第35話 幼少期編35 王族辺境訪問8

 村を発った翌日の昼頃。

 僕は前線基地<フロンミュール>に到着した。


 村から前線基地<フロンミュール>への道のりは、ノルンからミッテ村の距離と同等程度には遠い。

 また戦時ではないため、軍隊の移動はかなり遅い。脱落者が出ないように、ゆっくりと移動したため、結果的に前線基地まで3日の時間がかかった。


 道中野営を挟んだから、シラユキはかなり疲れているみたいだ。第一近衛軍の人たちは正直言って信用できないから、シラユキと僕は交代で夜の見張りをしていた。シラユキは僕が夜の番をすることをかなり渋ったけど、御者をするシラユキに徹夜させるわけにもいかないから半ば強引にその役を買って出た。だから僕も今は結構眠い。

 

 味方と言える存在がシラユキしかいないのは、こういったときにとても不便だ。やはり、味方は多ければ多いほど良いと改めて実感できた。


 だけど、他に味方となりうる存在を考えるとなると誰がいるだろうか。フェリシアとかコルネリアはその数には入れられない。夜の見張りをしなければならない状況とはつまり、命の危険がある状況だ。その時の僕は忌み子として命を狙われているとか、そういった危険な状況にいることになる。そんな状況に彼女達を巻き込むわけにもいかない。

 そう考えると、僕は現状奴隷くらいしか味方にできる人材を思いつけなかった。それがとてももどかしい。

 

 ちなみに、スイとかアイに最初は見張りを頼もうとしたのだけれど、彼女達は現状声を出せないし、闇の大精霊ヤミのように実体があるわけでもない。僕が寝こけて気づかなければ、彼女たちの姿が見えないシラユキでは意図を察することができないだろう。そういった経緯もあり、僕は彼女たちに見張りを頼むのを諦めた。


 彼女たちが実体を持てるようになればよいのだけれど、それは実質スイとアイがということに等しい。大精霊になるためには永劫に近い時間が必要だ。正直言って、期待できるものではない。


 「ふぁ」

 

 僕は小さくあくびをすると、目をこすって馬車の窓から正面を覗いた。


 目の前には前線基地<フロンミュール>の一部が見える。

 

 <フロンミュール>を一目見て抱く印象は、だ。


 天に向けてそそり立つその重圧感は、城郭都市であるイースタンノルンを囲む壁にも引けを取らない。

 正面には厳めしい銀色の大門が鎮座しており、この地の物々しさが伝わってくるようだった。


 軍が進んでいくと、地響きのような音を立てながら門が開いていく。


 基地の中へと軍が歩を進めていく。それに伴って、僕らも門をくぐるのだった。




 *




 前線基地<フロンミュール>は魔物を討伐するために作られた要塞だ。

 

 構造としては二重の壁を持っている。事前調査で、僕が空から遠目に見た時の印象は四角い壁といったところだろうか。城郭都市のミニバージョンと言えば想像がしやすいかもしれない。

 

 壁に囲まれた空間は、駐屯する軍人の訓練や軍の出撃準備をするために使われている。要はこの地における安全地帯だ。

 戦場において安全な場所があるのと無いとでは、戦術に大きな影響が出る。故に非常に重要な要素の1つなのである。


 また、この前線基地は住居としての側面も備えていた。

 

 というのも、前線基地は数多くの兵士を駐在できるようにする必要がある。兵士は生き物だ。食事が必要だし、睡眠も必要だ。

 故に兵が生きるのに必要なことを前線基地は確保できなくてはいけない。


 だからだろう。<フロンミュール>の機能は非常に多岐にわたる。


 兵士たちの寝床、負傷者を保護できる区画、長期の籠城にも耐えられる備蓄のある食糧庫、はては娯楽施設まで。ありとあらゆる機能がここには集約されている。長時間戦線を維持できるような設備が、<フロンミュール>には整っているのだ。


 前線基地は戦線のかなめだ。故に、ノルザンディ家はここまで強固な要塞を作ったのだろう。


 そんな<フロンミュール>の持つ機能は、兵の生活に関わるものだけではない。


 その中には、要人を匿えるようにする機能もある。


 立場の高い人間でも戦火に巻き込まれる可能性はある。その際にも活用できるのがこういった軍事基地の利点だ。

 

