唾を吐く。

 ルーカスが剣先を揺らした。


 「それで、いったい何の用なんです? わざわざ絡んでくるあたり、何かあるのでしょう?」

 「そうだなぁ、騎士サマ。……いや、もういいか。。オレはあんたに提案がある」

 「……提案?」

 

 名を呼ばれたことに対して少しばかりの動揺。しかし、すぐに平静になったルーカスが首を傾げる。


 「一時的な共闘、だ。東辺境伯軍は思っているより粘り強いし、執念深い。逃げる時間を確保するのに、なるべくやつらを痛めつけておきたいのさ。そのために、味方は多い方が良い。簡単な話だろう?」

 「……」

 「……ああ、もちろん。あんたのお仲間ってのは騎士団のほうじゃないぜ?」

 「……本当に、良く知っているのですね」


 男の言葉にルーカスは諦めたようにため息をついた。


 「文句なら、あんたの上司に言ってくれよなぁ。そっちが間抜けなんだからよぉ」

 「……」

 「ああ、そうだ。ついでにあんたを逃がす手伝いもしてやろうか? 王女サマを殺した後にどうするつもりだったのかは知らないが。……その様子だと、今の状況はあんたにとっても想定外なんだろう?」


 逃がす、という言葉にルーカスがぴくり、と反応する。


 「……信用できませんね」

 「そりゃあ、そうだ。オレ達も何も親切心で言ってるわけじゃあない。その代わりに、あんたにお願いがあるのさ」

 「……何でしょう?」

 「白い獣人族の確保。その手伝いをお願いしたい」


 セブンの言葉にルーカスがしばし考えて、静かに頷いた。

 

 「……まぁ、良いでしょう。今さら私が何をしようと、この国にいられないことに変わりはありませんしね」

 「ま、そうだろうな? あんたらは派手にやりすぎなのさ」

 

 他人事のようにセブンがそう言う。

 押し黙るルーカスを横目に、セブンは手を叩いた。


 「交渉成立だな。んじゃ、頼むぜぇルーカスさんよ」

 「……その前に、ソレを殺すのでどいてはくれませんか?」

 

 ルーカスが剣先でアリシアを指し示す。

 彼の言葉に、セブンが驚いたような顔をした。

 

 「おいおい。もう殺すのかよ? どうせなら、遊んでから殺そうぜ?」

 「……遊ぶ?」

 

 意地悪そうな顔でセブンは嗤った。

 

 「女で遊ぶっつったら1つしかないだろう?」

 

 セブンの言わんとすることを理解したルーカスが呆れたようにため息をついた。

 

 「女、ですか。まだ10の小娘ですが……」

 「何歳だって女は女だよ。どうせ殺すんだから、別に良いだろう?」


 下卑た嗤いを浮かべるセブンとその取り巻きの男たち。

 ルーカスが頭痛を堪えるように兜に手をやる。

 

 「……程度の低い連中の考えることは、色々と理解できませんね」

 「……おい。喧嘩売ってんのか?」

 「売ったつもりはありませんが。……一応ここは戦場なんですよ?」

 「はん。戦場だろうがオレたちはやりたいようにやるだけさ。なんなら、ここは主戦場からだいぶ離れてるし、問題ねぇだろう? ……それとも、戦いが終わるまで殺すのを待っててくれるのか?」

 「……それは許容できませんね。……はぁ、面倒なのに絡まれてしまったものです」


 ルーカスの言葉には苛立ち混じりの諦念があった。

 彼は、鋭い視線をセブンとその取り巻き、そして――彼らの背後へと向ける。そして大仰に肩を竦める。

 そんなルーカスの様子に、セブンが訝し気な顔をした。


 「……その様子だと他の奴にも気づいてるようだな?」

 「当たり前です。気配の隠し方がなっていません。とはいえ、この人数と戦うのは私も気乗りしません。だから、もう好きにしてください」

 「……とんだ化け物だなぁ。あんたと戦うことにならなくて心底ほっとしてるよ」

 

 安堵の息を吐くセブン。

 それに対して、やるなら早くしろとばかりにルーカスが顎をしゃくる。

 

 ルーカスの許可を得たセブンが待ってましたとばかりに動き出す。

 地面に伏すアリシアの頭を掴むと、乱暴にその体を持ち上げる。

 彼の動きに合わせて、周囲の男たちが寄ってきて、そのうちの2人がアリシアの手を拘束した。

 

 「う……ぁ」

 

 アリシアの喉からしぼり出た声は掠れていた。体は相変わらず動かず。たとえ動いたとて、大の大人の力には抵抗することはできなかっただろうが。

 はりつけような姿になったアリシアの視界に黄金の鎧が映る。

 

 「……何かあれば即座にソレを切りますので」

 「死体を犯す趣味はねぇからそいつぁ勘弁してほしいなぁ?」

 

 おちゃらけたセブンの声がアリシアのすぐ後ろから聞こえてくる。

 

 粘ついた声音。その言葉に含意された意図をアリシアはくみ取れない。

 ただ、生理的嫌悪と耐えがたい怖気がアリシアを支配した。


 「ぅぅ……」

 

 アリシアの心は限界だった。

 唐突に訪れた命の危機に思考は追いつかず。

 過酷な環境と、動かぬ体は、彼女の気力を摩耗した。

 ままならぬ呼吸は彼女の意識を朦朧とさせていて、降りやまぬ雨と地を浸す泥水がアリシアの体温を奪っていた。


 ルーカスは動く気配がない。

 ただ、騎士の血に汚れた剣を構えてアリシアを見つめるのみ。

 

 その刃が振るわれるのは、この男たちが『遊んだ』あとであると言っていた。

 彼らの言う遊びが何か、アリシアにはわからなかったが、それが決して楽しい遊びではないのだろうということは理解していた。


 怖い。

 怖い。

 怖い。

 

 疲れ切ったアリシアにはもはや考える余力すらない。

 ただ、彼女の心魂に広がる恐怖が絶望と嫌悪を伴って、全身を侵食していた。


 グレイズラッドに会えて、世界は少しだけ明るくなった気がした。

 この世界で生きる楽しみが1つ増えた。

 そう思ったのに。


 アリシアの夢見た世界は、きっと本当に夢物語になってしまうのだろう。

 

 「ぅう」

 

 限界を超えた心は歪みを生んで、涙となって頬を伝う。

 視界は霞み、ぼやけていく。


 現実は物語のようにはいかない。騎士は姫を救えない。

 だけどアリシアは現実を直視できない。

 幼い彼女は、その存在に必死に縋るしかないのだ。

 

 「ぁ、……ぇ」

 

 誰か、助けて。

 助けて。

 

 心の声は虚無へと響いて。


 そして。

 その声に応えるように。


 ――翡翠の風が吹いた。

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