 そして、そのような人を守るためには、少し特別な設備が必要だ。それは要人用の部屋である。

 

 こういった場所では雑魚寝や複数人の部屋というのが普通である。駐屯できる兵は多ければ多いほど良い。そのためには効率的に土地を使用する必要がある。ならばどうするか。


 結果として、1つの部屋に多くの兵を詰め込むようになる。能率を考えればこれは必然だ。前線基地の役割は基本的に戦闘を補助することであり、快適な生活とは縁遠いのが実情である。


 だが、いくら要人を守るためとはいえ、自国の兵と共に雑魚寝をさせるわけにはいかない。例えばそれが王族だとしたらなおさらだろう。軍事基地なりの快適さを、彼らには提供する必要があるのだ。

 

 そういった想定もあり、東辺境伯の持つこの基地には要人警護に適した部屋がいくつか用意されていた。


 その部屋のうちの1つに、僕は案内されていた。

 

 部屋はそう広くはないが、軍事基地の一室としては上等だと思う。雰囲気としては前世のビジネスホテルの一室に近いだろうか。シャワー室やテレビなんかはもちろんないけど。

 

 それにしても。この部屋を提供してくれるということは、なんだかんだでオスバルトは僕を代表者として扱ってくれているのだろうか。


 純粋に忌み子である僕と部屋を共にしたくないという可能性もあるけれど。むしろそちらのほうがありうるか。


 ちなみに、シラユキも僕と同室にしてもらった。


 使用人である彼女はこういった個室を与えられることはない。普通は複数人の部屋、雑魚寝をするような部屋に送られる。

 

 だが、この基地は軍人の巣窟であり、そのほとんどが男である。部屋もそう余っていないだろうから、シラユキはどこかの男部屋に押し込まれる可能性があった。奴隷である彼女に配慮するような軍ではないだろうし。


 流石に10歳に満たないシラユキに手を出す輩はいないと信じたいが、そうも言ってられないのがここの怖いところだ。

 

 ここはほとんど女性がいないから、多くの兵は女に飢えていることだろう。

 幼い少女とはいえ、シラユキは成長盛りである。そして特に致命的なことは、シラユキが奴隷であるという点だ。

 彼女が奴隷と知られれば、本気で何をされるかわからない。


 軍の中では規律があるといっても、相手が奴隷ならば規則など無意味になる。それがこの国の文化だ。


 「シラユキ、寝てて良いよ」


 昨日の野営が祟ったのだろう。ひどく眠そうなシラユキに僕は声をかける。


 「うぅ、それには、及びません……」


 シラユキはどうしても僕の前では寝たくないらしい。懸命に起きようとしている。シラユキは時折うつらうつらとしては、ハッとして顔を振っている。先ほどからその繰り返しだ。


 無理も良くないから正直寝てほしいんだけど。

 

 「シラユキ?」

 「……っ! う、申し訳ありません……」

 

 しょうがない。ベッドに連れて行こう。

 

 この部屋は窓辺に大きめの寝台が1つだけある。

 シラユキは同室になったときに床で寝ますと豪語していたけど、僕は彼女を床で寝させる気はさらさらなかった。女の子を床で寝させて僕はベッドだなんて、それこそ文字通り夢見が悪い。


 そんなことを考えながら、僕が行動を起こそうとした時だ。

 

 ――カーン、カーン、カーン。


 <フロンミュール>に甲高い鐘の音が響き渡った。

 

 耳朶を打つ振動に思わず耳をふさぐ。

 眠気眼だったシラユキも、白い狐耳を一気にしぼった。


 暫くののちに、鐘の音は止んだ。そして、基地内がにわかにざわめきだす。

 壁内からは怒号が響き渡る。

 明らかな緊急事態を告げる様相。その原因に僕は思い至った。


 ここに僕を案内したオスバルトの言葉を思い出す。

 

 鐘の音は緊急時の音だ。ならば、この<フロンミュール>における緊急事態とは何か。


 そう。


 ――魔物の来襲だ。

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